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自転車で大阪をぶらり周遊(前編)

ちょっと前の話になるが、髪の毛があまりにもボサボサになったので、新世界の行きつけの散髪屋に自転車で散髪に行ってきた。そのついでに大阪中心部を自転車でブラブラしてきたのでまとめてみたい。
自宅から新世界に行くには、まず、近所の平野川から生野の御幸通りのコリアタウンを通って疎開道路に出る。ちなみに、平野川は、古くは百済川と呼ばれ、猪甘津橋と言う文献上の日本最古の橋が架けられたことが日本書紀の仁徳天皇の項に書かれている。また、コリアタウンを含める現在の東成区玉津・大今里西の各一部、生野区中川西の全域および鶴橋・桃谷・勝山北・勝山南・舎利寺・中川・田島の各一部は、かつては猪飼野と呼ばれ、古代・仁徳天皇の時代に、多くの「渡来人」が当地にやってきた。その渡来人たちがブタ(猪)を飼う風習があったので、この地域を「猪飼野(いかいの)」と呼ばれるようになった。近代以降は、市街化・工業化の時期と重なるようにして、1922年の大阪 - 済州島間定期直行船「君が代丸」の就航を機に済州島から朝鮮民族が大量に渡航するようになると、当地は工場労働者の最大の受け皿となり、朝鮮民族(大半は済州島出身者)の人口が急増した。1945年の日本の第二次世界大戦敗戦後、済州島出身者の約3分の2程度は済州島へ帰ったが、1948年に起きた済州島四・三事件以降に再び日本へ大量に渡航してきた。以降、在日韓国・朝鮮人として当地に根ざした人々によってコリアタウンが形成されていった。済法建親会は、済州島の法還里(법환리、ポパニ、現在の西帰浦市法還洞)出身者の団体で、1929年に三益ゴムを経営していた康興玉が組織した済法青年会の後継団体である。
疎開道路から勝山通りに出て、玉造筋を南下するとまもなく天王寺で、天王寺の坂を下ると新世界の入口ジャンジャン横丁である。ジャンジャン横丁といえば元祖・大阪モーニングの福政は外せない。ちょっと一杯やっていこうと思ったが、現金を温存しておきたかったので、記念の写真だけ。かなりピンボケしているけれど。

新世界の行きつけの散髪屋は「増田理容店」と言って、カットだけなら700円である。洗髪・顔ぞりを入れても1000円。この時期、コロナ感染防止のため顔ぞりはやっていなかったが、カット+洗髪で1000円は安い。
天気もよく、髪の毛もさっぱりしたので、散髪が終わってから大阪市内を自転車でぶらぶらすることにする。まず向かうのは西成・釜ヶ崎である。新世界のローソンでビールを買って、新世界市場を通って堺筋を南下する。
新世界市場は寂れた商店街だったが、最近では若者が中心になって毎週日曜日、11:00〜17:00まで行われる新スタイルのマーケット「Wマーケット」が開かれていたりして徐々に活気を呼んでいる。「Wマーケット」は、入場料は投げ銭で、商品には値札がなく、お客さんが値段を決める"せり"のような感覚で楽しめる。
堺筋を南下して、スーパー玉出のところで右に曲がると西成・釜ヶ崎の萩ノ茶屋商店街で、その入口にいつも行列が出来ているホルモン鉄板焼きの「やまき」がある。いつも午後14時に開店で、私が行ったのは午前中だったのでもちろんやってない。ちょっとでも雰囲気を味わってもらいたいのでいくつか動画を貼っておく。

萩ノ茶屋商店街を西に進むとまもなく三角公園が近づき、その斜め前に、そこも最近ユーチューバーが屯している立ち飲みの「成り屋」がある。
「成り屋」も時間が早かったので開店前だったが、店の前では既におっちゃん達が宴会を開いていた。

「成り屋」を後にして、西成・釜ヶ崎をぐるっと巡回したあと、新今宮に出て、いま建設中の星野リゾートの「星野リゾート OMO7 大阪新今宮」を見に行く。建設にあたってはお土地柄、賛否両論あったようである。開業予定は2022年4月。14階建て、部屋数は436室を予定し、館内には庭も設けるなど、かなり大掛かりなホテルで、立地は浪速区の南端だが、部屋の南側から見渡す光景は西成区の「あいりん地区=釜ヶ崎」である。
星野佳路代表は「先入観を持たずに見てみると、観光地としての潜在能力の高さに気づくはずだ」と断言。関西国際空港から鉄道で乗り換えなしにアクセスできる利便性や、歓楽街「新世界」などに近く「大阪の文化を最も体験できるエリア」であることなどを強調した。新今宮駅前は近年、日雇い労働者向けの安価な簡易宿泊所に大勢の外国人旅行者が訪れ、にぎわいをみせている。「このエリアを再開発する使命を与えられた」とする星野リゾートは、街をさらに発展させることができるのか、期待される。


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