確固たる信念がない、も信念

小学生の時「ガラスの仮面」という漫画にハマりました。主人公の北島マヤがとても羨ましかったからです。演劇に生涯をかけて自分のやりたいことを貫きとおす姿を見て、私は演劇部の強い学校を受験しようと決めた小学校4年生の春。

中学受験で私立中学に合格し、念願の演劇部に入った中学生。北島マヤのように女優になるきっかけをつかめた。そう思えたのは束の間で、私は致命的なことに気づきました。

自分には、表現したい確固たる信念がないことに。

それは表現者になりたい、と思っていた自分にとっては気づきたくなかった事実。でも、古賀史健さんの「取材・執筆・推敲――書く人の教科書」を読み、表現したいこだわりがない自分にもできることがあると気付きました

さて、再度私が高校生の時に話を戻します。

1度役をもらって公演をして、表現したいことが特にない自分に役者は向いていないと気付きました。それよりも役者の想いを形にして伝える裏方の方がワクワクして没頭できる。そんな経緯で高1の時に初めて引き受けた演出の仕事。題目は鴻上尚史さんの「天使は瞳を閉じて」

授業中も(本当はだめですよ)、お風呂の中でも、寝る前もいつもいつも台本を眺めていた。
見えない壁に覆われている街の中で暮らしている人々は、その壁の外に出ると命がなくなるということが分かっている。でも最終的に人々は壁から出ることを決意し、一人残らず死んでいく…どうして人間はそんな愚かなことをしたのか?と天使の視点で人間の行いを回想する話。
高校生には少しとっつきにくいシリアスな話です。ありえないけど鴻上さんがうちの公演を見に来れるとしたら、高校生なりに何を1番表現したいのか?を1人で考えて、時には部活の人と議論しながら劇の大事な部分やどこを引き立たせるのかを決めていくのは苦しかったけど飽きませんでした。本番の日、客席から自分たちの劇を見て、すごく誇らしかったのを覚えています。何の根拠かわからないけれど、鴻上さんの伝えたいことは自分達は絶対理解できていると思っていたのでした。

上記の経験がきっかけで、「伝える」という仕事に興味を持ちました。そして今のところそれは天職であるように感じます。私は特に伝えたいことのこだわりがありません。一貫して営業系の仕事をしてきましたが売るものは「塾の授業」「保険」「教育系のサブスクリプションサービス」「web講演会」と全部バラバラです。「これ売って!」と言われたらなんでも売れる自信があります。商品のいいところはどんな商品でも1個はある(でないとそもそも成立しない)し、それを見つけて伝え方を考える瞬間が自分は1番楽しいのです。

でも本当は、ずっと表現者に憧れています。歌手やデザイナーなど、自分の確固たる想いをもって表現する人はカッコイイ。なぜかはわからないけれど、出来ないことだからこそ余計追いたい、恋のようなものかもしれません。

そんな私が上述の古賀さんの本を読んだ時、励まされた気持ちになりました。「この人のこの思いを伝えたい」という気持ちは、十分自分の信念であると自信を持てました。理由はうまく言えないけれど。

これからも「どうやって伝えるか」を楽しく考える自分でありたい。そして今は営業という「会話で伝える」だけではなく、自分が好きな「書くこと」で伝えることもできたらいいなとぼんやり思いました。

といってもまだまだ文章を書くレパートリーが少なすぎて。読む練習も並行してやって、書くことも上達させていきたい。

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