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悲しみをなくせるなら

一昨日、木村花さんが急死した原因がSNS上での誹謗中傷だということから、Twitter上で様々な意見が流れた。

私も書こうと考えたけれど、すぐには書かず保留した。感情だけで書くのは危険だと考えたからだ。

「加害者が悪い」「私も被害を受けた」「こうすれば誹謗中傷に対抗できる」など、様々な意見が出た。

誹謗中傷の意見については、YouTube上でも「物申す系」の人達でも流れたが、あまりにも酷い内容があり、公に流すべきではないと通報した。

今まで元気に明るくてこの世にいた人が、ある日突然会えなくなる、この世から消えてしまうということは、実際に会ったことがない人であっても、悲しく思う。

木村さんに関しては、番組のある行為から1日に100ツイート以上の誹謗中傷の書き込みがあったという。どんなに職業柄「私は大丈夫」という人でも、耐えれない。

私自身、TwitterではなくInstagramでつい最近嫌がらせを受けて、投稿を中止した。画面を開けるたびに恐怖を感じるから。通報はしたけれど、怖い。

法的措置に出たくても、お金や時間の問題でどうしようもない。実際に裁判に持ち込んだ人の話を読んでいると、相手が出廷してこない、未成年だったなど今の法律ではどうしようもない事例が出ている。

持病の主治医から言われるのが「どこの誰ともわからない相手から攻撃されるなら、SNSから離れてみなさい」と言われた。

昔のSNSは「遠くの人と繋がりたい」だったのが、今はひとつ間違えると「言葉の刃で悲しみを生む世界」になっている。いつからそうなったのだろう?

今回の話を機会に、SNSへの法的整備はこれからスタートするとは思う。そして、誹謗中傷した人間は、これから特定されていくことであろう。

特定されたとしても、それで人の命が戻ってくることはない。

一体、どうすれば、本当に些細なことから出た悲しみは消えるのだろう?
今はSNSのどこでも当たり屋的行為は起きているので、もし見ていてつらい時は、しばらく離れて見るだけでいい。

今後、どんどんSNSとの付き合い方は変わると思う。最適な付き合い方は、自分で作るしかないけれど、無理や義務感で付き合うことはない。

本当に若くして私生活では優しかった人が突然いなくなることは、悲しい。

合掌。





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