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闇のあるところに光を

まず、聖アッシジの「平和を願う祈り」をご紹介します。

神よ、私をあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛を
いさかいのあるところに、ゆるしを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、心理を
絶望のあるところに、希望を
悲しいのあるところに、喜びを
闇のあるところに、光をもたらすことができますように。
神よ、私に、慰められるよりも慰めることを
理解されるよりも、理解することを
愛されるより、愛することを望ませてください。
自分を捨てて初めて自分を見いだし、ゆるしてこそゆるされ、
死ぬことによってのみ、永遠のいのちによみがえることを
深く悟らせてください。

これは、カトリックでは有名な祈りとなっています。

最後の一節は置いておいてと。

昨日はクリスマスイブということで、盛大にパーティーをした方や、ご家族で過ごされた方は多いかもしれません。

中には、ひとり寂しく過ごされた方もいらっしゃるだろうし、貧しくて大騒ぎをしている場合ではないご家庭もあったはずです。

本当のクリスマスの考え方は、どんちゃか騒ぎをするのではなく、この世にイエス様がひっそりとお生まれになった、静かな静かなお祝いです。

イエス様が生まれたその当時は、圧政に苦しむ貧しい人々が多くいたことから、救い主を待ち望んでいたわけで、その方が生まれるという約束の日が昨日の、12月24日だったわけです。

この写真のように、小さな炎はイエス様が「小さな光」であるという象徴であるわけで、昨日のミサまでの1ヶ月間は、1本ずつろうそくに火を灯し、お生まれになるのを待ち望むという慣例が残っています。

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賑やかなところが「大きな光」で眩しすぎて、つらく感じる方は当然います。人間、全て明るく笑顔で過ごしているというわけではないからです。

今は、いろんな格差が生まれて、若者が行きづらい世の中、高齢者が生きるのが難しい世の中、子育て世代が生活に苦しむ世の中と、「生きづらさ」が出ていて、不満のはけ口がありません。

「生きづらさ」は金銭的に富める人であっても、老後にはどうなっているか、つまり人間、今がよくても、先は見えない、「今ここを生きる」ことが大切なわけ。

そして、自分が動かずに来るものを待つばかりでは、何も始まらない。
自分の夢を叶うためには、まず何をするか?
じっくり調べてみると、たくさんの道があります。
絶望を感じても、他人様に怒ってはいけません。絶望は、病気以外はのぞいて、自分で希望を生み出していくもの。

病気の人への慰めは、自分の苦しみとして受け止めてあげようと努めること。
理解されたいと望むのではなく、世の中のことを理解して行動すること。
「愛されたい」と望むなら、我が身を振り返り「自分をまず愛してあげること」からスタートすること。

求めるだけではなく、惜しみなく自分が与えること。「Give and Take」で世の中は成り立ち、生きているというわけです。

私自身も、人間としては、完全なものではありませんし、過ちはたくさん犯しています。だから、時々自分の行いを振り返り、反省し、よりよく生きていけたらと、努力し続けるわけです。

さりげなく努力して、輝いている人をみていると、引き込まれたりしませんか?それより、その方の文章を読んでいると、その人柄が十分わかります。

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人との繋がりは、今まさしく複雑になっていて、電子的な繋がりが現実へと繋がり、誰かと繋がるということは、難しいことになりました。

難しくなった分、生きにくさは倍増されているのかもしれませんが、必ず自分らしく生きて行く道はあるはずです。
失敗したっていい。でも、人や会社に八つ当たりはせずに、自分の中で噛み砕いて、消化して、成長してくれればと、願うばかりです。

理想論なんですけれどね。

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