自分が書いたことが自分中心ではまずい

私も過去記事をみると、自分中心の考え方を書いている可能性は非常に高い。そして自分の主張をゴリ押ししている記事はあるだろう。

実は、この頃Twitterを読むのが辛い時がある。これは、私の持病の医師からも「Twitterだけは、あなたのストレスの原因になっているかもしれないよ」と見るのを減らすよう言われている。そして、書くことも、なるべく控えている。

自分が発信したことは「必ず正しくはない。多様性がある。自分の意見が正しいとは限らない」こと、自分の発信した情報に責任を持たなければいけない重責が出る。

だから、書くことにはTwitterに関しては、言葉を選ぶようになった。

今朝、「手作りお弁当のコストは高いのではないか?コンビニ弁当や学食でもいいじゃないか?」というツイートを見て凍りついた。

Instagramを今まで一度やめようかと考えた出来事が「お弁当」に絡んだものだった。「まずそう」という一言にかなり傷ついた。

そりゃ、お弁当は確かにコスパ面を考えれば、やり方次第では高いし、母親は面倒。そりゃ疲れる。持病を持つ私には、この中学3年間は地獄だった。

しかし、学校の校則や設備面の事情、家庭事情でお弁当作りが必要というケースはあるので、お母さんが大変でも作らなければいけない。

我が家も、学校側から入学したての1ヶ月間は学食利用禁止。禁止理由はクラスメイトと馴染む為。その後、学食利用は開放されたけれど、あまりおいしくないのと、中高での学食争いが怖くて利用していない。

私の兄は、お嫁さんをガンで亡くした時、二人の子供のうち上の子は、中学生でお弁当が必要。高校では学食が老朽化していて味が悪いからと、子供が自分でお弁当を作っていた。

今では下の子も中学生なので、子供二人でなんとかお弁当を自作している。

各家庭でこだわりや事情がある。ツイ主さん、あとで「市販品の多種多様さ。自分が世の中心と思ったらいかんね。」と反省はしたけれど、全くその通り。

お弁当に限らず、考え方には多種多様がある。「これが正解」ということはまず少ないし、やり方次第ではいい方向に流れが進むから、一時の考えや思いだけで、しかも拡散力がSNSの中では早いTwitterで話すことではない。

私は、過去に質問箱でのお弁当の意見は、かなり心をぐちゃぐっちゃにされた。唯一救ってくれたのは、娘の「ママが大変なのはわかってるし。できる範囲でいいんやで。」と言ってくれたこと。

その後、クラスメイトのお弁当事情を聞いてみると、「Instagram映え」をするお弁当を持ってきているのはわずかだし、恵方巻をそのまま持たされたお友達もいる。

SNSでの発信は、誰もが手軽にできるようになった。でも、一時の感情で書いてはいけないし、書かなくてもいいことはある。

ただ、論争になるのではないかというネタを投稿すると、とんでもないことに巻き込まれるとリスクはついてくるから、自分の考えだけを押し付けない、お気軽な投稿で楽しむのがよいと思う。

発信力でいいことが起きるかもしれないけれど、その後の反応に対しては、十分注意。ほんわかした投稿は、ついイライラしがちな心を溶かすので、それは大歓迎!

私は、心がほぐれて安らぎがくる、ほどよいジョークが聞いた投稿は好き。自分もそのような投稿ができるように、自分の書くことを振り返りながら、投稿するようにする。

画面の向こうには、見知らぬ人がたくさんいるのだから、多種多様さを忘れずにね。


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