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内務省と警察が記録した戦時下の「くだん」の話

 体は牛で、頭が人、生まれてすぐ人語で予言をし、言い終わると死んでしまうという「妖怪くだん(件)」。

 古くは江戸時代・天保年間の瓦版にその姿が描かれ、幕末、日清・日露戦争、太平洋戦争でも出現したという。さらに山口県文書館では阪神淡路大震災や東日本大震災の時にも「くだん」の噂があったと紹介している。

 さて、この妖怪「くだん」だが、東京大空襲について調べていたところ、なんと特別高等警察を指揮下に置く内務省警保局保安課の資料に出てきた。

 「くだん」が登場したのは昭和十九年四月十日付の『思想旬報』第二号。

 「戦争の終局近しとする流言」の一つとして、「〇〇で四脚の牛の様な人が生れ此の戦争は本年中に終るが戦争が終れば悪病が流行するから梅干と薤を食べれば病気に罹らないと云つて死んだ」との話が出ている。

 正確には「くだん」らしきものの噂だが、巷間伝えられている特徴と一致しているので、間違いないだろう。

 また、別の流言として「〇〇で白髪の老人が底の無いトックリを下げて酒を買ひに来たので之に酒を入れてやると此の戦争は近い内に終ると云って出て行つたので後に附いて行つたら途中で消えた」という話も書かれている。

 さらに『思想旬報』第七号(昭和十九年六月十日)では、山口県下松市立青年学校の女子生徒が「或る白げの生えたおぢいさんがふろしきを持って『酒を二合程くれ』と言ったそうだ。だからそれを上げたら、此の戦争が終わったら必ず大病気がはやると言われて姿を消したそうだ」という噂話を耳にしたことが掲載されている。

 これは警察が国民の思想動向を調査するため、下松市立青年学校の女子生徒を対象に行ったアンケートで、4月中に身の回りで見聞した「特意事項」について回答を得たもの。その中で『思想旬報』第二号に出ていた「戦争が終れば悪病が流行する」と予言した話と「老人が酒を買いに来た」話が混ざっているのがとても興味深い。

 内務省警保局保安課はこうした世間で伝わるものに対して「何れも迷信に基づくもの」とし、「食糧不足に関連する流言の激増と相まって治安上相当注意を要するところなり」と結んでいる。

 いずれにせよ「くだん」のような怪異が、治安当局の公的な資料に記されていることが確認できたのは、ちょっとした面白さがある。

 それと同時に、国民を監視するため子供を使ったり、何気ない噂話も記録し、場合によっては流言を流布したとして拘束する当時の体制に怖さを感じた。

 昭和19年(1944年)というと、日本が破滅への坂道を加速度を上げて転げ落ちる年だ。前年には学徒出陣が始まり、2月の決戦非常措置要綱の閣議決定に伴い、学徒勤労動員の通年化や高級料理店、劇場などの休業、旅行制限もさらに強化された。

 6月にB-29による本土初空襲が行われ、7月にマリアナ諸島が陥落。さらにインパール作戦が失敗しビルマ戦線が崩壊した。10月にはフィリピンの戦いが始まり、レイテ沖海戦で連合艦隊が壊滅する。

 海上交通路はズタズタに引き裂かれ、同年末の船腹保有量は開戦時(1941年)の40%にまで低下。前線に兵士と装備は送れず、本土への資源・物資の輸入ルートは途絶えつつあった。

 食糧や生活必需品の不足が深刻化し、国民の戦意はすでに崩壊の兆しを見せていた上、軍や企業が闇取引に公然と手を出したことで、軍への不信の度合いは増していく。

 「軍部及び政府に対する批判、逐次盛りとなり動もすれば指導層に対する信頼感に動揺を来たしつつある傾向あり。且つ国民道義は退廃の兆しあり。また、自己防衛の観念強く、敢闘奉公精神の高揚十分ならず、庶民層には農家に於いても傍観自棄的風潮あり」(昭和20年6月8日、御前会議報告第一号「国力の現状」より)

 身近な人が戦線へと送られ、生活は厳しさを増し、娯楽も何もかも消えていく時代。戦時下の「くだん」は、戦争が終わってほしいという誰かの願いが生んだものなのかもしれない。

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