雨の日の過ごし方

雨の日の過ごし方について書く。
※但し、休日に限る

朝、自然の音で目を覚ます。
アラームやLINE、電話の音に起こされるのではなく、あくまで自然に、である。そして気がつく。

「今日は雨か。」

前にも書いたが、雨の日は外から聞こえる音が増える。車が走る音、遠くから聞こえる子どもや犬の鳴き声。それらの音をより強く響かせる効果が、雨にはあると私は思っている。

カーテンを開け、部屋に自然光を注ぐ。窓を開け、空気を循環させる。5月の朝の風は、非常に心地が良い。

朝ご飯を用意する。
お味噌汁、納豆、白米。しっかりと味わい、幸せを噛みしめる。美味しい。

雨の日は、テレビはつけない。外から聞こえる自然の音に耳をすませる。非常に良いBGMである。

洗濯物を干す。本当は外で干したいのだけれど、雨の日は仕方がない。
でも、ふとしたときにお気に入りの柔軟剤がふわっと香る瞬間はとても良い。干している服やタオル、下着の色合いが自分好みであると尚嬉しい。(あくまで狙わず良い配列になっていることが重要)

丁寧に洗い物を終え、食事を終えたことをしっかりと把握させる。そうでないと、ダラダラと食べ続けてしまうのだ。それは、快適な時間を過ごすことの妨げになるので注意。腹が減っては戦は出来ぬと言うけれど、満腹すぎることは更に問題である。

少し落ち着いてから、私はコーヒーを飲む。
お気に入りのコーヒーは、封をあけた瞬間から幸せを感じる。ゆっくり、ゆっくり、香りを楽しみながらお湯を注ぐ。注ぎ方もポイントだ。
コーヒーはブラック派である。ミルクや砂糖を入れて飲むのはあまり好きではない。

コーヒーを飲みながら、「今日は何をしようか」と考える時間が最も好きだ。許されるのなら、一生この時間が過ぎないでほしいと思う。

昼前になると、家の前を走る車の音が忙しくなる。隣の部屋から、昼ご飯を用意するレンジの音がしたり、たまにいい匂いがすることもある。炒飯かな。

炒飯と言えば、実家にいる頃、休日のお昼ご飯は専ら炒飯かうどんだった。少し硬めのご飯で作られた、ちくわ入りの炒飯。「また炒飯〜?もっとちゃうの食べたい〜」と不満を呟いたこともあった。今思えば、大変失礼な話であると思う。毎日欠かさず三食、家族のご飯を用意する母親を、今は心の底から尊敬している。

朝ご飯をしっかり食べたので、正午を過ぎてもお腹は空かない。お腹が空くまでは食べないのが大人であると知ったので、最近はそれを意識するようにしている。
私は大人なのだ。気がつけば今年24になる。小さい頃想像していた24の自分とは、幾分かけ離れている。当たり前に彼氏がいて、何ならもうすぐ結婚するぐらいのものだと思っていたのに。現実は、まだまだ自分の機嫌も取れない子どものような24歳である。

本を読むことにする。私は本が好きだ。最近は映像化される小説も多いが、私は活字で物語を追いたいと思う方である。自分なりに考えた登場人物像や声、描かれている風景を想像できるからだ。映像は、演じている役者さんのイメージや挿入歌、風景などが強く残ってしまう。それはそれでいいのだけれど、自分なりのイメージを描くことが好きなので、私は活字を好む。

昔は雨が嫌いだった。今も、外へ出なければならない日に、雨が降っているのは嫌いだ。
けれど、昨今は不要不急の外出自粛を求められているので、無理に予定を組む必要がない。家にいたければいくらでもいられる。そんな日には、意外と雨の音が、私の休日を彩ってくれるのかもしれないと気づいた。むしろ、休日は雨の音があった方が落ち着くかもしれない。

ほら、どこからか、香ばしい香りがしてきた。何かを炒めたような美味しそうな匂い。時折聞こえる食器がぶつかる音も心地良い。

さまざまな生活音、漂ってくる香り、小鳥の鳴く声、すべての音が雨の音に紛れて聞こえ、晴れた日よりも音に統一感がある。それが心地良さの理由かもしれない。

あんなに嫌いだった雨を楽しめるようになった。
状況や視点が変われば、物事の新しい一面に出会うことができる。

雨の日は、きっと思っていたほど悪くないのだ。

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