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連載note小説「藤塚耳のコーライティング」第2回

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「耳祭り」まで、あと18日

「おはよう、耳さん。今日のファッションも、素敵ですネ」
 耳がアップしたインスタグラムの自撮り写真に、また同じ人物からコメントがついた。耳は普段ならそれを小石のようにスルーして「ありがとうございます♪」と機械的にコメントを返すのだが、今朝はそうはいかなかった。コメントの最後の「この前のショッピングの時に買った服かナ(汗)?」という一文があまりにも気がかりだったからだ。
 耳の路上ライブには、さまざまな客がいる。少し足をとめ、すぐ立ち去る通行人。若いカップル。待ち合わせのあいだだけ耳をかたむけてくれる人。それにまじって、毎回顔を出してくれる、いわば「ファン」が存在する。最初は二、三人だったのが、いつしか毎回の常連が数十名という有様だ。基本的に、ありがたいことだ、と耳は思っている。たったいまインスタグラムに新規コメントをつけたこの人物も、その常連のうちのひとりだ。リアルでの常連は、ネットでもコア・ファンだ。すべてのSNSの更新をチェックして、そのすべてに律儀にコメントをする。その律儀さは、リアルでも変わらない。なかには「急だけど、XX駅前で今夜歌います」などと書き込みをすれば、まず間違いなくそこに来てくれる、そんなレベルの「コアファン中のコアファン」が存在する。この人物も、そのひとりだ。
 この書き込みの主のことも、完全に藤塚耳は把握していた。リアルでの姿と「wisteria_mound_ear_0303」というアカウント名は、耳の記憶のなかでよれよれの紐でつながっている。路上ライブを遠巻きに眺めている。じぶんがどう見られるかを気にしたことがないような服装(いまのような真冬の時期なら、ずんぐりむっくりなまあるく垢抜けない風貌をさらに膨張させる真っ黒なダウンジャケット)で、微妙に視線があわないようにあさっての方向を眺めながら、曲が終わるたびにどんどん近づいてきて、勝手に写真を撮る。撮影OKとたしかに告知してはいるが、だからといって撮りほうだいというふうに大概の人は考えない。最後の曲が終わると、中途半端な声量で話しかけ、そのままずっとそこで話し続ける。話の中身は、じぶんの話だ。耳はもちろん、この人物にたいして良い印象は持っていなかった。持つはずもない。一方的でバランスにかけるコミュニケーションの雰囲気は、インスタグラムのアカウント名にもあらわれていた。Wisteria_mound_ear_0303。藤塚耳、を直訳して、誕生日を最後につけたアカウント名。普通、それ本人が使うだろ、と耳は思う。本人が使いそうなアカウント名は取得せず空けておこうとか、ちょっとでも他の人がみたときに印象が良さそうなアカウント名にするとか、そういう発想がない人物なのだ。それから、あきらかにインスタグラム自体には興味はないとわかる、ただ藤塚耳を追いかける目的なのが明確な、そんなアカウント。とはいえ金払いはいい。ライブには必ず来てくれる。物販のCDやノベルティ・グッズは必ず買ってくれる。ふざけてオンライン限定で販売した「藤塚耳オリジナル耳かき」は、この人物により買い占められ品切れになった。そのことをものすごい小声で「ぜ、全部買っちゃったんだァ・・・」と本人に曲終わりで声をかけ、そのままずっと話し続ける。別にいいのだ、と藤塚耳は思った。女性シンガーソングライター仲間に聞けば、そういうやっかいな客は、少し人気が出れば誰しも必ずひとりやふたりはついている。ポジティブな言い方をすれば「太い客」だ。めんどうを起こさず、ほかの客が引くほどの熱心さを見せなければ。
 だからこそ、けさの書き込みは気になった。「この前のショッピング」という文章だ。たしかに自撮りしたときに来ていたカジュアルなニットは、ついこの前友達と新宿のルミネで買ったものだった。オンラインは捕捉されるつもりで、出したい告知やイメージだけを出しているから、いい。リアルでもこのひとは、こっそりわたしを見ているのだ。

「耳さんの声は遠くまで抜けるような透明感が魅力! と私設応援団長(爆)は思ってるヨ。去年のバスラで聴いた聖子ちゃんのスイートメモリー小生は忘れられません汗 もっともっと、あんな懐かしい優しい曲も聴きたいナ」

「耳祭り」まで、あと17日


「この前も言った通り、私の音楽を、みんなに破壊してほしいんです」
 耳は自分で言って笑ってしまった。普通、こんな事言われたら引くよな、と思う。
「大事なことなので二回言った、みたいな感じですかね」
 ナオトはいったん冗談で受け流しつつも、ホワイトボードに「破壊」=「そのあとは?」と書いていく。ホワイトボードといっても実物ではない。オンライン会議システム「ZOOM」では各々の参加者が自らのコンピュータ上の画面表示を、会議の参加者に対して共有することができる。今のように議論しているときは、ホワイトボードアプリの画面をシェアすればよい。もちろん「コーライティング」で必要なら、音楽制作ソフトの画面をシェアして、音声アウトプットも一緒に聴きながら、ああでもない、こうでもないと議論をすることができる。
「そんなに壊す必要なんて、ないと思うんですよねえ」とナオトはのんびり言い放った。「おととい、ミーティングのすぐあとに送ってもらった音源、すごい良かったのに。」
「花束をあなたに、ですよね。路上ライブの定番曲なんです。」
「声もいいし、曲もきれいだし、あれ、宅録(自宅録音)でぜんぶひとりで、ピアノもボーカルも、録音したんですよね? これだけひとりでやれるなら、そこから可能性を広げていくほうがいいと思うんですよね。破壊って、どういうことですか?」
「すっごい、もう、皆さんを信じて言うんですけど」と耳はたたみかけた。「ありがたいことにファンの方も増えて、路上やっても、けっこう警察に止められるくらいには、人だかりができて。そこでグッズとしてCDも売れて。」
「いいじゃないっすか。そこまでいける人、なかなかいないですよ」
「ただ、そうすると、……ありがたいことなんですよ? ありがたいことなんですけど、同時にちょっと、言い方難しいですけど、変わった人も、増えちゃって。」
 うん、と、それまでただ一言もしゃべっていなかった工(たくみ)が、やはり一言もしゃべらないままに、深くうなずいた。工はトラックメーカーだ。おとといの、最初のミーティングでも、結局かれは一言も話さなかった。表情もうかがいしれなかった。ただ一度だけ、自分のつくった音楽のURLをチャット機能を通じて送ってきた。一聴して、一緒のチームになれてよかった、と思った。毎日だまってじぶんの音楽に没頭してきた人間だけができる、時代と自分の座標軸がぴったり直角にクロスした音だった。なにもしゃべらないけど、説明もまたいらなかった。地球上のどんな街角でも、海辺や洞穴でも通用する、ボーダーレスなサウンドだった。
「工くんも、バンドやってたからね。似たような経験というか、じぶんじゃなくても、まわりの女性ボーカリストって、同じような目に遭ったりしたんだろうね」
 工はまただまって画面の向こうで軽くうなずいた。
「よくありますよね」と耳は工に同調する。「熱心にライブにきてくれるのはいいんだけど、そのうち当たり前のようにオール・スタンディングのライブハウスで、最前列に陣取ってみたり。終演後の物販コーナーで、空気もよまず延々わたしに話しかけてきたり。それも、盛り上げてくれるんだったら、ありがたいんですよ? でも、なんだろう、なんていえば、いいのかな。「心で盛り上がってくれてるんだ」とか、言い聞かせてますけどね。」
「棒立ちなんすね。」とナオトがひきとった。「しぶいなぁ。それ、うしろから見たら盛り下げにきてるのと一緒ですからね。物販の件も、どけっつうの。」
「こういうひと、SSWおじさんって言うんです。けっこうここ最近、問題になってきてるんですよ。」
「SSWおじさん」とナオトは言った。
「SSWおじさん、でちょっと検索してみてほしいんですけど」と耳は言った。「エスエスダブリュー、SSW。シンガー・ソングライターのことです。アイドルの女の子たちの、熱狂的なファンの人っていますよね。なんかイメージ、ちょっとおたくぽくって、だけど行動力はあって、仲間と一緒に武道館とかのコンサートで、「推し」のメンバーの子の名前が入ったタオルとか、首からかけちゃって、めちゃくちゃ盛り上がってる」
「グッズとか、山ほど買って」とナオトが続けた。
「そうです。で、いまわたしが言ったSSWおじさんっていうのは、わりと一言でいうと、そこにすら、仲間に入れない感じの人たちなんです。推すことすら、できない。」
 アイドルファンならアイドルファンで、そこにはコミュニティーがあり、コミュニケーションがある。そのコミュニティーに属することもできず、コミュニケーションを取ることにも苦手を感じる、年齢を重ねた男たちが、やがてそのメンタリティーを熟成させ、「SSWおじさん」になるのだと耳は説明した。
「会いに行けるアイドル、にも会いに行く勇気ないし、ましてや夜のそういうお店の女の子たちも無理。キャバクラとかで、使うお金も勇気もない。だけど、路上なら「偶然見かけた」って言えるじゃないですか。それで「また会っちゃったね」みたいな感じで応援してくれたりして。」
「また会っちゃったね」と言ってナオトは天を仰いだ。「マタアッチャッタネ……」とちいさく復唱する。
 アイドルが文字通り偶像として輝いた時代は今や遠い昔だが、等身大で自らの姿をシェアしてくれる現代の「会いに行けるアイドル」すらも、遠く、おそろしく、おっくうに感じる中高年男性。「推し」というキーワードと、そこに命を捧げる男女にメディアの耳目があつまることもある。だがそれすらマジョリティの香りを帯びはじめる。その陰で、そのムーブメントからも排除された人びとが、路上やライブハウスで、いわば応援という幼虫を飼い慣らして、徐々にマウンティングという暴力に羽化させていく。
「なかでもひとり、ちょっとめんどうな人がいて。」と、耳は核心の話を持ち出した。「熱心なファンのかたなんですけど、すごく気持ち悪くて。言いづらいことですけど、ちょっと、ストーカーみたいなことも、何度かそういう思いをしていて。」
 工はなにか、ビートを組み立てるような作業をおそらくはしながら、だまってきいていた。
「この前も、インスタグラムで私が着てた服にコメントしてたんですけど、買った店を特定してる言い方なんです。私も無用心だったかもしれない、どこそこで今から遊ぶとか、友達となにする、とか書いたかもしれない。それで、服を買うところも見られてたんだと思います。それで「この前のショッピングの時に」みたいなこと、コメントされて。私のうしろに、カーテンあるじゃないですか。あ、バーチャル背景だとわかんないか。」
 耳はそれまで部屋の背景を隠すために設定していた「バーチャル背景(顔認証で映像の中から人物のシルエットだけを抜き取り、背景をべつの映像に自動でさしかえる「ZOOM」の機能。部屋を見られたくないが、顔を出して会話する、といったことが実現できる)」をオフにした。デフォルトのサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジの映像が消え、耳の室内が映る。フランフランで売っていそうな白い小物掛けや、実家からそのまま持ってきたと思われる白い子供用の本棚にまじって、それらとは不釣り合いな、防火性能だけを重視したかのような無骨なカーテンが、部屋のいちばん大きな窓をかくしていた。
「これも、TikTokで知ったんですけど」と耳はつづけた。「ストーカーになるような人って、かなり早い段階で住所を特定したりしてるらしいんです。それで遠巻きに、ずっと見ている。だけど部屋番号までわからないケースも多いらしいんですけど、そこで相手が特定するのに手掛かりになっちゃうのが、窓らしいんです。ちょっと女性っぽいと思われるような、色、それから柄。そういったカーテンで、最終的に特定されちゃう人もいるみたいで。それで、ちょっとやばいな、と思うようになってから、カーテンをつまんないやつに取り替えたんです。」
「けっこう、とっくにファンの域超えて、マジな感じだってことはいま伝わりました。」とナオトは返した。工も手をとめて聞いてくれている。
「今のところ、まだ路上ライブがこわい、という程度なんです。こちらから事前に告知した場所にあらわれるのは計算済み、人通りの多い場所だし、なんとかなる。じっさい、路上ライブが終わっても、いつまでもずっと、ちょっと離れたところからわたしを見てるんです。時々「何曲目よかったよ」とか申し訳程度に声をかけたあと、なんだか中途半端にうしろにさがって、また見てるんです。わたしがコールマンのキャンプ用の台車に小型スピーカーやキーボードスタンドを全部のせて、さぁ帰ります、っていうときにも、ずっと動かずに見ていて……。」
「シンプルに怖いっすね。暇なのかな」ナオトは言った。
「一度路上で話したときは、医師だって言ってました」
「医師」とナオトは言った。
「まぁ、フェイスブックつながって……なんか申請されて、ファンの人は断らないようにしてるんで、申請受けちゃったんですけど、プロフィールみたら、ちょっと違いましたけど」
「嘘なんかい」とナオトが笑った。
「そういうところも、なんですぐばれる嘘つくのかわからないし、嘘のプロフィールとか、ぜったい怖いじゃないですか。」
「たしかになんか、そいつの闇、見えますね。ふつうの人なら、まずストーカー対策というか、会わないように、ばれないように、とか、相手に警告する、とか、色々ある。でも、相手が自分のファンっていう構図は難しいですね。ライブだって、やらないわけにはいかない。」
「そのライブなんですよ。」といって、耳はオフィシャルブログの画面を「ZOOM」に映した。
「この先も、そこそこ大事なライブが控えてるんです。でも、このままだと絶対、その人もきますよね。わたし、そういうのやばいと思っていて。もういやなんです。」耳は言い切った。ナオトと工もうなずいた。
「それが、音楽を破壊してほしいっていう話につながるんです。」耳は言った。「このままだと、ストーカー行為は止まらない。そうしたら、こっちが逃げるか、むこうが離れるかの二択ですよね? だけど、公の場にでることはさけられない。そうなると、公の場にでるけど、むこうが、もう、そこにこない、そこにいきたくもない、と思って、そう、離れてくれるしかないんです。」
「ファンの夢、壊しますか。いや、ごめんなさい、必要だとは理解したんですけど。」ナオトが言った。
「って話になるじゃないですか。アーティスト活動してる上で、ちゃんとしたファンの人を、裏切るようなことはしたくないし、実際それじゃごはん食べていけないから、ファンを減らしちゃだめなんです。」耳は言った。
「そこでですね、ナオト先生の! コーライティングの出番なんですよ。」沈鬱な空気を吹き飛ばすように、わざと耳が「もうけ話」のように持ちかける。
「私の音楽を、コーライティングで、化学反応で、生まれ変わらせたいんです。遺伝子組み換えして、べつの生き物になるようなかんじ。」
「破壊って」とナオトが言った。「破壊だけじゃなくて、創造もコミなんですね。」
「もちろん」と耳が言った。「つくるんです、あたらしい音楽を。SSWおじさんが失望するような「あたらしい音楽」をつくる。いままでのわたしじゃない、だけど借りものでもない、生まれ変わった新しいわたしの音楽。」
「だから、コーライティングなんすね。」とナオトが言った。「花束をあなたに、じゃだめな理由、やっとわかりました。たしかに、言っちゃ悪いけどあの曲は、なんというか、付け入る隙のようなものを与えるタイプの曲です。」工がちいさくうなずいたのが、耳には少しおかしかった。でもこの人もすっかり理解しているようだ、と耳は思った。
「親が音楽好きだったんで、古い音楽をけっこうたくさん聴いてきました。花束をあなたに、だけじゃなくて、今までのライブでの私のレパートリーは多かれ少なかれ、ちょっとそういう伝統に忠実というか、保守的で古い音楽だったと思います。たぶん、ピアノを弾きながら歌う、というスタイルがそうさせたんだと思うし、もちろん当たり前の話ですけど、私はそれらの曲を本気でいいと思って、歌いたい、伝えたいと思って書いたから、今でも大好きです。ただ、お話をしたようにちょっとそういう悲しい最近の状態があるから、残念だけど歌えない。安全のために、歌えないんです。」
「すっかりわかりました。」とナオトは言った。「その手の気弱なおじさんが、ストーカー行為をするような、付け入る隙を与えないような曲を作ればいいんですね。昭和の歌謡曲が好きで、バラード歌ってる女の子に勘違いして恋して、だけど素直に、推し、とも言えなくて、こじらせてマウンティングしちゃうような、そんなおじさんを絶望させる、最先端でグローバル・スタンダードで、いまという時代としっかりクロスしてるもの。アメリカのチャートに入っててもおかしくないクオリティで。」
 耳はうなずいた。誰よりもテンションがあがっているのは工だ。もう手を動かしはじめているのが、画面越しにわかる。
「その通りです。なんとかその人が、私に失望してほしいんです。こんなの藤塚耳じゃない、藤塚耳は変わった、昔のほうがよかった、もうファンやめるわ。って思って、勝手に怒りちらして、わたしから離れていってほしいんです。」
「そうじゃないと、いつまでもそのおじさんが、つきまとい行為をやめてくれないってことですよね。だけど自分らしい音楽をつくっているだけじゃ、そこにある個性に惹かれて、またおじさんはやってくる。」
「そうです、だから、コーライティングが必要なんです。わたしのピアノの、プライベートな弾き語りに、しばられたままではできない。ほかのわたしの可能性の中に、とんでもないものだってあるはず。」
「自分だけじゃ越えられない壁を、コラボレーションで越えることが大切。ずっと頭ではわかったつもりでいたんですが、こんな切迫したコーライティングは初めてです。でも、ちょっと詳しく進めましょう。というか、工くん、もう始めてる気配、ありありですが。」ナオトは笑った。
「防犯上の理由によるコーライティングかぁ」

(続く)

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