金儲けはくだらない。

夢では食えない
夢を叶えた時の恐ろしさを奴らは知らぬ

考え方

①全く新しいRPG作品に、
全く新しい効果音を生み出す。
②その効果音をベースに、
一つの作品を生み出す。
③こそっと、
 勇者が世界を救う
 ベタなエンディングの中で
 いつも見る一番弱い、
 ゴブリンのような
 取るに足らない雑魚敵の断末魔が入る。

だめなら、振り出しに戻る。
才能が認められ、ごく普通に評価する。
まあ、それも良いでしょう。
みんな、面白かったんですから。

A.どこかのタイミングで、
 言ってもない内に誰かが気づく
 (本当に、そのようなことが人間にできると思うほど、私は甘くないです)
B.作者の不慮の死または、
 作品の不発により誰も気づかずに終わる。
 無念であります。
C.作者が体調不良を起こし、
 つい何かの弾みでポロッとこぼす。
 なお、これをレディプレイヤー1方式とする。

もし仮に、
ここまで上手くことが進んだ場合に

どういうことだったのか?
と作者の録音音声が入る。

ゴジラの鳴き声は、
偉大な発明であり、
それを全ての作品でやってもなお、
オリジナルの加工、
模倣を超えることはできなかった。
つまり、定義の見直しが必要でしかなかった。

ヴィルヘルムの叫びを、
お約束的にどこかで流すやり方も
一種の仲間内の共通認識に思えてならなかった。

そこで、逆の発想をするしかない。
という結論に至ったのである。
エンディングに流れるゴブリンの断末魔は、
何も最初から特別な意味を持たせたかったわけではない。
お金もないし、
素人や身内の声の加工の域を出なかった。

しかし、ここで終わってはいけないのだ。
その断末魔の声をベースにして、
様々な敵の断末魔効果音をを作っていけば、
もはやどれがオリジナルなのか、
誰にも知る由はない。

それでも、
制作に携わった人達は知っているのだから、
それで終わり、というのも1つの手であるし、
仲間内のことなのだから、
公にする必要はどこにもないのである。

つまるところ、
何が動機であったのか、という物事の本質を見誤ってしまえば何も見つからない、
と言うことが言える。
砂粒の中から同じ砂粒をもう1度探すだけのことなので、何の意味もない行動なのだ。

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