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ドラゴンボールは何を伝えたかったのか改

鳥山明さんが亡くなられて、改めて思うのが、
ドラゴンボールは何を伝えたかったのか?
ということである。

とりあえず、自分が感じた要点の3つだけわかりやすく先に書いておきます。鳥山さんのように、ドラゴンを書く自信はありません。竜頭蛇尾ということもあるでな。

1に、ヒトの能力を数値化することには無理があるのでやめること。
2に、生まれた時の状態で未来が決定付けられると言うわけでは無い、と言うこと。
3に、ケガの巧妙ということも時にはあると言うこと(尻尾が無ければ掴まれないし、頭を打って良い子になってしまった)。

何と夢のある素敵な漫画ではありませんか。
人生の教科書はドラゴンボールですね。

溶けた氷の恐竜も何もこのマンガその辺に恐竜居りますがな!?
当時はわけのわからないアニソンがたくさんあるぞ!ふるえろZ世代!
アニメで流した歌って売れるんじゃね?って気づいたの、遅いも遅いで割と最近の流れな気はする。
アニソンがオリコンを支配する…良い時代になったものだな!ポップカルチャーってなんですのん?ってのは最近よく思う。

そもそも、好きには違いないけど全部見てるか言われたらそんなことは全くないいい加減なファンがあれやこれや書くので、見たくない人は見ない方が良いと思います。

そもそも初期とラスボスの魔人ブウのあたりでは同じ漫画とは思えないほどテーマもキャラデザも変わってるとは思います。

フリーザくらいまでは、ドラゴンボールを悪いことに使う奴らとの戦いがメインだったので、それなりの筋は通ってたように思うのですが、セル辺りから何したかったのかと言われるとよくわからないと言えば、よくわからないです。レッドリボン軍を壊滅させた悟空への怨念で生み出された生物兵器なのだけど、ストーリー的な意味よりかは、今までの敵の集大成と、他のキャラクターを吸収してどこまでも強くなる所からどうやって倒すんだコイツ的なインパクトを重視したキャラなんではと思います。
形態が進むにつれて、おどけたりする所もあるのでどこか憎めない所もあったり。
「なーんちゃって」←こいつ


こんな感じに

僕はこう、強い弱いは別にしてただただカッコいいキャラが好きなアホなのでそれなりに面白おかしくドラゴンボールを楽しんでいたクチだったと思います。
80年代に人気があったターミネーターやバックトゥザフューチャー等のSF映画の要素を盛り込んだと思しき人造人間編が個人的には好きです。とはいえ、タイムトラベルを扱った作品の常として、あり得ないはずのタイムトラベラーの介入により、複数の時間軸が存在するというお約束が、特にドラゴンボールではややこしくなっている印象です。
トランクス視点で考えると過去で全盛期の達人の教えを乞うてパワーアップしてから自分の時間軸に帰ってから元々いた17、18号をやっつけたってことだから…それほど難しくは無いんだろうか?そんなこともねえな。とにかく未来戦士トランクスは歴史改変後の時間軸に誕生しないことは確かなのである。
この辺は、比較に出すのが適切かはわからないにしろ、ドラえもんのセワシくんはのび太おじいちゃんがしずかちゃんと結婚しようがジャイ子と結婚しようが結局誕生するという設定の方がわかりやすいと思います。とはいえ、タイムマシンというものが実現するまでは絵空事に過ぎないのですが。

そういう意味では魔人ブウ編のキャラクターに魅力をあまり感じていないというか。とはいえ、元々の設定や世界観に近いと言うことはなんとなく感じるので、ああいうもんだと言ってしまえばそれまでなのかもしれません。まあ、悟飯いうキャラが良い子ちゃんタイプなので人気としてはどうしても伸び悩む気はしますけどな。ちょいちょい非常識な奴んが人気出るで。

この、飲み方!!


ただ、ミスターサタンについては作中初めて武力以外での解決を成し遂げたキャラクターに違いないので、あのキャラの功績はとても大きいと思います。

ミスターサタンは、
大人になると見え方が変わるキャラの代表格である。


となると、荒唐無稽に思えて意外とリアルでシビアなドラゴンボールの世界観が浮かび上がってくるわけですな。
メディアや著名人が伝えることを真実と信じて疑わないのが、一般人というものなので、大衆の愚かさというのはドラゴンボールでは重要な要素なのかもしれません。
あとはまあ、ベジータやピッコロさんとか大体のキャラが丸くなってくのもなんかこう、リアルというか、歳を取ると柔らかくなる人ってすごくよくいるのでそういうことも伝えたかったのかもと思います。人間味とか、人間模様とか。
とはいえ、主人公サイドにお金持ちが多いことは、今の人からすると決して支持されやすい設定とは思わないのですが、昔のキャラクターってお金持ちが多かったかもなってのは、バットマンやジョジョとかにも代表されるわけです。この辺は、時代に合わなくなって来たようにも思います。

あとはまあ、外見的な魅力と内面や実力が伴うかと言われると、必ずしもそうも言えない、というのもドラゴンボールキャラにありがちな気はします。
チチとか悟空さにすらプリプリじゃねえとか酷い言われようなので。そもそもブルマの方が年齢的には上じゃねえかとかツッコミだすと話が変わってくるので、短いシーンながら色々あって面白いですよね。
とはいえ、チチというのがあの世界には珍しく常識人なので、戦闘狂の人たちにはついていけなくなったというか、サイヤ人というのが基本的に大飯食らいでものすごく燃費が悪いという弱点があったりとかで、計算外のことがあり過ぎるので悟飯ちゃんには勉学に励んでもらいたいと思うのは自然な気もする。いうてチチも悟空が死んでからは寂しがったり、冥界から悟空が帰って来た時には老けた自分を見られるのを恥ずかしがったりとか、全く可愛げがないわけではなかったりするんだけど、
やっぱ老けない奥さんもらったクリリンや、食いっぱぐれない超金持ちの娘をもらったベジータの前には全てがちっぽけに思えてしまうというか…

結局世の中真面目に考えるには狂ってる事が多すぎますな。

ドラゴンボールも後年の作品だと、ゼニカネや力比べに囚われない価値観が大きくなって来たように思います。
超はだるいんで見てないんですけど、映画は映画館に行ったり、レンタルで早めに見たりしていました。

神と神からスーパーヒーローくらいの流れかな。
聞いたところによると、神と神の制作のきっかけになったのは東日本大震災で辛い思いをした子供達に、暖かい作品を送り届けたいということでしたので、漫画アニメに出来る社会貢献とはなんぞや?というのがヒット作だから言える結果論かもしれないのですけど、鳥山明作品の使命だったように思います。
アラレちゃんで言うと、メガネをかけるのが恥ずかしく無くなったとか、ドラゴンボールでいうと、野沢雅子が悟空の声でメッセージを吹き込んだテープを贈った病気の少年の余命が伸びたとか、そういう話があるわけです。

となると、人間をこの世に留めておく力というのは、理屈とかでは言い表せないような気がしますね。どうしても。

オカルトとかスピリチュアルなのは、自分もあまり好きではないんですけど、好きに勝る力は無いんじゃないかなーとはなんとなく思います。

ドラゴンボールは、みんなに愛される作品だった。
みんなが好きだった。だから元気を分けてもらえた。そう思います。

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