最も大事な器官

これは医学的知見に基づいた話ではないです。

人間、脳とか心臓とかってのは無いと生きていけないわけなんだけど、僕はロマンチストなのでそれより大事な所があるような気がしてる。

左手がないとおデートで困るから左手の方が大事かもなとか、ちんちん無いと困るなとか。
まあその辺。

走るのが好きだったり職業だったりすると足が大事になる。その人なりの考え方があって良いとは思います。絵を描くなら目と手、音楽に関わる仕事をする人なら耳や声なんてのがそうかもしれない。食べ物を作る仕事なら舌がそうか?とにかくこれに関しては色々な価値観があって良いと思う。
全てにおいて自分を大事にすることに繋がるので、ダメってのは無いかなと。

するとどうだろう、最初に述べたように人間にとって最も大事な期間のはずの心臓や脳だなんてのは必ずしも大事な所とは言えないような気がするではないか。自己犠牲や二次災害なんてのはそんな人間の心持ちが仇になるんだろう。AIが運転する車は乗組員を危険に晒してまで人を轢くことを回避することはないだろうが、人間はそれをやる。罪や後悔を感じる習性があるからだ。皆がそうとは言わないだろうが自分が死ぬことで目の前の人の死を回避できるのであれば、それを選ぶのも人間という物なんだろう。だから美しい。

詰まる所、心が大事であり、心が伴わなければ虚無を生きることに繋がるのでそこに幸か不幸かなんてのは存在しないのだ。思考停止の状態である。
拙い出来でも一生懸命やったことへの努力を讃えるのは、そう言ったことから来るのだと思う。
子供の絵は伸び伸びしてて良いだとか、そんな心持ちだ。それがいつの間にか上手い下手だの食える食えないだの見る側に媚びるだの、成長につれて無限にも思えるようなハードルが当然のように要求される。優しさが無いから、心もない。心ない人とはそういう物だ。
最初は見る方もやる方も遊びとして、楽しいからと言うことが動機で目的だった筈なのにいつの間にかより無難な物にしようと、他人にそれを求めようとしてはいないだろうか。

結局優秀か、価値があるか、かけがえが無いかなんてのは二の次でリスクを避ける人の考え方生き方なんてのは「無難」に過ぎない。
そのような在り方が求められるのは仕事、組織に限った話で面白いかどうかなんてのは存在すら許されずただしんどいだけになってしまうだろう。

勿論、面白いだけで生きていけるなんて楽観的なことを言うつもりも毛頭ないのだが、楽しいかどうかはモチベーションとしてかなり大事であるし、取捨選択のバランスを取らなければ虚無を生きることになりかねない。
そしてありもしない際限のない発展や生産性や収益などといった虚構の物差しで物事を考えるようになるのだ。
行き届いてしまえばそれはインフラとなり必要不可欠な物になる。そこから利益を生むことは難しくなり、維持にコストを掛ける中でやがて人は価値やありがたみなんてのを感じにくくなってしまうのだろう。

無くしてわかる尊さなんてのは虚しいだけ
その前に感謝ができていれば希望を持てる

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