キャンプに行ってきた
学童のボランティアを細々としていたところ、勢い余って学童主催のキャンプに参加することになった。雪山で小学生と3日間過ごすという、誰にも説明がつかないことをしていた。
朝の6時半に学童の前で受付をしていると、親御さんが子供を送りに来る。バスに乗り込む子供を、励ましと心配が入り混じった表情で眺めている親御さんを見て、自分もこうやって育てられたのかと感傷に浸っていた。子供を送り出した親御さん達は颯爽と自転車に乗り仕事に向かう。その背中に、子を育てる親の強さを垣間見た。そこには、俺が普段接している若者の恋愛やキャリアの競争模様とは別次元の世界がある。自分が他人に認められたり、他人に先んじることよりも、はるかに大切なことがある生活。結婚した同期はもうそこに足を踏み入れようとしているのだと気付いて、時の流れに驚いた。自分もいつかそちら側にいくのかもしれない。それどころかこの子供達もいつかは…。
バスでは女の子達がずっと(G)I-DLEのQueencardを歌っていた。男の子達はBling-bang-bang-bornのラップを頑張って練習していた。俺も家で同じことをしているのでシンパシーを感じつつ、自分はこのままでいいのか不安になった。バスに4時間揺られた後、想像を絶する田舎に到着した。
今回のキャンプの目的は、子供達の「センス・オブ・ワンダー」を育むことだとキャンプ長(元館長のおっちゃん)から言われていた。
そんなわけで、俺もガキ共にセンス・オブ・ワンダーを授けようと息巻いていたのだが、むしろセンス・オブ・ワンダーが育まれたのは自分だった。
スキーやオリエンテーリングの準備をするために、キャンプ長と二人で雪山をよく歩いた。いつもはつけっぱなしのイヤホンを外しているから、色んな音が聞こえてくる。雨が降りそうなことも風で分かる。辺りは一面の銀世界。木に積もった雪が風で舞い、陽の光に照らされて宝石のように輝く。その様子を見ながら、これが一番美しい粉雪なのだとキャンプ長が教えてくれた。イヌイットの言語には雪の表現が沢山あるらしい。イヌイットの人たちはこの宝石のような粉雪のことを何と呼ぶのだろうか。
雪山を歩くと、暇なので色んなことを考える。みんなオフィスにいるのに俺だけなんでこんなところにいるんだとか。それで、命の有限さについて考え始めた。ここではゆっくりと時が流れているけど、雪は溶けていくし、確かに季節は移り変わっている。自分もそうやってあっという間にこの世を去るのだとしたら、自分一人でできることには限界がある。一方で、この世の中にはあまりにも多くの課題がある。明らかに人類はまだ形成過程にある。だから、俺は自分が成功するだけではなくて、周りや次の世代の可能性を引き出さなければいけない。もっとリスクをとって、その人なりの挑戦をする気にさせないといけない。
最終日の夜にはキャンプファイヤーを囲んで、満天の星空を眺めた。煌々と輝くオリオン座を見ながら、中学生ボランティアの恋愛相談に乗っていた。織姫と彦星みたいな恋愛をしていたので、お金を貯めて直接会った方が良いと指南してみた。どんな結果になってもチャレンジすれば良い思い出になるからとドヤ顔で語りつつ、それは今の自分もそうだと思った。
そうこうしている間にあっという間に3日間は終わった。帰りのバスでは小学生達の感想を聞いていた。短い間にものすごく成長したことが感じられてとても嬉しくなった。俺は二日目に遭難しかけたグループを救ってみんなから全幅の信頼を得ていたこともあり、誰か褒めてくれるかなと期待していたところ、浪人をめちゃくちゃイジられた。お前らもそのうち浪人するからな。あれ大変だからな。親も。
何はともあれ、みんな大いに楽しんだらしい。俺も楽しかった。身体がバキバキになったので、しばらくジョギングをサボろうと思う。
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