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5/16月:イレギュラーのレギュラー化には意識的な選択を。

昨今の情勢下でマスク生活に慣れてしまい、マスクが不要な感染状況になったとしてもマスクを外したくない、と言う若者がいるらしい。それは、マスクの下の素顔を見せるのが恥ずかしい、という感覚のようだ。

思い返せば、私が小中学生のときにも、夏でも冬でも関係なくマスクをつけて生活している子が何人かはいたなぁと思い出す。

その当時は、私に人の気持ちを慮る能力が皆無だったから、ただ単に衛生に気を遣っているだけなのかと思っていたのだが、そういう子たちは、実は彼らと同じような感覚を持っていたのではないか、と今になって思う。

私は今でもマスクをつけるのがあまり好きではないのだが、よくよく考えてみれば確かに最近のマスク生活の中で、自分があまり話したくないとき、表情を読まれたくないときなどは、少しマスクに頼るような気持ちになったことがあるから、それと似たような感覚なのかもしれない。

これは1つの例に過ぎないかもしれないが、こうして何かの脅威への対策について、従来はイレギュラーだったものが徐々にレギュラー化することについて、私は警戒している。

分かりやすい例で言うと、今のテレビ番組を見るとほとんどの番組が、共演者が離れた立ち位置にいたり、アクリル板を挟むのが当たり前になっているだろう。これはイレギュラーがもはやレギュラー化した例と言っていいだろう。

そしておそらく、この文化はあと数年は続くことになる。それは、誰もやめようと言い出さないだろうからだ。いずれにしろ、感染対策という名目で出演者を減らしたり、ロケをやめてリモート収録にした方が経費が少なくて済むから、元に戻す必然性もなくなってしまっているのだろう。

このような感染症によって最も制限される活動の一つが、人間が多数集まって行う集団活動だ。

私の所属する子育て団体も集団活動を主軸にするものの1つであるのだが、今回の状況下での対応として良かったと思っているのが、安易に集団活動を止めなかったことだ。

確かに、社会が混乱していた2020年の4月からの数か月間は、直接的な活動はストップした。しかしそれでも、なるべく人が普通に集まれるように、妥当な感染対策をして早いうちに元のスタンスでの活動を再開した。

もしここで例えば、当分の間集団活動を止めたり、オンライン活動に切り替えるなどしていたら、それがいつの間にかレギュラー化してしまって、当時の形態に戻ることはもはやできなくなっていただろう。

それほどまでに集団活動を重視するのは、やはり人間、特に子どもたちの発達・成長には直接的な交流ができるコミュニティが必要だからだ。

私たちにとって本当に守るべき価値とは一体何なのかを見極め、何をやめ、何を守るのかをその都度意識的に選び取っていく必要があるのだろうと思う。

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