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出来事はすべて最善である。

倫理法人会での学びの中でも、自分に起きている出来事は、すべて最善の出来事だととらえなさい、という教えがある。

なるほど、と、頭で理解したところで、ちょっとした想定外の出来事や、おもてたんと違う、という状況になった時には、すぐにぐらついてしまう自分がいる。

首里城焼失という出来事を最善だととらえるのはなかなか難しかったりもするように、ちょっとしたことならともかく、人生を大きくゆさぶる出来事をすべて最善ととらえる事は難易度が高い。

先日、スピリチュアル系の女子二人とランチ会を行った。

そこで会話してると、私の後ろ向きな発言があると、即座にセッションとなり、出来事をなにかと結びつけてるのは自分自身であり、選択にすぎませんよ、と、アドバイスが入る。なるほどな、と、気づかされるのだ。

印象深い現象として、会話してる最中、急に、コーヒーカップの皿にカツンと音がして天井から何かが落ちてきた。見ると小さいムカデである。えっ、なぜに?と思うし、小さいムカデだからいい気分ではない。ところが、その現象を見た女子達は、ほら、虫も、そうそう、って言ってるよ、というのだ。

さらに、会話してると、携帯のメール着信音がポンとなる。すかさず、ほらほら、携帯もそうそう、って言ってるよ、となる。

彼女たちは、このように、偶然に起きた現象を、自分にとって最善の解釈に置き換えて、さらっと、流しているのだった。

倫理の生みの親の丸山敏雄さん。60代の若さで亡くなる最後の言葉が、「これでよい」だったらしい。倫理というものを立ち上げてこれから、という時期であるから、周囲の人の悲しみは大きかっただろうと思う。

偶然の連続の日々。そして、なにかを選択する毎日を今日も生きるのだ。

すべては最善である。この心がけは、大きな力を生み出してくれるのではないだろうか。

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