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サイドノック式シャープペンが好きで入社したら廃番になった話【#忘れられない一本 03】

2022/11 〜 ぺんてるコーポレートサイトでマガジン「ぺんてるの山田です」連載はじめました

2020/11/4 追記:
後日談を書きました→サイドノック式シャープペンを語った私はピアニッシモを復刻していない【#忘れられない一本 番外編】

誰にでも、忘れられない一本がある。
小学生の時に初めて手にしたシャープペンデビューの一本、
持っているだけでクラスの人気者になれた自分史上最強の一本、
受験生時代お守りのように大切にしていた一本。
そんな誰しもが持っている、思い出のシャープペンと、
シャープペンにまつわるストーリーをお届けする連載
#忘れられない一本 」。

ぺんてる社員がリレー方式でお届けしていきます。
第3弾は、ぺんてる入社12年目の、山田さん。
あなたの忘れられない一本は、なんですか?

――――――――――――――――――――――――――――――

急に上司に呼び出されたと思ったら、「シャープペンの思い出について、何か書いて」と言われた。ぺんてるのノック式シャープペン60周年記念として、先ごろ開設したnoteに載せるため、社員の原稿がほしいのだという。

「確か、ドットイー・ティントが好きだって、採用面接のとき言ってたよね。それについて書いてよ」

10年以上前の話を持ち出しながら、どこまでも軽いノリで、上司は言う。

は? である。

ドットイー・ティント。クリア軸のスリムボディ、シンプルなデザインで安価な、サイドノック式シャープペン。
「サイドノック式」とは、一般的なシャープペンが本体の後ろをノックして芯を出す「後端ノック式」であるのに対して、軸の中央付近にノックボタンがついているシャープペンの機構を指す。いちいちペンを持ち替えずにノックできる優れもの、というわけだ。

私が学生時代、ドットイー・ティントを愛用していたのは事実だ。確かに、ぺんてるの採用面接のとき、そのことを熱く語った記憶がある。それはいい。
ドットイー・ティントについて、1本の原稿を書ける程度の思い入れは、それなりにある。なんなら、1万字くらいは書ける。それはそれとして。

このときの、上司への正直な思いは、次の一文で表せる。

ドットイー・ティントを廃番にしておいて、何言ってんだ。

いや、別に、この上司が独断で廃番決定をしているわけではないのだが。
そう、あれだけ面接で熱く語って、そのおかげか入社でき、いよいよこれから自分もサイドノックシャープペンを世に送り出すぞと意気込んだ矢先に、ドットイー・ティントは国内市場から姿を消した。

2020年7月現在、ぺんてるは国内向けに、サイドノック式シャープペンを販売していない。ピアニッシモも、ドットイークリックも、ゴムデールクリックも、いつの間にか、消えてしまって久しい。
そして、私の愛した、ドットイー・ティントも。

忘れられない一本。
どころか、忘れ去られた一本だ。

そんなシャープペンについて、今、ここで、語れという。
敗軍の将は兵を語らず、ならぬ、廃番のシャープペンをぺんてる社員が語る、である。うまいことを言うつもりが、たいして語呂がよくなかった。

まあ、これも仕事のうちだ。
私がこんな極めて個人的な思い出をさらすことによって、いったい、会社の業績にどんな好影響があるのかについては、定かではないけれど。

私の、忘れられない一本の話をしよう。


* * *


私がサイドノック式を愛する理由。
それは、ひとえに効率的だからだ。

後端ノック式の場合、書いている途中で芯を出そうと思ったら、ペンを持ち替えて、一回ノックし、また元のポジションに握り直して、ペン先を紙面に戻すという挙動が発生する。一連の動作に要する時間は、いま計ってみたところによると、およそ0.3秒。

それが、サイドノック式ならばどうだろうか。
ノックボタンは、親指を少しずらすだけで、すぐに手が届くところにある。いちいち、ペンを持ち替え、また握り直すという動作は不要だ。ほとんどタイムラグを感じることなく、書き続けることができる。

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ほんの一秒に満たない時間のことだからといって、あなどってはならない。人間は一生のうちに、いったい、何回シャープペンをノックするだろうか。詳しくは私も知らないが、かつてシャープペンの品質検査において「10万回のノックに耐える」という基準があったと聞くので、仮に10万回としよう。

0.3秒×10万回=3万秒=8時間20分

どうだろうか。
これだけの時間を、ノックに割くことになるのである。時間と労力を、削減できるに越したことはない。

ノックに付随して発生する事故のリスクも、忘れてはならない。後端ノック式では、シャープペンを持ち替えるという動作が不可欠になるわけだが、その際に、汗ばんだ手が滑って、うっかり取り落としてしまわないとも限らない。シャープペンは手の届かないところまで転がっていってしまうかもしれないし、衝撃でペン先を損傷してしまうおそれもある。
ふと思いついた画期的なアイデア、天才的な閃きを、それで書き留め損ねてしまうかもしれないのだ。これは人類にとって、大いなる損失である。

だいたい、持ち替えるのが面倒すぎて、普通の後端ノックシャープペンを使っていても、ノックは自分の首(鎖骨の下あたりがベストポジション)に押し当てて済ませている私である。ノックが硬かったり、細かったりすると、これは結構、痛い。うっかり、変なツボに入ってしまう危険もある。そんな鎖骨ノック派にとっても、サイドノック式は救世主であるといえよう。

ノックは、いわば、息継ぎだ。それは、水中では定期的に必要となるが、泳ぎを決して邪魔することのないよう、素早く、的確に、効率的に行うことが求められる。
呼吸を制する者が、レースを制する。いったい、誰と競っているのかと聞いてはならない。もちろん、自分自身とであるに決まっている。

そんな私だが、最初からサイドノック一筋であったわけではない。サイドノックの良さは、他のシャープペンを使ってきたからこそ、実感できるものがある。その遍歴を、簡単に振り返ってみたい。

小学校高学年になって、シャープペンの使用が許可されたとき、最初に使ったのは、後端ノック式の0.7であった。硬度はB。その頃の私は筆圧が低く、一般的な0.5のHBでは、いかにも頼りない薄い字になってしまうがためのセレクトだった。太くて濃い芯は、鉛筆の延長のような自然な使い心地で、私のシャープペンデビューの一本となった。

それからしばらくして、ピアニッシモが発売された。サイドノック式を一躍、世に広めることとなる、ぺんてるのシャープペンだ。物珍しさに飛びつくクラスメイトに交じって、私も手を出した。
中の機構が見える、ピアニッシモの透明軸は新鮮で、美しかった。私が買ったのは、ノックボタンが緑色のモデルで、最初から緑色のカラー芯が内蔵されていた。その特別感が良かったのだが、学校ではカラー芯は使えないので、泣く泣くB芯に入れ替えた。取り出したカラー芯は、宝物のように、丁重に保管していたのを覚えている。

本体から出っ張ったピアニッシモのノックボタンは、つるりとした感触で丸っこく、ついついいじりたくなる。爪に引っ掛けるとパーツが外れるのを発見し、授業中に、つけたり外したりして遊んだものだ。
そんなことをしているうちに、次第にパーツが摩耗していったのだろう、筆記中にも簡単に外れるようになってしまい、引退を余儀なくされた。

中学生の頃には、「太くて柔らかいグリップだから疲れない!しかも振れば芯が出る!」というのを売りにしたシャープペンが流行った。さまざまな商品ジャンルで、人間工学に基づいた設計がブームだった頃だ。私もご多分に漏れず、その宣伝文句に乗せられた一人だ。

選んだのは、パイロットのドクターグリップ。
まず、名前の響きが良い。エースパイロットのパイロットである。圧倒的なエリート感が、これでもかと漂っている。そして、ドクター。これまた、エリート中のエリートだ。強い。
その頃、身のほど知らずにも、医者になるという密かな野心に燃えていた私は、強く心を掴まれた。これで勉強すれば、きっと頭が良くなるに違いない。東大理Ⅲも夢ではない。
軸の後部に、ストラップを取り付けられる穴が開いているのもポイントで、私はそこに意気揚々と、当時好きだったゲームのマスコットを取り付けたものだ。筆記の邪魔になることに気付いて、すぐに取り外すこととなるのだが。

ドクターグリップには、しばらくの間、世話になった。頭が良くなる効果があったかどうかは、定かではない。
一方、だんだんとわかってきたのは、どうやらこれは、私の手には太く、重すぎるということだった。芯を出すために振るたびに、そのアクションの大きさと手への負荷が気になって、結局、普通にノックしていた記憶がある(鎖骨で)。
特徴的なグリップは、握り心地が良いために、むやみにいじって遊んでしまうという側面もあった。高機能なシャープペンは、低機能な私にとっては、宝の持ち腐れであったようだ。

やはり、シンプルなものが一番だ。
一周回って(というほどに回ってもいないが)私はその結論に達した。
近所の商店街の文房具屋に赴き、立派なパッケージに入って吊り下げられているほうではなく、むき出しで棚に並んでいるほうのコーナーで、安価なシャープペンを物色した。そこで出会ったのが、ドットイー・ティントである。

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かつてのピアニッシモを思わせる、サイドノック式。しかし、ノックボタンは出っ張っておらず、本体となめらかに一体化している。その出っ張りが気になって、壊してしまった前科のある私には、ここが重要であった。
ノック感は軽く、太さもちょうど良い。細くて軽い、ストレートな透明軸。残芯3.5mmのエコ設計。しかも100円。よし、言うことなしだ。

ということで、私はサイドノックに回帰した。
期待通り、いや、それ以上に、ドットイー・ティントはすんなりと私の手に馴染み、高校生活の頼れる相棒となった。受験勉強中はずっと使っていたし、本番の試験もティントで受けた。第一志望校の小論文では、サイドノックの利点を見事に発揮し、一秒も無駄にすることなく、我ながら渾身の名文を書き上げたものだ。

まあ、その大学は落ちたわけだが。

これで受かっていたら、「このシャープペンで合格を掴み取りました!」と胸を張って言えたのだが。やめろ、古傷を抉るんじゃない。
こう言っては身も蓋もないが、どんなシャープペンを使っていようと、受かる人間は受かるし、落ちる人間は落ちる。シャープペンには何の責任もないということだけは、ドットイー・ティントの名誉にかけて、はっきりと強調しておきたい。

物持ちが良いのが私の自慢なので、その100円シャープペンは、大学生活でも引き続き活躍し、高校時代からのおよそ5年間にわたって、メイン筆記具として使われることとなる。

──そして結果的に、私が身銭を切って買った、最後のシャープペンとなった。

大学3年生の冬、遅ればせながら、そろそろ就活やばいなと思った私は、とりあえず知っている企業に片っ端からエントリーしてみようという、業界研究も自己分析も何もない適当な心掛けでもって、めぼしい企業をポチポチと就活サイトのリストに入れていた。

思い浮かぶ企業が尽きたので、次に、身の回りのものに目を向けてみることにした。手元のペンケースを開く。
そういえば、このシャープペン、ずっと使ってるな。
どこのだっけ?
キャップには、小さな文字で「Pentel」とあった。
じゃあ、一応、ここにも出しておくか。

そんなわけで、私は今、ぺんてるにいる。

採用面接では、ドットイー・ティントを5年間愛用している件を話して、面接官に感心された(たぶん)。
私は熱く、ティントの良さを語った。

私「100円のシャープペンでも、5年の間、壊れないという御社の品質に惚れました!」
面接官「でも、壊れないと新しいのを買ってもらえないから、売り上げにならないよね」
私「ですが、買ったものがすぐ壊れたら、ユーザーとしては、もう同じものは買うまいと思って離れていきます。品質の高さは、会社への信頼につながり、長い目で見れば資産になります!」

実に模範的回答であったと思う。後から知ったことだが、弊社は自らを「品質のぺんてる」と称するほど、品質にこだわりがあるそうだ。
確かに、筆記具は精密な道具だ。特に、シャープペンの機構は、驚くほど緻密であったりする。そのあたりのことは、ぜひ「オレンズネロ」という、1本3,000円もするシャープペンの誕生秘話を調べてほしい。(宣伝)
品質第一、素晴らしい。そんなところが、面接官の心に響いたのではないか。

──と、ここでひとつ、注釈しておかなくてはならない。

実は私は、ティントを一度、買い直している。

1本目は、買って間もないころ、ノックボタンを押し込んだ際、何らかのはずみでそのまま本体内部に潜り込み、出てこなくなってしまったのだ。ドライバーや針を使って修理を試みたが、無駄なあがきに終わった。
そこで私は、壊れたのとそっくり同じものを、再度買い求めた。なんのためらいもなく。
「こんなシャープペン、二度と使うものか!」
「このメーカーのものは、安心して使えない!」
そんな憤りを抱くこともなく。これを機に、他のシャープペンに乗り換えることなど、思いつきもしなかった。

面接での模範的回答が、いかにいいかげんなものであるかがわかる、ほほえましいエピソードだ。一応、弁明しておくと、買い替えた二代目ティントはその後、何の不具合もなく5年間の学生生活を共にしてくれたので、嘘はついていない。

ここからいえることがあるとすれば、人は気に入ったものであれば、壊れたからという理由でブランドチェンジすることはなく、同じものを使い続けるということである。「前にこの商品を選んだから」という理由は、ただそれだけで、次も同じものを買う強力な根拠になる。過去の自分の選択を、そうして正当化していくわけだ。

どうあれ、私は二回、ティントを選んだ。
その選択に、間違いはなかったと、今でも思っている。
何があろうと、他に代わりのきかない存在。
私はまるで、それを己の一部であるかのようにさえ感じていた。


* * *


だいぶ、話が長くなってしまった。
ここからは、さらに個人的な話になるので、俺はシャープペンの話にしか興味がないんだよという人は、次の「* * *」まで、読み飛ばしてもらっても構わない。
ただ、どうして私がティントを忘れられないのかを考えると、避けては通れない話になる。

これは、採用面接でも言っていなかったことなのだが、この機会に告白しよう。
数式よりも、論文よりも、私が5年間、このシャープペンで書き綴っていたもののことを。

今回、この記事を執筆するにあたり、久しぶりに実家に帰った。もうないだろうなと思いつつ、物置を探索していたら、奥のほうから3つの紙袋が出てきた。
中には、はち切れんばかりにぎっしりと、B5サイズのプリント、ノートやルーズリーフが詰め込まれている。紙の端はよれて、だいぶ黄ばんでいるものもある。一見すると、学校の授業で使ったものを、記念にとっておいたかのようだ。

しかし、とっておきたかったのは、そちらの面ではない。ひっくり返せば、裏面には、米粒の半分くらいの大きさで書かれた文字が、びっしりと並んでいる。
授業で使った後、不要になったプリントの裏に、綴られたもの。

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それは──物語だった。

プリントの裏に、レシート幅ほどの横書きで、ひたすらに言葉を書き綴っていた、あの頃。文字は、目を凝らさなければ読めないほどに小さい。他人にのぞき見されても、簡単には読まれないようにするためだ。
ボールペンよりも薄く、細かい文字が書けるシャープペンは、教室で、あるいは図書館で、食堂で、電車で、私を自分の世界に没頭させた。

別に、どこかの賞に応募しようとか、筆の力で食っていこうとか、そんな確固たる目標があってのことではない。誰かに読んでもらいたいわけではなかった。頭の中に渦巻く断片的な情景を、紙に吐き出すことができれば、それで満足だった。

かたちのないものに、かたちを与えることで、まるで、何かを達成したような気分に浸れた。表現したいことを、ぴたりと言い表す言葉を組み上げたとき、最高の喜びを得られた。一瞬のうちに頭をよぎった言葉を、逃さず書き留めるための道具は、サイドノック式シャープペンでなければならなかった。

これが、私が学生時代に、最も力を入れて取り組んだことだった。アルバイトやサークルやボランティア活動や恋愛といった、学生時代に謳歌すべきとされるものを、何一つとして通過することなく、私はすべての余暇を、それに傾けた。

狂気。
あれは、まさに、そう表現するしかないものだった。

紙袋に詰め込まれた創作メモは、10年以上の月日が経っているからか、わりと平常心で読むことができた。懐かしさに、心温まりさえする。これがつい2、3年前に書いたばかりのものだったら、恥ずかしさのあまり、速攻で埋めていたところだ。

ところで、「黒歴史ノート」という言葉があるように、なぜか学生時代の創作活動は、アナログのノートに記録されがちだ。やはり、学校で授業中などに、こっそり書けるというところが大きいのだろう。あの頃の学生にとって、最も身近な記録媒体は、紙とシャープペンだった。
今の中高生も、そうなのだろうか? 彼ら、デジタルネイティブ世代にとっては、黒歴史が刻まれるのはノートではなく、SNSになるのかもしれないが。ノートの中だけならば、まだダメージは少ないが、ネット上のそれは、あっという間に全世界にばらまいてしまえるのだから、恐ろしい世の中になったものだ。

こうしてみると、私が旧世代の人間だからか、紙に書かれた生々しい筆跡、日焼けした紙の束の重みは、デジタルデータ以上に雄弁であるように感じられる。いくら重い軽いといっても、データ上のテキストファイルを実際に手に取って、ずっしりとした重みを感じることはできないのだから。

さて、そんな創作メモだが、ある時を境に、ぷつりと途絶えている。

あれは、大学生活も終盤の頃だろうか。
就活に、卒論。
いつからか、シャープペンを持ってノートに向かうよりも、パソコンの前に座る時間のほうが、多くなった。
それに伴って、私の創作スタイルも変化した。
シャープペンを握って、プリントの裏に書くのではなく、キーボードを叩いて、テキストエディタ上で書くようになったのだ。

その頃、私は小説を投稿できるサイトに登録し、作品をアップするようになった。そこでは、私の作品は他人の作品と同列に並び、文字数、読まれた回数、評価された点数が、数字として明確に表示され、比較することができた。人気作のランキング機能もあり、そこに入ることが一種のステイタスであることは、すぐにわかった。

リアルタイムで、次々と新作がアップされ、数字が伸びていく様子は、刺激的で、競争心をあおった。
この中で、埋もれないようにしなければならない。とにかく、たくさんの人の目を引かなくてはならない。あたかも読み応えがありそうに、文字数を増やすのは、期待感をあおってクリック数を増やすのに、手っ取り早い方法だった。

より速く、より多く、書かなくては。
無数の作品たちと競い合う中で、いちいち紙に書くなんて悠長なことは、やっていられなかった。

直接キーボードを打つようになって、私の生産する文章量は、明らかに増えた。
量とともに、中身も変化した。
テキストエディタで書くのと、シャープペンで書くのとでは、生まれる文章が違う。
キーボードを打っていると、どこまでも言葉は拡散していく。次々と付け足され、限りなく伸びていく。一方、ペンを握って書くとき、手の物理的限界が、文章を研ぎ澄ませる。本当に必要な言葉だけを、拾い上げる。

シャープペンでは、知らない言葉は書けない。
パソコンは親切にも、知らない言葉を表示してくれる。

テキストエディタの端でカウントされている文字数を、横目で確かめる。あと800字書けば、1万字になって、他の作品より抜きん出て目立てるはずだ。どこか、増やせそうな描写はないか。会話シーンを水増しできないか。そんなことばかりを、画策していた。
推敲を重ねて、内容を磨くのとは、真逆の行為。
私の文章は、どんどん冗長になり、脱線し、延々と同じことを繰り返す螺旋を描き、限りなく薄められていった。この文章こそ、まさにその見本だ。一度染みついてしまった癖は、なかなか抜けない。規定の文字数を埋めることだけは、おかげで、上手くなったけれど。

私は夜中に、うつらうつら舟を漕ぎながら、椅子に座っていると眠ってしまうので、立った状態で、キーボードを打ち続けた。これが手書きなら、ねぼけて書いた文字など、とても読めたものではないが、画面に表示されるフォントは、いつだって整然としている。どんな状態で書かれたものであるかを、知るすべはない。

自分で読んでいても、眠くなるような文章。
いつしか、そこに内容はなく、ただ空白を埋めるためだけに書いていた。
それに気づいたときに、手が止まった。

書きたいという渇望、あふれるほどあったはずの構想は、もう、どこを探しても見当たらなかった。
入社して数年が経ち、いわゆる「中堅社員」といわれるポジションに、差し掛かった頃だった。

今にして思う。
10代の頃の、とにかく頭に浮かんだものを書き留めなくてはならないという、あの情熱は、何だったのだろう。
寸暇を惜しんで、なにかにとりつかれたように、書く。
まるで、自分をそこに、写し取ろうと試みるように。
紙の上に投射されたものと、対話しようとするように。

過剰な自意識を抱えながら、何者でもなかった学生時代、私という存在が認められるには、書くしかなかった。
それは、私が私であることを証明できる、唯一の方法だった。
社会人になり、仕事を通して社会とつながり、一定の承認が得られるようになるまでは。

もてあますほどの時間と、承認への渇望、そして、シャープペンという道具。

それが揃った瞬間にだけ、これは、生み出すことができたものなのだと、創作メモの山を眺めて思う。
今の自分には、もう決して、同じものを書くことはできない。

この原稿にしても、文房具メーカーの社員としてあるまじきことであるが、原稿用紙にペンで書くのではなく、直接キーボードを叩いて書いている。
今となっては、日常生活において、持ち替える手間を惜しむほどのスピードで、シャープペンを使う場面はない。せいぜい、手帳に仮の予定を書き込むときくらいのものだ。
それは、手近にあるものならば何でもよく、オレンズであったり、P200であったり、多機能ペンの中の1本であったり、特にこだわりはない。どれも、社内でもらったサンプル品だ。かつて、少ない小遣いを手に、店頭でじっくりと吟味し、自腹を切って購入した一本とは、思い入れの深さが違う。

もしも今、もう一度、ドットイー・ティントを手にしたら。
再び、あの狂気に身を投じることができるのだろうか?
漢字の書き方も、だいぶ、忘れてしまったけれど。

実家をいくら探しても、創作メモの山は出てきたのに、それを書いたはずのティントは、どうしても見つからなかった。入社のきっかけとなった一本だから、いずれ社長の椅子に就いたあかつきには、メディアの取材に対して資料提供できるよう、大事にとっておこうと思ったところまでは覚えているのだが、どこにしまったのだか、さっぱり思い出せない。
まあ。
実用品から、思い出の品という位置づけになった時点で、シャープペンとしては、本来の役割を終えたようなものだともいえる。

そういうわけで、今回の記事に載せている写真は、私が実際に使っていたティントではなく、社内のストックから引っ張り出してきたサンプル品だ。年月の重みを感じられないことについて、お詫び申し上げる。

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ただ、手元になくても、鮮明に思い出せる。

もとの澄んだブルーから、変色してくすみ、もう緑にしか見えないグリップの色も。
ああでもないこうでもないと、書くべき表現を思いめぐらせながら、爪を立ててなぞった、パーツの形状も。
ノックボタンを沈み込ませたときの、本体との段差を捉える、親指の感覚も。

私の中に残り続ける、忘れられない1本だ。


* * *


さて、そんなドットイー・ティントのおかげで、こうして今、ぺんてるに在籍している私だが、会社に対する思いは複雑だ。
あのドットイー・ティントを生み出してくれたという、感謝と、それを廃番にしたという、憤怒。両者は、表裏一体だ。
発売があれば、廃番がある。生まれ、そして、消えていく。いわば、生と死の摂理。

廃番は、つらいものだ。言うまでもなく。

長年愛用してきたものが、もう手に入らなくなるという衝撃。これ以外のペンではもう書けない・描けないというほどに手になじんだものであれば、なおのことだ。ユーザーの怒りや悲しみもわかる。

一方で、メーカー側として、廃番にしなくてはならない事情もわかる。よく売れて、会社に利益をもたらしてくれる商品ならば、何の心配もない。だが、予測したほど売れずに、在庫が溜まっていくばかりの商品だったならば。作れば作るほどに、赤字が膨らむ商品だったならば。

どの商品も、皆に喜んで受け入れられ、人気を得て、長く続いていくことを期待して、この世に生み出されてきたものだ。開発者だって、マーケターだって、営業だって、誰もがそれを願って、懸命に己の仕事を果たしている。廃番になんて、したくないに決まっているのだ。

ただ、理想のようにいくものと、いかないものがある。新商品が出るたび、増えていく商品ラインナップのすべてを、限られた生産ラインで、永遠に作り続けることはできない。それが現実だ。

「俺があのシャープペンを復活させてやる!」

と、熱い想いを抱いて入社した若者が、その情熱で周りを巻き込み、ついには会社を動かして、廃番の危機から奇跡の復活──そんなストーリーは感動的で、たぶん皆さんがnoteで読みたいのはそういう記事だと思うのだが、じゃあお前やってみろと言われても、なかなか実際にできることではない。少なくとも、私にはできなかった。

足りないのだ──「私」が、好きなだけでは。
たったひとりが、好きなだけでは、ダメなのだ。
私は、サイドノック式の廃番を通して、それを痛感した。

だが。
もしも。

ひとりの声では、なかったとしたら。

今は、SNSというものがある。声が、集まる。
会社も、その影響力が無視できないものであることを知っている。
エナージェルインフリーだって、プラマン新色だって、最初は数量限定品だったのだ。それが、SNSでの大反響を受けて、見事、定番商品に昇格した。
と、プレスリリースに書いてあるから、きっとそうなのだろう。もちろん、それだけではなく、ほかにもさまざまな観点からの総合的な判断だったのだろうけれど。

これは、失われたサイドノック式を回顧する、いちユーザーにとって、一筋の光ともいえる。

もしかしたら。

この原稿を書くことによって、サイドノック式シャープペンが再び、日の目を見るのではないか。

これが、私が今回の原稿執筆を引き受けた、正直な理由だ。

廃番の決定を覆すことは、私にはできなかった。
しかし、これを読んだ皆さんが、「 #忘れられない一本 」として、サイドノック式シャープペンについて、熱く語ってくれたならば。
こんなにも、サイドノック式を愛する声があることを、会社に示すことができたならば。

そんなに甘くないことは、一応、入社12年目の身として、わかっているつもりだ。
それでもなお、望みを託して、書かずにはいられなかった。

いま現在、サイドノック式を使っていない人間が、いくら語ったところで、説得力はないかもしれない。
確かに、今の私の中には、ノックする時間を惜しんでまで書くべきものはない。仮に復刻したところで、残りの人生で10万回のノックをするかどうかも、定かではない。必要に迫られているかどうかで問われれば、否と答えるほかにないだろう。

しかし──あの頃の、私には。
確かに、必要だったのだ。私が、私であるためには。
ドットイー・ティントでなければ、ならなかった。

そして、今も、かつての私と同じように、それを必要としている誰かが、いるはずなのだ。
その誰かの手に、サイドノック式シャープペンを届けることこそ、ドットイー・ティントに導かれてぺんてるに入った、私の使命ではなかろうか。
それが、誰かにとっての、忘れられない一本となることを願って。

ただそれだけのことが言いたくて、長々と1万字にわたって、私事を書き連ねてしまった。おそらく、読了率は過去最低を記録することだろう。シャープペン研究部の諸氏には、本当に申し訳ない。すべての責任は、人選ミスをした上司にある。

こんなぺんてる社員がいたことは、速やかに忘れてもらって構わない。

ただ、最後に一つだけ。

ドットイー・ティントというサイドノック式シャープペンが、どこかの誰かの忘れられない一本であったということだけ、記憶にとどめてもらえたら嬉しい。

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