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手帳の余白ページが好き。特に年末は。

自分が手帳を選ぶポイントのひとつに、「余白の量」がある。

どちらかといえば多いほうがいい。
でも、それで手帳自体が重くなるのはいただけない。

余白ページとして独立したページがある手帳が好き。罫線はあってもいいし、なくてもいい。


「ノート的なページ」。
たぶん、使わない人はまったく使わないページだと思う。
私もそこにしょっちゅう書き込むわけじゃない。思いついたことをいちいちそこに書き留めていたら、すぐにページが無くなってしまうから。アイデアとか日々思ったこと、みたいなものは別のノートに書いている。

じゃあこの手帳の余白ページはどうやって使っているのかっていうと、正直10月くらいまではあんまり使っていなかったりする。

2018年の余白ページを見てみると「仕事で取材に行った時に取材ノートを忘れてトホホ」な時に使用した形跡が数ページ。
短い決意表明がいくつか。
3歳の次男が発したかわいいおしゃべりメモ。
あとは「最近、夢の中にインド人が大勢出てくる」というわりとくだらない夢の概要が書かれている。


11月も終わりかけの現在、余白ページはまだまだ残っている。


私はそれを見ると、ぱぁーーっと希望が広がってくる気持ちになる。

何を書こう。
すてきなことを書きたい。
大事に、だけど大胆に。たくさん書きたい。

すでに来年の手帳は購入済みで、現在2つの手帳を使っている状態だ。

今年の手帳は、携帯するのもあとひと月と少し。
もうすぐ不要になる。


だから、これからすべての余白をうめてしまっても、困ることなんて何もないのだ!

ひゃっほーーーー!

ものすごい、開放感・・・!


つい先日、ふと「今年〝よくやった!”と思えることを書きたい」と思い立ったので、書いている。目標はキリよく100個。

「歯磨きをていねいにやるようになった」みたいなちいさなことも、
「昨年からの未払い金を回収した」みたいな仕事のことも、
「幼少期イヤだったことを掘り下げて見直した」みたいな自分自身のことも。

100個も書くわけだから、大きいことも小さいことも関係ない。
「よくやった」と思えることはぜんぶ書きたいと思う。

私は自分を振り返る時、「よくやった。でも、もっとできた」みたいに思ってしまうことが多い。
それが悪いこととは言わないけど、いつもそればっかだと本当につかれる。

自分が、なにもできなかった気がしていつもへこんでしまう。

現在、30個くらい書いたところだけど、このくらいでも「まぁ、よくやったんじゃん? できなかったこともたくさんあるだろうけど、できたこともたくさんあったよね」くらいの気持ちになっている。


大事に、だけど大胆に。

自分の首なんてこれ以上締めてももう何もでない。
余白は自分がのびのびできることに使いたい。

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