見出し画像

なんなんだよ #1

昨夜呑み過ぎて昨日のビールが喉奥まで込み上げるような気持ちが悪い中、これを書いている。
正直しんどい。なのにこうして君に伝えたいことがあるからという一心でパソコンの前に座っている。
以前、このnoteに綴った「#養分脱却日記」というものを連載していたが、脱却という目標に向かっていたはずの俺は、突然の交通事故に合い命を奪われてしまった。
それは魔の4コーナー付近での出来事だったんだ・・・。
君に届けたい。

なんなんだよ、おまえよう

今年19歳になる若い女性、チヒロは今日が夢にまでみたフェアウェル女子大の入学式に向かっている最中だ。
家を飛び出す前に母親から言われた「あんたがフェアウェルに通える日がくるなんてね」という冗談なのか、本音なのかわからない軽くウィットに飛んだ言葉がチヒロには嬉しかった。
その母、ユミもフェアウェル女子大出身、そう親子揃って同じ学校に通うことになったチヒロは内心、「学校ならどこでもよかった」と感じてはいたが、そこにはあのダンスグループユニット【DiVa Silent Call】のクルミが通っている学校だ。
クルミはチヒロが数年前から推し活を始めたきっかけになるアイドル的な存在。
ふとテレビから流れるアップテンポの効いたダンス・ミュージックに合わせて手や足、顔をコミカルに動かすクルミのダンスにいつしか惹き込まれていた。
気づくとグループの関連グッズを少ない小遣いで買い集め、チヒロはクルミのあどけない笑顔から繰り出す激しいダンスに憧れていた。
小中高と通ったダンス教室では、「一番チヒロが音にノレていない」だの「チヒロと一緒に踊っても楽しめない」だの「チヒロのそれはダンスじゃない」だのとあらゆるダンスという才能を拒絶する言葉を浴び続けられた。
それでもチヒロはダンスを諦めなかった。
でも上手くはならなかった。それは人生で初めての挫折でもあった。
そんなチヒロが母親と同じフェアウェル女子大に向かう決心がついたのは、ある動画がきっかけだった。
クルミの動画チャンネルの中で出てきたクルミが通う学校の学食風景、クルミが学食の中で一番好きだと公言する「いちごタルト」がスマホの画面を占拠していた。
チヒロは、「なんで学食にタルト置いてんだよ(笑)」とつぶやくほど可笑しかった。すぐに指先を滑らかに動かし「学食 タルト」で検索した。
「私立フェアウェル女子大学」
チヒロの進路が決まった瞬間だった。

チヒロが住む福岡県大牟田市から北に約80km、福岡最大の繁華街天神のそばにフェアウェル女子大は位置している。
チヒロは西鉄大牟田線の新栄町駅から乗車し、天神駅で下車する。時間にすると約1時間の距離だ。
11時からの入学式に参加する為、チヒロは少し早い8時45分の電車に乗り10時過ぎに天神駅へ到着したところだ。「余裕を持った行動がチヒロの長所なんですよ」と母親が進路相談の時に担任へ進学を後押ししてくれたことをチヒロは思い出した。
ただ、「遠くね?」入学式に向かうチヒロは通学時間に戸惑っていた。高校時代は家から自転車で5分の距離だったことも関係していたが、しかし戸惑いとは裏腹に天神という街に憧れていた、さらに「クルミに会えるなら」という付加価値も天神までの通学を後押ししてくれた。
チヒロは天神駅からフェアウェル女子大までの間、新しい大学ライフに期待と胸を膨らませその足取りは軽く、浮いているようなフワフワと地に足がついていない状態を実感していた。自分でもその顔から覗く微笑みに気づいていない。

「なんなんだよ、おまえよう!!!」
天神の街なかで突然、心臓が止まるほどの大きな音が聞こえチヒロは自分のカラダを最小限に縮こめながら歩みを止めた。
なんだ?なにごと?こわい!都会はやっぱこわい!!
チヒロは強張りながらその大きな声がした方向に目を向けた。

まだ朝の10時過ぎだというのに人だかりが出来ている。
どうやら建物の中から聞こえてきたらしい。
もう少し立ち止まり、その建物の方向を覗いてみることにした。

「おらあ! させっ!」
「残れよ!! そうだ! 残せ!!」

チヒロには日本語なのかそれとも外国人観光客の揉め事なのか区別がつかない。
ただ、確かなことは叫んでいる人だかりの奥に大きなビジョンが映っている。それに向かって人間が叫んでいるようだった。

「ウマだ」
チヒロはすぐにそれが何事なのかを理解した。
大型ビジョンに映し出されているのは日本で認められる賭博の1つ「競馬」だった。

天神周辺にはいくつも場外馬券売り場が存在する。
WINS天神、BAOO福岡空港、エクセル親不孝通り、などがその店舗になる。このネットが溢れた時代に、そしてネットでの馬券購入が可能な時代に、この空間に集まる人間達の思考回路は一般人には読めない。
ただ大半がネットに疎いだろうと推測出来そうな年配者が多数だ。
チヒロが見た風景はWINS天神、おそらく午前中のレースが流れていたのだろう。叫んでいる馬券購入者にとってこのゴール前の直線が一番儚く、遠く、長い時間だと言うことだ。叫ぶことで、自分が買っているウマを後押ししているわけであり、それはつまり応援と同義、しかしその応援の中には金を掴むか金を失うかも含まれている。

「きもいな」
チヒロは小さく聞こえないだろう声で呟いた。
確かにこの人だかりの連中の顔は生きているようで生きていないような顔をしているからだ。どれもが死んだ魚のような目をしている。

「なんなんだよ!おまえよう!いけっ!いけっ!!」
と先程から大きく声を何度も張り上げていた一人の男がチヒロの目に映った。
数秒後、人だかりが消え、それぞれがそれぞれの場所へ向かい始めていた。
どうやらレースが終わったようだ。
その男は手に紙のようなチケットを握りしめた状態で膝から崩れ落ちその場でうなだれている。
そして、男はこの世の全てが終わったような声で画面に向かって吐き出した。
「なんなんだよう…。」
咳き込んでいるようだったが、よく聞くと嗚咽が混じっている。
チヒロは理解出来ない。
人生が終わってしまうようなほどのお金をウマ【なんか】に託すなんて。

「大丈夫ですか?」
その男に声を掛けている自分が理解出来なかった。
気づくとそのしゃがみこんでいる男の方にチヒロは声を掛けていた。
11時から始まる入学式まであと30分だというのに。
こんなことをしている場合ではないのに。

「おまえだれ?」
中肉中背、頭皮が既に干上がっている40過ぎくらいのおっさんだ。
鼻水と涙で焦点が合っていない、男はチヒロの声が聞こえる方を向いた。

「いくら負けたんですか?」
チヒロは気づかぬうちに地雷を踏んでいた。ギャンブラーにとって負け額を知らない人間に告げれるほどプライドは捨てていないからだ。

「いやだから、おまえだれだよ」
男はようやくチヒロの顔を確認出来た。少し幼い顔をしているが長女よりは年上だと感じた。3番目の下の子なんてまだ中学生だ。
こんな年端もいかないしかも女の子に情(なさけ)を掛けられるとは、俺ももう潮時なのかもな、そう男は感じずにはいられない。
なぜなら今日の軍資金50,000円が土曜の第1レースで消失してしまったからだ。3場合わせてあと35レースも残っているというのに。

チヒロは勇気を振り絞りながら、頭皮もそして感情もが剥き出しになっているおじさんにこう告げた。
「私少しだけ得意なんですよね、競馬」

これは小倉競馬場のようなスパイラルなカーブかつ短かくも儚い直線のような、そんな短編ストーリー。

ピロとチヒロのギャンブルストーリーがこうして幕を開けたんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?