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「意識が高い」と言われて苦しんでいる人に読んでほしい

今私は社会人3年目で、楽天株式会社というところで働いている。ビジネスで力を蓄えながらも、社会課題の解決を本気で成し遂げようとしている人をサポートしたいと思って日々過ごしている。

今でこそ自分の問題意識とか、やりたいことを、周りの人に対してオープンにすることに対して抵抗はなくなったが、学生時代の私は、私のことを「意識高い」と呼ぶ人たちの同調圧力に屈して、自己表現ができずにいた。

最近友人何人かと話していて、私と同じように考えている人が結構いて、もしかしたら自分の体験を書き記すことで、ちょっとでも楽になる人がいるかもしれないと思い筆を執った。


■「意識高い」に対する弾圧について


「お前意識高いよな」と、人からそう言われることが多い人生を送ってきたように思う。

その言葉には純粋に、「好奇心旺盛ですごいよな」とか、「色々問題意識あって良いな」って意味が込められていることもあるし、「なにちょっとカッコつけちゃってんの」とか、「最近俺たちとの付き合い悪いよな」みたいな嘲笑が含まれていることもある。

というか、ぶっちゃけ後者の嘲笑的な意味で使われていることが多い。

これが、自分自身が「意識高い」みたいな領域を超越してしまっていて、本当に自分のやりたい道を見つけてまい進できていたり、そんな声がどうでも良いと思えるほどに、振り切っている状態であれば、そんな声も全く気にならないのだけれど、

まだ自分でもなにがしたいのか良くわからず、でもなぜか自分の現状には満足できなくて「何か」を求めて、もがいている状態だったりすると、さらにこたえるのが、こういう「意識高いこと」に対する弾圧だったりするのだ。

私は意識高いとしばしば言われてきたし、最近まであまり認めてこなかったけど、その辺の人に比べたら意識高いほうだと思う。(何か世の中に貢献できているとはまだまだ全然思わないし、ただ意識が高いだけでそれが全く偉いとは全く思わないが、とにかくそういうカテゴリに当てはまるということ。)


■意識が高いといわれた大学生活

「意識が高い」と言われることに違和感を持ち始めたのは、確か大学2年生くらいの頃だったと思う。その頃から海外に対して興味を持ちはじめて、国際交流とか、海外の貧困問題なんかに対して考え始めた頃だった。

その頃から、今まで仲良くしてきた大学の友達から、「りょーすけなんか意識高くなったよな笑」と言われ始めた。その裏には、大抵の場合、同調圧力が働いていて、「最近俺らと付き合い悪いよな」とか「何か外ばっかみるようになったよな」みたいな意味が込められている。

はじめは、「そんなことないよ」と言い訳しながら、あえてコミュニティ内でアホなキャラを演じたり、いかにも大学生らしいサークルとバイトの話をしながら、周りにあわせていた。

だけれど途中で違和感に気がつく。自分がしたい話って本当に、このサークルとバイトの話なのだろうか。このコミュニティにいて、周りに合わせながら生きていて本当に楽しいのだろうかと。


■今までいたコミュニティになんとなく馴染めなくなってきたら
私がそんな風に周りとの違和感を感じ始めたときとったのは、今までの関係を少し「お休み」することだった。特にその友人たちに何かを伝えたわけではない、今まで断れずにいた誘いを勇気を持って断ってみる。回数を制限してみる。物理的に会う時間を減らしてみる。そうすると、始めは同調することを求めてきた友人たちも、少し距離を置いて接して来るようになる。
今までいたコミュニティになんとなく馴染めなくなったとき、それは自分の変化の証だと思う。今まで仲良くしてきてくれた友達には感謝をしつつ、今一緒にいるべき人たちではないのかもしれない。だからそんなときは、その友達関係をちょっとだけお休みをして、しばらくは自分が正しいと思う方向に進んだら良いと思う。
今までの関係は心配しなくて良くて、本当に必要だったり、大切なコミュニティならまたいつか交わることがあると思うし、しばらくたって顔を出してみると、意外とみんな考えていて、本当は彼らも色々なものを持っているんだなと気づけるときがくると思う。