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ファイナンシャルプランナーのペペシです。

それは、私がこの金融業界に足を踏み入れた平成8年、1996年の4月にあった出来事です。

前職の精密機器メーカーから転職し保険の仕事を始めましたが、決して深い思い入れがあってこの業界に飛び込んだわけではありませんでした。


家庭や学校はもちろん、社会人になってからも、誰からも教わらなかった生命保険や金融商品、社会保険の仕組みや役割を、最初の一か月はほぼ缶詰で勉強しました。

そして、私が最初に保険の内容を分析したのは、当時父が入っていた、ある国内生保の保険でした。

今でもはっきり覚えています。


愕然としました。
声も出ませんでした。

父の保険は、その年、平成8年12月に切れるものでした。


当時父は、ガンを患い、すでに余命宣告を受けていました。

ヨメイセンコクに抗い、平成9年を迎えると、お金を受け取ることができない保険だったのです。


もしもの時の保険は、「もしも」のタイミングを選ぶものでした。

当時父は62歳。
もちろん自分の保険の内容など、よくわからないままに入っていました。

結局、父はその年、平成8年8月22日に亡くなりましたが、私は最後まで保険の内容を伝えることはしませんでした。

家族として、そして息子として、なんとも切ない、なんともやり切れない気持ちであったことは、一生忘れることはないでしょう。

父が保険で残してくれたお金は、元気に過ごしている母のために、今でも大切に使われています。


お客さまにこんな切ない、やり切れない思いをさせてはいけいない。

お客さまが、
膝を叩いて納得できる保険の掛け方をお伝えしたいのです。

お客さまの金融資産を、
もしもがあっても無くても、どう転んだとしても守るお手伝いをする仕事をしたいのです。

そのために、私はこの仕事をしています。

一人でも多くの方に「あんしん笑顔」になっていただくことが、私の使命と考えています。

さ来年には還暦を迎えるじじぃFPですが、これからもどんどん新しいことを学び、一人でも多くの人の笑顔を作るお手伝いをしたいと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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