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私は未熟で、でも私は私を庇いたかった

私は初婚でシングルファーザーと結婚し、
いきなり小学生男子の母になった。

30歳のときだった。

私はボーイと仲良くできなかった。

反論も反抗もできない小さなボーイを心配して、
旦那のとしくんは焦っていた。

大好きな2人がお互いに仲良くしてほしいという
としくんの想いは、私にとってプレッシャーだった。

どうしてそうなのかと、としくんに聞かれた。

どうして、愛情を注いでいるときと、
そんなに冷たくひどい態度になるときがあるのか。

私は自分の脳みそをフル回転させて考えた。

この状態の根源は、一緒に暮らし始めた最初の1〜2ヶ月の出来事がトラウマになっているかもしれないと気づく。

宿題のときに何度も起こる、
ボーイの癇癪とパニックのような状態に
私は何もできなかった。

いろんな提案をしたり、手伝おうとしたり、
私ができることで精一杯ボーイをサポートしたかったのに、
何をしても状況は変わらなくて、相手は絶望して、動かなくなって、返事もなくて、もう『ダメ』だと思った。


私が『ダメ』なんだとも思ったし、
ボーイが『ダメ』なんだとも思った。

私のボーイへの対応が間違ってるのかもしれない、
子どもへの"正しい対処"がわからないと悩んだ。

としくんには、
私とボーイの精神状態はなかなか想像できなかったと思う。

平日の夜は私とボーイ2人で過ごす日々が続いた。

18時に学童にお迎えに行ってからは
副業お母さんとして、どうにかやり過ごした。

そのうち私の中に、「ボーイは私を傷つける人だ」という概念が染み付いた。


私は未熟で、大人気なくて、精神が病んでいて、
でも私は私を庇いたかった。

私は大事な私の心を傷つけて、自信を喪失させるものを強く否定したかった。

そうして、二重人格な私になった。

ボーイに対して承認と受容の愛溢れる瞬間と、
拒絶と糾弾の狙撃の日々が共存する。

秒単位で変わる私の態度。

私の中の小さい女の子が「その子、きらい!」と拗ねている。

私はその子を追い出せずに今も共存している。



としくんの質問にはそんな風に答えた。

としくんは寂しい顔をして、ボーイと同じような八の字眉毛になって、
私のためになることが何もできなかったと言った。

けどそれは大きな間違い。

としくんは確かに、早く帰っては来なかった。
でも、私の話を聞いてくれて、
私の愚行について責めることもなく、受け入れてくれた。

もし説教でもされていたら、
私は私を庇えなかったと思う。

としくんには愚行のことを話せなかったと思う。

ここにこうして書くこともなかった。

いろいろ思うところはあったはずだけど、
味方でいてくれる旦那さんに感謝している。

としくんと話をして、
お互いの考えや想いを共有してみると、
また新しい考えや気持ちが湧いてきた。

やはり対話することは大事。

そして気づく、私はまだ成長できる。
私はまだ発展途上だ。

こうして書き続けて、
パートナーと対話をして、
まだまだ行けると自分に言える。

トラウマとか、子どもきらいとか、
誰がダメとか、そんなことでくよくよすんな!!

それもこれもぜんぶひっくるめて、
私の存在自体が愛だろうが!!!!



そんな風に思えたとしくんとの対話の様子は、近日公開予定。

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