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パーサヴィアランス火星走行ログ

この1ヶ月、パーサヴィアランスが火星を快走している。

2021年2月18日に着陸してから2022年3月14日までの13ヶ月間に走った距離は4.9 km。ところがそれから4月15日までのたった1ヶ月強で5.1 kmも走ったのである。

なぜ、急に目が覚めたようにスピードが上がったのか?

それを説明する前に、まずは着陸から14カ月の旅路を手短に振り返ろう。

火星ローバー・パーサヴィアランス
着陸から14ヶ月の足どり

上の地図を見てほしい。①が着陸地点。その西側にはローバーの走行が困難な「シータ」と名付けられた砂地がある。着陸後、シータを時計回りに囲むように、まず南、ついで西へ走りながら、自動走行など新機能のテストを行い、着陸から7ヶ月後の9月13日に②の場所に到達した。ここまでの走行距離は2.5 km。ここから慎重にシータの中へ侵入し、③で岩石のサンプルを採取するなど様々な科学的調査を行ってから、3ヶ月後の12月9日に④の場所に戻った。この3ヶ月間の走行距離はわずか0.4 km。シータはここ一帯でもっとも低い場所で、そのため砂が溜まっているのだが、それはつまりもっとも古い地層があるということでもある。だから科学者たちはこの場所で多くの時間を割いて岩石を調べたりサンプルを採取したりしたかったのだ。

④で年を越したあと、ローバーは地図の西側にある三角州へ向けて出発した。ところが直接西へ向かうのではなく、着陸地点に戻るようにシータを反時計回りに迂回する道を選んだ。西へ直接向かうためにはシータを横断せねばならず、危険が大きいと判断されたためである。3月にローバーは着陸地点の⑤の付近に戻ってきた。そしてここから「爆走モード」に入り、たった1ヶ月で⑥まで5 km強を一気に駆け抜けたのである。

しかし、どうしていきなりローバーのスピードが上がったのだろう。今まで使っていなかった新機能が有効化されたのか?それとも何かの問題が解決されたからか?あるいは、単に⑤から⑥の地形が走りやすかったからか?

「爆走」の途中、14ヶ月前の着陸時に投棄したパラシュートの近くを通った。
(NASA/JPL-Caltech/ASU)

実は、そのどれでもない。変わったのは「走らせ方」である。

例を使って説明しよう。5歳児と一緒に歩くと、大人一人で歩くよりもはるかに時間がかかる。子どもの歩くスピードが遅いからだけではない。タンポポの綿毛を見つけては立ち止まり、白い線を踏んで歩かなくては死ぬゲームを始め、無意味に後ろ歩きやカニ歩きやジョジョ立ち歩きをし、オモチャ屋の前を通り過ぎようものならショーウィンドウに張り付いて動かなくなる。

火星ローバーの走行も同じだ。ただし、一緒にいるのは5歳児ではなく、科学者である。僕たちエンジニアが前へ進みたくても、少し進むごとに「あの岩すごい、この岩やばい」と興奮しっぱなしで、あそこの写真をとってくれ、あの岩に観測機器を当ててくれ、その岩はサンプルを取ってくれ、という具合でなかなか進めないのである。

この調子では永遠に三角州まで辿り着かない。そこでこの1カ月は「速く歩かないとオヤツは抜き!」と言わんばかりに科学者に黙ってもらった。岩に触るのは一切禁止。許されるのは毎日走り終わった後に写真を撮るだけ。どんなに面白い岩があっても毎日走り続ける。つまりは、「やっと本気を出して走った」のだ。

もちろん、現実には科学者たちを子どものように叱って黙らせたのではない(まあ、彼ら彼女らは好奇心の旺盛さという意味で子どものようなものだが笑)。長期的な科学的成果を最大化するため、この1カ月は我慢することを選んだのである。

そしてちょうど先日、この「爆走モード」が終了した。ローバーの現在地から北へ150メートルの場所に、35億年前の火星の川が作った三角州がそびえている。ここからがパーサヴィアランスの旅のクライマックスだ。なぜならここで火星に太古の昔に存在したかもしれない生命の証拠が見つかるかもしれないからだ。

これからまた、科学者たちの「あの岩すごい、この岩やばい」が始まる。その岩からどんな大発見があるか。ぜひ楽しみにして欲しい。

目的地である三角州の丘が間近に見えてきた!(NASA/JPL-Caltech)

僕自身も少しだけ、前に進んだ。これまで僕の担当は「ダウンリンク」、つまりローバーが火星から送ってきた走行データを解析し異常がないかをチェックする役割だった。

先月から「アップリンク」、つまりローバーに指示を出す役割を担うためのトレーニングを始めた。

ローバーの「運転」は3人体制で行う。昔のボーイング747が操縦士、副操縦士、機関士の3人で操縦されていたのと似ているかもしれない(現代の飛行機は二人で操縦する)。「操縦士」に当たる人がローバーに送るコマンドを作る。「副操縦士」に当たる人がコマンドをチェックする。「機関士」はそのお助け係で、二人の負担を減らすための雑用をこなす。(ちなみに「運転」以外にも様々な機能を担当する大勢の人がローバーの運用に携わっている。)

僕のような新人は「機関士」からスタートする。経験を積みながら、副操縦士、そして操縦士にステップアップしていくのである。

まだお助け係とはいえ、「コックピット」で働くのは楽しい。この1カ月はとにかく走るのみだったので、やることはシンプルだった。

これからは科学者たちの「あの岩すごい、この岩やばい」を聞きつつ、時には「次の岩までお預け」となだめながら、走行したり岩石を採取したりする。コックピットの窓からどんな火星の風景が見えるのか。楽しみで仕方ない。

小野雅裕
技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。
ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

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