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火星の秘密、地球の秘密

僕らはまだ火星を全然知らない。そう思い知らせる出来事があった。

ここまで絶好調の火星ローバー・パーサヴィアランスは、初のサンプル採取に挑んだ。簡単なことに思えるかもしれないが、これをロボットが遠くの惑星でやるとなると話が違う。ドリルの刃を交換し、ロボットアームを正しい場所に正しい力で押し当て、岩をドリルで細長くくり抜いて試験管に入れ、それをボディの中にあるもう一本のロボットアームに渡し、重さを測り、試験管の中の写真を撮り、密封する。しかもサンプルを汚さないように内部のロボットアームは「手袋」までしなくてはいけない。

これをミスなく行うためには非常に複雑なハードウェアとソフトウェアが必要になる。今回のローバーで一番開発が難航した箇所だ。以前に本メルマガに寄稿してくれた大丸さんが担当したのもここである。エンジニアたちは数え切れないほど試験を繰り返し、あらゆる種類の岩で予行演習をし、自信を持って火星に送り出した。

そしていよいよ初のサンプル採取のコマンドを火星へ送ったのが8月5日。結果は翌日の早朝までわからない。チームは不安な気持ちで夜更かししてデータが降りてくるのを待った。

データが来て僕たちエンジニアがまず見るのは、コマンドが最後まで実行されたかだ。走行やロボットアームを用いたアクティビティは、何か少しでも異常があるとコマンドの実行を停止して地上からの指示を待つようになっているからだ。果たして、結果は・・・

全て実行完了!複雑な動作をローバーは完璧にこなしていた。僕たちは成功を確信した。ところが・・・

ほどなくして、サイエンス・チームから予想外の知らせが来た。試験管に岩が入っていないというのだ。たしかに試験管の中を撮った写真を見ると空っぽだ。試験管の重さも増えていない。しかし、たしかにドリルで掘った場所に穴はあいているし、全ての動作は正常に完了した。こんなことは、地球上での試験では一度も起きなかった。

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サンプル採取後の試験管の中。見事に空っぽ。(NASA/JPL-Caltech)

その後数日間、チームは消えたサンプルの行方を必死に探したが、どこにもない。ローバーのお腹の下を探し、ドリルの穴の中の写真を撮り、あらゆる可能性を検討した結果、この岩が予想外に脆くて掘削時に砂のように砕けてしまったという結論に至った。改めて思い知らされたのは、火星は地球とは全く違うということだ。僕たちはまだ、火星についてほとんど何も分かっていないのだ。そして火星はサンプルを地球人に渡すことを拒んだ。まるで秘密を明かすことを躊躇っているように。

(本件の詳細は以下の公式ブログにまとめられている。
https://mars.nasa.gov/mars2020/mission/status/320/assessing-perseverances-first-sample-attempt/

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そんなわけでパーサヴィアランスの地上チームは大忙しなのだが、僕の担当は走行なので今回のトラブルと関係がない。その翌日、僕は家族と予定通りバケーションに出発した。もともとはサンフランシスコへ遊びに行こうと思っていたのだが、こちらもコロナの状況が急に悪化したので、予定を変えてキャピングカー旅行になった。

キャンピングカーは地球を走る宇宙船だ。ベッド、キッチン、テーブル、トイレにシャワー、必要なもの全てが小さな空間にパズルのように収まっている。食料を保存する冷蔵庫もあるし、数日分の水も搭載できる。大きなバッテリーは屋根についた太陽電池で充電できる。インフラのない場所も補給なしに長時間航行することができるのだ。山や海を探査する時には「船外活動」の基地になる。道中美しい景色に出会えば、路肩に停めるだけで「絶景レストラン」に早変わりする。ちなみにこちらのミッションでも僕の担当は走行(と写真撮影)である。

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僕たちの宇宙船は「モンティ」と名付けられた。船内でのミーちゃんのお気に入りの場所は運転席の頭上のベッドだ。ハシゴを登ると高さ1メートルもない洞窟のような狭い空間がある。カーテンを閉めればまるで秘密基地だ。側面にある小さな窓からこっそり外を覗くこともできる。子供心をくすぐらないわけがない。二階建ての家に憧れるミーちゃんにとってはなおさらである(うちは他の大半のロサンゼルスの家と同様に平家である)。

モンティでロサンゼルスを出発した僕たちは、まず北東へ500 km走ってモントレーへ行き、そこから海際を走る州道1号線、通称Pacific Coast Highway(PCH、太平洋岸ハイウェイ)を縦走してロサンゼルスに帰還した。PCHの北100マイルくらいはBig Surと呼ばれ、険しい山々が大波荒ぶる太平洋にストンと落ちる崖の上をくねくねと走る。山の森は海中のジャイアント・ケルプの森に続いていて、そこに多種多様な生き物が住んでいる。子育て中のラッコの群れ。砂浜で呑気に昼寝するゼニガタアザラシ。体重2トンもあるゾウアザラシの大群。岸からすぐの小島に何千匹も群がるペリカンやアオノドヒメウ。そして空全体が花に包まれたような美しい夕焼け。この惑星にもまだ、僕たちが見たことのない驚きがたくさんある。

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ちょうど旅の途中にペルセウス座流星群があり、Big Surのど真ん中のキャンプ場を予約していた。ロサンゼルスやサンフランシスコの街明かりは全く届かない。半径30kmに小さな町すら一つもない。流れ星を見るには最高の場所だ。

3年前、まだ2歳のミーちゃんにペルセウス座流星群を見せに連れて行ったが、暗いのが怖くて見れなかったという話を本連載で書いた。5歳のミーちゃんは「もうこわくない」と意気揚々とキャンプ場に乗り込んだ。しかし、太陽と三日月が沈み、夜が訪れると、ミーちゃんはだんだん不安になってきた。元気付けるためにキャンプファイヤーをし、マシュマロを焼いて食べたのだが、この夜の暗さは半端無い。そして空を見上げると・・・・まるで岩に群がる水鳥の大群のごとく、小さいな雲の隙間に無数の星が群れている。

「ミーちゃん、みてごらん」

と僕は空を指差した。しかし、すっかり怖気付いてしまったミーちゃんは両手でしっかりとココアのコップを握りしめ、火から目を離さない。結局、ペルセウス座が空に登る前にキャンピングカーに逃げ帰ってしまった。

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その後、僕は12時過ぎに一人で起きて外に出たが、空全体が曇ってしまっていた。星の光すらなくなった世界の暗さは凄まじかった。まるで目を開けているのか閉じているのかも分からなくなる。一切の光のない闇の中で、太平洋の波が荒々しく砕ける音だけが体に響いてきた。浜まで行ってみようかと思ったが、怖くて足がすくんだ。結局、そのままキャンピングカーに戻り、二階のベッドに登って、すやすやと眠るみーちゃんの隣に体を横たえた。

どうやら地球もまだ、僕たちに明かすことを躊躇っている秘密がたくさんあるようだ。

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小野雅裕

技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。

ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

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