ちょうどいい散歩のために
世界には、ふたつの楽しみがある。チルなやつと、ハイなやつだ。
そしてそのちょうどあいだにあるのが、散歩である。
チルとハイのあいだ
散歩すると、さまざまな視覚刺激が飛び込んでくるし、歩くという運動をしているので、ややハイである。
けれど、よほど派手な街を歩くのでもなければ、どぎつい刺激はなく、おだやかな刺激がおだやかに視界へ訪れる。運動といってもジョギングのような激しさはなく、得られるのは心地よい疲れである。
また、散歩しながら音楽を聴いたり考えごとをしたりすることもでき、「ととのう」感じもする。だから、チルさもある。
そんなわけで、散歩は、じつに「ちょうどいい」のである。
目的は、あいまいぐらいがちょうどいい
何かと忙しない現代、ゆっくり散歩できる時間というのは、仕事と仕事のあいだの、束の間のゆとりかもしれない。
けれど、そこに多くを詰め込むのは、かえって逆効果である。行きたい場所、見たいスポット、たくさんあるかもしれないけれど、それらをどれだけたくさんかき集め、コンプリートしたかよりも、ただ気の向くままに、thinkよりもfeelな感じでウロウロできたほうが、「束の間のゆとり」としても優れている。
いくつかの目印があるのはいいことだ。目印があってこそ、おおまかにもコースを描けるし、思わぬ「ついで」を連れてきたりもする。それに、「◯◯を見た、よかった!さて次は…」と思えることは、散歩の実感をより高めてもくれる。
目的に偏らないほうがいいけれど、ちょっとしたお目当てがあるのはいい。散歩の敵は貪欲であり、「◯◯にも行きたかったのに」と思ってしまうことである。
「気分に乗って歩く」ことがメインディッシュであり、あとはオマケだ。それぐらいのゆとりで楽しんでこそ、グッド・ユトリティである。
そんなわけで、ついつい欲に駆られる自分のために、この記事を残しておく。エンジョイ、さんぽ。
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