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五感が自然にさらわれるとき

2月の岐路に立っている。

仕事をやめるか、続けるか、やめても結局、社会の掌からは逃れられない、人は怖い生き物で、それに囲まれるのは苦しいことだ。かといって山奥へ逃げ込めば、身はもはや凍えるばかり。

そんなことが頭をめぐっていた折、しばらくぶりに川辺へ出た。常緑の葉を縫って差す木漏れ日、空の青をうつして鴨を走らせる水面。閉じていた五感が活性しはじめる。思考は力をなくし、感覚が脳の所有権を奪っていく。

ふと、こんな言葉が湧いた。

「五感が自然にさらわれるとき、わたしは人間をやめることができる」

人間になろうとばかりしてはいけない。こうして自然のなかで、ただの生き物になり、活性する感覚神経の束に堕ちてこそ、気血もようやく体に行きわたるというものだ。

およそ人が創るものより、自然のものを見るのがいい。誰かが描いた川の絵を見るより、じぶんの感覚で川を切り取りたいと思う。一次的でありたい。川へ足を運び、目と肌とで色や形や風や奥行きを感じたいのである。

しばらく五感に身を委ねていた。

冷たい風がふいた。
自然は、優しいばかりでない。

優しい自然がときに厳しいように、厳しい社会もときに優しいかもしれない。
人間を去ろうとばかりしてもいけない。

風邪をひかないように、そろそろ街へ向かおうか。

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