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自分の幸せと引き換えにいい人になる必要はない。

言う責任を放棄して態度に見せる事はなんの意味もない。

日本人の得意技の一つ【空気を読む】
特に発言しているわけではないけど、その人の非言語を読み取って動いてもらう。
子どもたちは空気の読み取りがめちゃくちゃ上手。
「あ、今先生怒ってるな」
「先生、こうしてほしいって思ってるでしょう」
「先生、嬉しそう!」

恐ろしいぐらい健気。

これが結局どうなるのか。

子どもたちはとても空気を読むのが上手な大人になり、
周りの大人たちがやってきたように、言う責任を放棄して相手に感じさせるように仕向ける大人になる。

自分がされたことと同じことをし始める。
これって世界で生きていくにはすごく損だと思う。

私の友人がオランダの男性と結婚した。
そのオランダ人の彼に「泣いてたってわからないよ。それを言わなかった君が悪いんだよ」と至極真っ当なことを言われたらしい。

間違いなく、言わない方が悪いのだ。
言わずに態度で示して、「あいつは全然理解してくれない」
って
「無理やろ!それ!」

言わないって結局無責任な立場なんだと思う。
それをこっちが感じ取ってやる必要はない。
言いたいことは言えばいい。

自分の環境を良くする一つの方法だと思う。

もちろん、波風立てずに平和に暮らせるならそれに越したことはない。
自分が満足に働けていたり、快適に過ごせているならそれでいい。

でも同じ空間に人間が2人以上いる場合そうはいかない。
どれだけ仲のいい親子でも、恋人でも、友人でも、一緒に過ごしていくうちに衝突していく。

まったく違う人間同士、考え方も違うのは当たり前。
その中で話し合うことはとても重要になってくる。

面倒だし、傷つくし、本当のことを聞くのは怖い。
でもそのまま態度で不満を発し続けてもなにも解決しない。
その人とこれからも過ごしていきたいと思うなら、言うことが最も伝わる近道だと思う。

私は人に気を使うということがあまりできない。
共に生活する学級の子どもたちにもすごく伝えていったと思う。
非言語がわからない子どもたちにとっても、すごくわかりやすい担任だったはずだ。

「去年の先生は何で怒ってるか全然わからんかったけど、PERAO先生は何で怒っているかわかる」と言われたくらい、わかりやすかったと思う。

何で怒っているかわからない人に気を使いたいですか?
立場とか年下とか年上とか関係なく、自分の環境を良くするために声を上げることは大事だ。

担任の人事で【一任】と書いておいて
「いやぁ、僕ですよ?高学年担任になるわけないでしょう?」
そんな思いが校長に伝わる訳ない。笑
間違いなく高学年になるよ。

自分の環境を良くするためには【ごねる】しかない。
声をあげてもどうしようもない場合は逃げてしまうほうがよい。
私は教員やめたしね。
人間関係なら離れたらいい。

自分の幸せと引き換えにいい人になる必要はない。

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