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民主主義発祥の地アテネ、プニカの丘の演説台

ギリシャといえば、エーゲ海、パルテノン神殿、哲学者ソクラテス、プラトンなどを思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、ご存知のようにギリシャといえば民主主義発祥の地であり、現代ギリシャ人もたいへん誇りに思っているのです。古代ギリシャ人が創造した政治形態が、現代にも受け継がれているということに、ギリシャ先人たちの偉大さを感じます。そして、この民主主義は都市国家アテネから広がってゆきました。

プニカの丘A

民主主義の意味するもの

民主主義はギリシャ語でディモクラティアといいます。ディモス(人々の意)とクラトス(力の意)の複合語で人々の力、power of the peopleの意味です。民主主義の土台を築いたのは、アテネの裕福貴族アルクメオン一族のクリスセニスです。紀元前507年のことで、日本では縄文時代から弥生時代の過渡期にあたり、ちょうど水田稲作が始まったころになります。

プニカの丘からアクロポリス

プニカの丘の民会

アクロポリスの正面玄関であるプロピレアを綺麗に眺めることができるこのプニカの丘で、アテネの民会がひらかれていました。その当時すでに言論の自由が守られていたそうです。演説をするには話す内容もですが、聴衆を惹きつけ、納得させる話し方も重要でした。そのため、賢者を意味するソフィストと呼ばれる人たちが報酬を受け取り弁論術を教えていました。いわゆる一つの職業だったのですね。
もともとは、人々の生活の中心地であった古代アゴラで民会が行われていたのですが、手狭となったため、町の城壁外のプニカの丘へ移動してきました。その当時、民会はエクリシアと呼ばれておりました。現代ギリシャ語でエクリシアは教会を意味します。人々の集いの場というのがもともとの意味で、時代とともに民会から教会へ人々の集まる場所がかわっていったからなのでしょう。オリンポス山に住む12神、いわゆるギリシャ神話信仰からローマ時代に国教となったキリスト教へとギリシャ人の宗教が変わっていきました。

プニカの丘ビマ

アテネ市民にのみ与えられた参政権

プニカの民会では、約6000人を収容することができました。民主主義といっても参政権はアテネ市民に限られていました。つまりアテネ出身の両親を持つ30歳以上の男性です。どちらかの親がアテネ出身でなければ、たとえギリシャ人であっても、アテネ市民とみなされませんでした。もちろん参政権はなく、他の面においてもアテネ市民ほどの権利は与えられていなかったようです。

プニカの丘演説壇

ビマと呼ばれる演説台

このプニカの丘にビマと呼ばれる演説台が残っています。クリスセニスと同じアルクメオン一族出身のペリクレスもこの演説台で弁をふるい、アテネ市民を統率していったのでしょう。ペリクレスがアテネの指導者であった約40年間にアテネが黄金時代を迎えました。その象徴がアクロポリスの丘のパルテノン神殿であり、エレクティオン、プロピレアであり、これらは歴史にのこる人類の財産です。また、アテネ黄金時代の優れた文明が、ローマ帝国に受け継がれ、後の西ヨーロッパ形成に大きな影響を与えることになります。アテネは民主主義の発祥の地のみならず、西ヨーロッパのルーツでもあるのです。そういう思いで演説台を眺め、熱弁が振るわれていた古代に想いを馳せると小さな感動が湧いてくるのです。

最後に

プニカの丘はフィロパポスの丘と同じく、アクロポリスの丘が綺麗に見える写真スポットでもあります。遺跡になっているため守衛さんはいるのですが、すべての人々に無料で開放しています。アテネ散策の一つのスポットとしておすすめです。遺跡内のベンチに腰かけ、アクロポリスを見ながら古代アテネへ思いを馳せゆっくりするのもいいでしょう。アクロポリスなどのポピュラーな遺跡ではないのでシーズン中でも人で混雑することのない贅沢スポットです。今年は去年に比べヨーロッパやアメリカからのツーリストがギリシャを訪れています。ワクチン接種が進んでいるのと、コロナ当初から比較的ギリシャは感染者数が少なかったからだろうと思います。世界からたくさんの人々が、また特に日本人の方々に以前のように歴史と神話の国ギリシャを訪れていただきたいと思います。(written by Yuki)


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