めんどくさい自己肯定感

今回自己肯定感について書こうと思います。自己肯定感についての定義は、為末さんがTwitterで書いていたことが参考になります。

自己肯定感とは「〇〇ができる自分」によって得られる自信ではなく「何もできなくてもいい」という安心感で得られている自信です。何者かになったり誰かに愛されることによって得られる自信が、愛する人や社会的地位の喪失によって失われますが、何者でなくても一人でいても満たされる力は失うことがありません。自己肯定感はこのようなものに近いと思います。

為末大さんのTwitterより

もしくは、こちらのnoteを参考にしていただいても良いと思います。

自分は自己肯定感が高い、ということを以前noteに書きました。自己肯定感についてですが、友人から言われるまで自己肯定感が高い低いと言うことを考えた事はなかったのです。お金も、地位も、名誉も何もない自分がなぜ毎日楽しそうに暮らしているのかと言う友人からの言葉で、自分の自己肯定感の高さを知ったのでした。よって為末さんの言葉は、とてもしっくりくるものでした。

自己肯定感が高いと言う事は、自己評価が高いと同義であると考えていました。しかし、Shinshinohara さんのnote を見て、かなり斬新な考えであるとともに、身の回りの友人について思い当たることがあったので、自己肯定感について再度考え直してみようと思いました。

なんと、自己肯定感が低い≒自己評価が高いというのです。自己評価の高さは、自己肯定感の高さと関連するのではなく、自己肯定感の低さと関連しているというのです。

という事は、自己肯定感が高いことは、自己評価が低いことになるのでしょうか?どうもしっくりきません。そこでいつものように2 × 2のマトリックス表を用いて、自己肯定感と自己評価について考えてみようと思います。

自己肯定感を縦軸に、自己評価を横軸に書いてみました。そして、それぞれの場所に当てはまる特徴は、このようになりました。(図1)


図1

そうすると、確かに、前向きな言葉は、上の欄に、後ろ向きの言葉は下向きに図示されました。

では、自己肯定感が高いことと、自己評価が高い事は、常に一定してるのでしょうか。自分で当てはめて考えてみると、自己肯定感は維持されたまま、自己評価は高かったり低かったりすることに気づきました。(図2)


図2

例えば、仕事だったら自己評価は高いです。自分の専門分野では他の人には負けないと気概でやっています。しかし、健康を軸にすると、自己評価は低いです。そのため、日々筋トレなどを行い、健康を維持していこうと努力を続けております。

自己評価は、このように高くなったり低くなったりを移動しますが、自己肯定感は高くなったり低くなる事は決してありません。これが自己肯定感と自己評価の決定的な違いだと考えました。

これは伴走者ノゾムさんが言う所の自己をしっかり持っていることに関連するのではないかと思います。

今回右下に位置する人の、名付けに時間を要しました。今回はプライドの肥大化といたしました。もっと良い名前があるかもしれません。これらの人々の特徴は、持っているエネルギーがかなり高いことが挙げられます。そのため、自己肯定感が高い人々対して常に攻撃の姿勢で挑みます。(図3)


図3

プライドが肥大化した人は、左上の人に対して「何でもっと頑張らないんだよ」と、ちょっかいをかけますし、右上の人に対しては、「そんなおいしい思いをしてるのは今だけだよ」みたいな形で、常に貶めるような発言をします。ルサンチマンと言ってもいいかもしれません。

それに対し、自己肯定感が高い人々の反応は「めんどくせーなぁ」です。適当に会話して合わせるようにしながら、友人関係のフェードアウトを狙っています。しかし、ルサンチマン族は、エネルギー値が高いために、そうそう簡単に友人関係を手放そうとはしません。

このように見ていくと、自己評価はある程度幅を持っているのに対し、自己肯定感の高低に関しては、超えられない大きな壁があるようです。この壁を超えることができるのでしょうか?まだ私は答えを持っていません。(図4)


図4

「自己肯定感モンスターが何を言っているんだ」とお感じになる方もいるかもしれません。しかし、自己肯定感の低い身の回りの人を見ていると、生きづらさを感じているように思います。それが、どうにもならないものかと日々模索しているのです。

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