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雑記:自由に打つ

ぺるきちは麻雀は「自由」に打ちたいと思っています。

突然なんだ?って感じですが、特にきっかけも理由もないです。
淡々といきます。

元々、制約だらけでがんじがらめの仕事に嫌気がさしていた時期に麻雀始めたのもあって、自分は麻雀に「自由」を求めているところがあります。

ただ、じゃあ「自由に打つ」ってそもそもなんなんでしょうね?
牌理やAIの回答にとらわれずに打つってことなんでしょうか?
でも「牌理やAIにとらわれない」というのを頑なに志向してしまえば、それはもう「自由」ではない気もします。

自分が定義している「自由」は、その瞬間自分がやりたいように選ぶ、という感じです。
それが例えば、
「ニシキがこうしそうだからワイもこれを切ろう」
「普通はこれだけど、ラグとか考慮すると枚数なさそうだからこっちにしよう」
「上家がダマテン雰囲気出てるから牌理無視してベタオリしよう」
なんでもいいんです。
ただ「常に何か一定の基準を守ることだけを目的として選ぶことはしない」ということにはなるのかなと思います。

もちろんネトマ界隈ではNAGA(の何かしらかのタイプ)そのものになることを方針としている方などもいらっしゃいます。
それを否定するつもりはさらさらなく、ただ自分はそうなっちゃってるってだけです。
むしろそれだけ徹底するというのはかなりセンスと努力の要ることですから、リスペクトしかありません。


少し話題変わります。
今後の麻雀における「自由」ってどうなっちゃうんでしょうね?

NAGAに色々なタイプがあって自由みたいな話もありますけど、それはNAGA界隈の中で選択肢が複数あるだけで、「限定された強者の牌譜から学んで最適化する」という前提のコンセプトは共通しています。
麻雀というゲーム全体を俯瞰する上ではまだまだ局所的な解析になっているのかな、と自分は捉えています。

それでも今のところ麻雀AIと言えばNAGAという風潮です。
これは結局のところNAGAが「(人間を参考にしているから)人間に理解しやすい」という点が大きいと思っていますし、だからこそ勉強ツールとして非常に優秀だと思います。
ただ、なんとなく「人間に理解できる範囲内」って井の中の蛙感があるんですよね。
AIの究極として求められるのは「限られた時間では人間には到底導くことが不可能な優れた結論を出すこと」だと思いますし、そういうことをやるAIは近い将来出てくるはずです。
(毎巡全員の手牌を網羅的にシミュレートして、最も合理的な選択してくるとか?)

その時、今みんなが信じているセオリーがもしかしたら否定されるかもしれないし、否定されたところでAIの出す新セオリーは使いこなせないかもしれないし(実際Lucky Jですら話題にはなっても理解が難しいので参考にはあまりされていない)、どうなるのかはわかりません。
ただ、その時には人が打つ麻雀の意味とか意義とかって話にはなるのかなと。
まあこういうのは麻雀より将棋・囲碁の方が先行してそうですし、なんならDX革命言ってる産業界でも「AIが色々できるようになる中で人間がどんな仕事をするべきか」を問われているという意味では、本質は一緒かもしれません。

仮にAIが人間の思考力の完全上位互換になった時(人読みまで含むレベル)、皆さんどうやって麻雀打つんでしょうね。
どうせ俺がどんなに考えても永遠にAI以下なんだから、って不貞腐れる人も出るんですかね?

個人的にはなんかそれでも、何が正しいだの間違いだの、牌のやり取りやら対人の駆け引きやら爆運だの不条理だのを引っくるめて皆さん十二分に楽しむ気がします。
そういう風に単純にワイワイガヤガヤやることが、麻雀を「自由に打つ」ってことなのかもしれませんね。

今後どうなっていくか楽しみです。

え?どんな打ち筋だろうがミスと判断できる打牌をバンバンしてるやつが語るなって?
かしこまりっ!
また段位戦で会いましょう!

でわ。

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