【人生のバイブル本】波動コンサルタント桑名正典の特選の1冊 すべては今のためにあったこと 

今日のチャンネルでは

私のバイブル的な本を

ご紹介しようかなと思います。

 

今日ご紹介するのは

『すべては今のためにあったこと』という

本です。

ぜひ読んでいただければ

いろいろ学びになるかなと思いますので

参考にしてください。

 

 

元の動画はコチラ

 


 

この本は今から7年前

初版は2013年2月に出版された本です。

(※2020年5月2日配信動画です)

 

伊勢の父と呼ばれた

伊勢修養団というところの

元伊勢道場長 中山靖雄先生の書かれた本です。

 

残念ながら中山先生は

もうお亡くなりになられたのですが

私はお会いすることは結局一度もなかったのですが

昔のお弟子さんで一番弟子みたいな方と

一緒に講演をさせていただいたことはあります。

 

 

情報にも波動がある

 

この本は、本当に素晴らしい本で

波動的にいうと、

情報(本)にも波動があると

私はよくお伝えしていますが

本当に情報にも波動があって

いい本というのはどういう本かというと

波動の幅が広いです。

 

引っかかってくる

波動の幅が広いです。

 

なので、自分が成長していくと

どんどん自分の波動と高い部分も

低い部分も出てきますが

人は本を読んでいても

自分の今の波動の情報しか

引っかかってこないです。

そのため、心にも残らないようになっています。

 

なので、自分が成長して

高い波動にアクセスできるようになったときに

読み返してみて

こんなこと書いてあったんだと思う本というのは

私の中では素晴らしい本だなと思っています。

 

何回も一年一度読んで

何回も毎年気づきのある本は

私は長く持ち続けて

素晴らしい本だなぁと思いますが

この本がまさにそういう本で

2013年に出版されて

私は出版直後にこの本を買いましたが

もう本当に何回も読んでいますが

何回も気づきになる

新たな気づきを

こういうことを書いていたんだ

と思わせてくれる本です。

 

だから、どこまで成長しても

たぶん気づきがある本なのかなということを

感じています。

 

それは年配の方が

書かれている本で

当然なんですけれども

そういった意味で

素晴らしい本だなということを想っていて

いろんな人に紹介しています。

 

御霊どおりの生き方

 

書かれているのは

いろんなことを書かれていますが

その中でも中山先生が言われているのは

御霊どおりの生き方をしましょう

ということを言われています。

 

自分の魂が思う通りの

生き方をするんだよ

ということを書かれています。

 

魂というのは、

「たま」と「しい」に分かれています。

 

「たま」が御霊のこと

「しい」が心のことなんだよということを

書いてくれています。

 

すこしご紹介しようかなと思います。

 


 


天本来の生き方をするには、心や体だけではなく、
魂で生きているということに思いを寄せていくことが大切です。
 
私たちはみな魂を持って生まれてきました。
じつは「魂(たましい)」というのは、さらに「たま」と「しい」に分かれます。
この二つで「魂」=「たま」「しい」なのです。
 
「たま」は「みたま(御霊)」ともいいます。
これは天同様、天本来の働きをするものです。
 
私たち、体の内にそのような美しいものをいただき生まれてきました。
魂はどんなこととしてでも、どこに行ってでもこの世に生まれてきた役割を
果たそうとします。
 
もうひとつの「しい」は「心」です。
「楽しい」「嬉しい」「嬉しい」「悲しい」「欲しい」「惜しい」「悔しい」……など、
感情を表す言葉には、「しい」がついていますね。
このように「しい」は自分の思いを表しています。
 
天から与えられた役割を果たそうとする「たま」とは違って、
「しい」である心は、「どこに行ったら自分にとって都合がいい」とか、
「これは自分にとって悪い役割だ」などという、
自分を中心とした思いが働きます。
 
この「しい」 があるので、天そのものである「たま」どおりに生きにくいのが
私たちに人間です。
 
しかし、人間が生きていくためには、
この「たま」と「しい」 の両方が必要です。
人生の中で「たま」は無自覚に天から与えられた自分の役割を果たそうとしますが、
「たま」には心がありませんから、
喜びや楽しさを感じられないのですね。
 
「悲しい」とか「憎らしい」とか「悔しい」など、
負の心も含めて、心にはさまざまな思いがあります。
 
喜怒哀楽、全部持たせてもらって生まれてきたことには意味があります。
「しい」 があるから、私たちは具体的に行動したり形にしたりできるのです。
 
このように人は「たま」どおりに生きるために、
「しい」 である心を使っているのです。
 
ですが、これを忘れ「心」だけにとらわれすぎると、
「業」の世界になってしまいます。
「業」が苦しみを生みます。
いくら「心」も必要だとはいえ、自分の思いばかりで、
我を強め、思いすぎ、悩みすぎは、人生の苦しみになってしまうのです。
 

出典 『すべては今のためにあったこと』中山靖雄著 海竜社

 

御霊どおりの生き方。

「たま」は御霊で

「しい」 が心で

心は全然あっていい。

心は自分中心のものですが

心がないと楽しいとか

喜びとかそういったものが感じられないけれども

その心だけにとらわれすぎると

外れてしまうよというお話です。

 

こういったことを

ずっと今から7年前に

(※2020年5月2日配信動画です)

こういったことを読んだときは

そうなんだと思って

そのときなりには理解していたのですが

こういうことを踏まえ

自分の人生を歩んでいっているわけですけれども

だからといってすぐにこの御霊どおりに生きられるか

というとそうでもなく

御霊どおりに生きているかと思っていたら

心にとらわれていたりとか

ということを常にブレながら

やっていくのですが

振り返ってみて

もう一度読んでみると

そういうことを言ってたんだということを

感じさせていただく

そんな本です。

 

もうちょっと読み進めてみましょう。

 

 

「みたま(御霊)」どおり生きるとは、自分だからこそ与えられたその天の役割を
素直にまっとうすることです。
しかし、私たち人間は、他人からよく見られたい、
よく思われたいと思ってしまう生き物です。
 
人はどうしても「あの人がいい人だ」と言われたいという思いが湧いてきてしまう。
「欲しい」「惜しい」「嬉しい」「悔しい」というものに振り回されてしまうのが
「心」の世界です。
「心」というのは自分に向かって働きます。
だから物事が難しくなるのです。
人間は本来の自分通りにしか生きられないのですが、
「こうありたい」とか「こうなりたい」と、やっぱり望んでしまうのです。
心にとらわれず生きている人は、「自分」どおり、つまり「みたま」どおりですから、
その人から出てくる言葉や行動も「みたま」どおりです。
無邪気だし、天真爛漫です。
そういう人は、どんな状況でも苦しみません。
「みたま」どおりに生きていると「いいふうに」なっていくように、
ふとふと誘われていくのです。
そして、人のことが自分のことのように気になって仕方がない。
天と同様、自分と人との区別がなく、すべてひとつなのです。
 
ですから人の喜びが自分の喜びとなり、
「みたま」どおり生きると、喜びの多い人生になるのです。
 
だからこそ、「しい」 の心をよく理解して、心を修める「修養」が大切です。
 
それがわかれば、心である「しい」 を持ちながら「たま」=「みたま」
どおり生きていけるのです。
 
「たま」どおり生きる人生は、その時、その場に必要なことを
ふとふと気づかせてもらうため、自分の天本来の「役割」を果たすことができます。
 
人生が終わり、人が亡くなる、「しい」を地上に落とし、
そして「たま」だけが天に帰っていきます。
 
「しい」 である心や思いを離して落としていくわけですね。
この世での「役割」を果たし終え、「こだわり」や「思い」を捨てて天に帰っていく。
これが「浮かばれる魂」です。
 
よく恨みや心残りがあったまま亡くなった人のことを指して、
「あの人は浮かばれない」などと言いますが、
これは「たま」が天国へ行こうとするのに、「しい」が引き止めて
上がらせない状態のことをいいます。
思いやこだわりが異様に強すぎると、「たま」から離れず上がれないのです。
 
死んだら、「しい」は「たま」をパッと離してあげて、
早く天に帰してあげることが大切です。
 
同様に、亡くなった方の周りの人も、「しい」を強めすぎないで、
亡くなった方の「たま」を天に帰してあげてください。
 
そのようにして浮かばれた「たま」は、また生まれる時に、
「しい」という心に包まれて生まれてくるのです。
 

出典 『すべては今のためにあったこと』中山靖雄著 海竜社

  

人それぞれ役割がある

 

 

役割の話を

是非シェアしておこうかなと思います。

 

 


役割に上下はありません。
天下の与えられた役割を素直にありがたくとらえて、
喜びをもって務めることです

出典 『すべては今のためにあったこと』中山靖雄著 海竜社


私のところには

自分らしい人生の実現をしたい、

自分は大好きなことを仕事にしたいと思って

来られる方が多いですけれども

人それぞれ役割があって

私みたいに人の前に出る役の人もいれば

うちのスタッフは

それを支えてくださっている役割です。

 

その役割に上下はなくて

今与えられた役割を一生懸命やることで

次の役割が与えられていきますが

そこに上も下もないというお話です。


みたまどおり生きることとは「役割」をまっとうすることでもあります。
「籠(かご)に乗る人、担(かつ)ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」
という言葉があります。
人の役割の尊さを伝える言葉として使われてきました。
組織になると、役割がありますね。
役割に上下はないのですが、
うっかりすると、立派な役割とそうでない役割があるというふうに
思ってしまうことがあります。
 
 
たしかに、役割には「陽のあたる役割」と「陽の当たらない役割」があります。
しかし、それは「立派さ」とは関係ないのです。
ここが大事なんですよね。
 
たとえば、私が講演で人様の前でお話しさせていただくと、
陽があたっているように見えます。
反対に、どれだけ立派な方が客席で聞く役割をしていただいても、
陽が当たらないわけです。
 
新入社員の研修の時に、私はよく
「新入社員の方々は足の裏みたいなものです」
と申し上げます。
 
「その組織の中では一番下なのですよ」とお伝えするのです。
そして、「社長は顔みたいなものだ」と言います。
 
もしかしたらみなさんは、顔がよくて、足の裏は割が悪い、
と考えられるかもしれません。
しかし、必ずしもそんなことがないのです。
お風呂に入る時、どこから入るかというと、
だいたい足の裏から入るでしょう。
最後まで入っているのも足の裏でしょう。
顔なんて一生風呂に入れないのですからね。
 
こうして必ず、どんなものも、その場その場で、
陽の当たるところと、陽の当たらないところが、織りなしているのです。
 
「役割」が「立派」なのではなく、その「役割」をどうとらえて生きるかによって、
「人生の立派さ」が変わってきます。
 
「役割」をいいふうにとらえて生きることができるか、
できないかというのは、
「自分があるか、ないか」というところに関わってきます。
 
天から与えられた「役割」として、
天に使ってもらう、という思いが大事なのですね。
 
これは、自分の頭を使って考えて動く世界ではなく、
おのずとここへ来てみたらうまくいったとか、
ふと思ったことをしてみたらすべてがうまく流れ出したとか、
天に誘ってもらう世界です。
 
天からふと思わされることに「はいはい」と、素直にそのとおりさせてもらっていたら、
次にやることはこれ、とか、次の場所をここ、
というようになっていく。
 
使ってもらえたらありがたい、と思っている人が、
天に対して「自分がやります」と手をあげたら、その都度、
「役割」をいただけるのです。
 
「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」
というように、自分ではどうにもならない与えられた役割があります。
 
草鞋を作る人にとっては、この草履をいかに、籠を担ぐ人が心地よく履けるかとか、
長持ちするかとか、それにおいては日本一だと思えるようなものを作る、
というのが最高の努力目標であり人生です。
 
草履を作る人が籠に乗る人になるように努力をするより、
その人はずっと幸せなのです。
 
籠を担ぐ人は、編んでくれた草履に感謝しながら、籠に乗る人が喜んでくれるように
体を鍛えたり、自分のできることで貢献しようとします。
 
また、籠に乗る人は乗れるだけの自分でないと、いつでも転げ落ちるわけです。
また周囲のことを考え、心配りできるような人でないと籠には乗れないのですね。
 
このように。それぞれの役割があることを教えてこそ、
「ああ、そうなんだなぁ。自分の役割はここなんだ」と喜べると思うのです。
 
今おしなべて「なんでもなれるよ」と言い、そして「こういう努力をしたらいいんだよ」
と教えるので、非常に不幸な時代だと思います。
 
草履を編むのが本当にすごく好きで、その道を極めたいと思っているのに、
周りからは、「なんで籠に乗る人になりたいと思わないのだ! 
どうしてがんばらないのだ!」と責められて、
そのうちに籠に乗れる人になれなかった自分はダメなんだ、
と思ってしまう、というようなことがあると思うのです。
 
今の時代は、自分の役割が見えにくくなっています。
本当に自分にぴったりくるものを感じる前から
「こっちがいいよ」と、示されるのが早すぎるのです。
 
自分が心地よくて、命が喜ぶことはこれなのだと、
つかんでいく前に頭から入ってしまうのですね。
 
頭の世界から離れて、それぞれ自分の役割を生きていくことが大事なのです。
 

出典 『すべては今のためにあったこと』中山靖雄著 海竜社

 

ちょっと道徳的な感覚で聞かれると、

私はすごく道徳嫌いなのですが、

本当に振り返ると、

すごく大切はことをいっぱい教えてくれてたな

という本です。

それ以外にもいろんなお話がありますので

ぜひ読んでいただくといいかなと思います。

 

1回読んだとしても

何か困ったときとか

半年1年経ったときに

パッと開いた所に

今の自分に必要な情報というのがありますので

本当にいい本だなぁと思います。

 

私はいつも御霊どおりの生き方を

意識してやっていますので

ここから何かを感じられることがあれば

嬉しいなと思います。

 

今日は私のバイブルの1つである

『すべては今のためにあったこと』という本を

紹介させていただきました。

 

 

いつもご覧いただき、どうもありがとうございます。

 

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