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虹鱒が棲む深い谷で

「山やってましたよね。ザイルも買ったんです」とSは言った。

その谷は上流に昭和初期に造られたダムがある。ダムには誰が放したのかは知らないが虹鱒が棲んでいた。Sから一枚の写真を見せられたことがある。Sが高校生のときに山道を三時間かけてそのダムに行き釣り上げた虹鱒の写真だった。

ダムはトロッコを使って造られたので林道はなかった。その事が自然繁殖する虹鱒を守ったのだろう。ワイルドですよという彼の言葉を裏付ける見事なひれをしていた。

高校生のSはダムに行くのに友人と谷を溯行していくことを考えたという。しかしその谷は「悪谷」として知られていた。地図には切り立った崖記号が続き、延々と続くゴルジュ帯を想像して諦めたという。結果、山越えのルートを選んだ。目的の自然繁殖の虹鱒は手にしたものの、ダム下の谷はSの中で流れ続けた。

その夏、長く工事を続けていた谷に沿ってダムまで伸びる林道が開通した。Sは林道が谷に与える影響を考えると心穏やかではいられなかった。Sはともかくなるべく早く谷に入ることが大事だと思った。林道建設により土砂の流入よりもむしろ釣り人が増えることによる荒廃を恐れたである。そんな谷なので漁協はない。たとえあったとしても目的は放流魚を釣ることではなかった。
林道が開通したのは夏、虻の発生の最盛期だった。虻に対する危惧はあったがSは我慢できず谷へ向かった。虻の集中砲火を浴び谷に降りることもできずにほうほうの体で逃げ帰った。残念ではあったけれど、これなら当分釣り人が入ることはないだろうと安心もした。
虻が収まる八月下旬を見計らってSはまた谷に出かけた。穴のあくほど眺めてきた国土地理院の地図には、林道が始まる起点からダムまでの中間に滝を記号があった。単独行であったこともりあり、難所と思われる滝は避けその上流をやるつもりだった。
地図には完成したての林道は載っていないので、距離と地形を確認しながらゆっくりと下降地点のアタリをつけながら車をすすめた。深い樹林帯と藪が続き林道のはるか下に流れが見えたのは、ダムまでほんの二キロの地点だった。二百メートルほどの斜面を滑り落ちるように川まで降りた。川にも虹鱒は、いた。

九月に最初の休日、その話を聞いたぼくはSの誘いにのった。
Sのプランは滝の下流から入渓流し川通しに完全溯行するというものだった。滝に備えてザイルも購入したという。上流のダムの下であれだけ釣れたのだから滝の前後も釣れるはずで、むしろ滝が人を遠ざけているに違いなく、上流のダム下よりも釣れるはずだというのが彼の見立てだった。滝の前後がこの谷の核心部分だろうとSは言った。
林道はほぼ川に沿って造られているが、1カ所だけ大きく川を外れ高巻く場所があり、この高巻きの下が地図に載っている滝になっている。そのことはSが一人で来たときに確認済である。したがって滝を越えて溯行するには、林道が川から外れ始める地点より下流から入渓しなければならない。地図では見事な崖記号が並んでいて安全に川に降りられる場所など見つからない。だから実際に自分の目で見て〈降りられそうな場所〉を探すことになる。

ぼくらは下流から下降地点を探しながら林道をゆっくり進んだが結局、滝を迂回するために道が大きく川から離れはじめる地点まえ来てしまった。車を降りて周辺を歩き回ると林道に小さな橋がかけられ、小さな沢が谷に向かって流れているのが目に入った。その沢伝いに谷まで降りられるような気がした。寒かった。空は今にも泣き出しそうだった。

水を吸収しないポリプロピレンの上下の下着を着た。クロロプレンソックス足を通し、カットの浅い源流用のウエーディングシューズを履いて、雨具や食料、釣り竿以外の釣り具をザックに入れて背負った。泳いでも良い格好である。ザイルはSが持った。林道から沢に入り谷を目指して下る。林道から谷底までの標高差は100メートルほどである。沢は下るにつれ深くなり、視界が開けて川の対岸が見えると、沢は滝になって落ちていた。滝の高さは10メートルか。
通常沢は下るものではない。崖を降りることは登るより難しい。ロック・クライミングの第一歩は下降練習から始めるという。山では道を見失った場合沢を下るのではなく、上へ突き上げ尾根を目指す、尾根に出たらさらに上のピークを目指すのが定石である。それが一番道に出やすく、見つけてもらえやすい。もちろん例外的にすんなりと降りられる沢もあるのだろうが、この沢は例外ではなかった。
沢を少し戻って小さな尾根に突き上げ、尾根沿いに下ったがまたストンと落ちていた。地図の崖記号のとおりだった訳だ。ザイルの使用も考えたがそれは滝にために買ったものでこんな場所で使っては先が思いやられる気がした。樹木を掴みながら7メートルほどの崖を降りた。本命の滝に行くまえに早くもわれわれの顔はひきつっていた。
期待の流れは貧相なものだった。基本的に死んでますよというSの言葉のとおり、いやそれ以上に谷は砂に埋まっているように思えた。上流にダムのある川の宿命であろうか。しかし一週間前にSが入渓した区間も同じような渓相だったという。訝しげなぼくにSは、こんなチョロチョロの流れにもピンシャンの虹鱒がいると言った。

竿をつないでリールを取り付けガイドにラインを通し、ティペットにフライを結んだ。ポツリと雨が落ちてきた。滝までの距離は推定二キロである。天候のことを考えてポイントを適当に拾いながら先を急ぐことにした。雨は激しくなることはなかったが、止むわけでもなくシトシトと陰気にしたたり続けた。
フライを流れに打ち込みながら先を急ぐ。ここぞというポイントでは慎重なアプローチを心がけたが反応はなかった。途中大きな淵に浮いている虹鱒を見たが、三回投げるうちに沈んだ。岩魚がいそうな流木の陰の小さな落ち込みにも虹鱒を見つけたが、相手もこちらに気づいたらしく、何もしないうちに岩の下に潜りこまれた。魚はいるが、それほど沢山はいないようだった。反応は皆無だった。
虚しいキャスティングを続けながら一時間ほど溯行を続けると視界が開け、谷が広がり滝は現れた。釣果と天気ははぼくらの気持ちを重くしたが、目の前の滝にさらに気持ちが萎えた。
落差は三〇メートル。およそ真ん中あたりに釜があって一旦水をため込んで、そのから滝壺へ落ちていた。水量が滝の規模に比して少ないが、渇水の時期と上流にダムがあるからだろう。大きな白い岩が水の浸食を受け、およそ取り付きようがなく直登は無理なのは明らかだった。巻くしかない。
滝に向かって左側、つまり右岸側はガレており手がかりになる木は草もなかった。一方左岸側は取り付き部分はややガレ気味なものの、小さな沢のようなエグレがあり足をかけられそうな岩の突起や手がかりになりそうな草や木も生えていた。斜度はどちらも同等に急峻である。行くとすれば左岸か?そう行くとすれば・・・。行くのか、戻るのか。ぼくらは迷った。
雨はまだしっとりと降り続いていた。

戻るというとは林道に戻るということだ。林道はこの滝の区間のために大きく川筋を離れて高巻いているのだ。右岸を突き上げていっても林道に出るまでにはかなりの藪漕ぎを覚悟しなければいけないだろう。そもそも右岸を直登することなど無理なのだ。ならば谷を下って川が林道に近づく地点、つまり入渓地点まで戻るのが一番アルバイトが少なく効率が良いように思えた。しかし、緊張したあの下降地点を登ることを考えると気が滅入った。戻るのも面倒だった。
どうする?とSに聞くと、ぼくが行くなら行くという。どうやら山経験が多いぼくがリーダーのようだ。左岸のルートなら行けそうではあったし、やはり滝の上が気になった。きっとこの滝を前にして引き返した釣り師も多いだろう。その証拠が今日の貧果ではないか。上流から谷に降りても、そこから滝までは川を釣り下る人もいるだろうが、それほど多くはないに違いない。滝の上流から再び林道が谷に近づく地点までの間は、いわば竿抜け区間、いいに違いない。そもそもまだ1匹も釣ってないのだ。ぼくらの意欲は釣り欲に支えられていた。ムラムラとその気持ちに火がついた。うつむいていた顔が上を向いた。

正直に自分の登山経験を告白すれば、実はもっぱら縦走、尾根歩きと藪漕ぎをしてた経験しかなかった。その延長で小さな岩場の経験はあったが、本格的な岸壁を登攀したことなどないし、沢登りも初心者向けの丹沢の沢を一度やったことがあるだけで、もちろんザイルも登攀用具も使ったことがなかった。

取り付きまで一〇メートルのほど藪を漕ぎ、ガレた斜面を三メートルほど進んだ。右手をグイっと伸ばして雨に濡れた岩をつかみぼくらは登り始めた。トップは自分がとった。ホールドできる突起はあったので順調に進んだ。行く手を阻んだのはオーバーハング気味にせり出したひとかかえほどの岩だった。無理をすればそのまま登れそうだったがトラバースできるルートを探す。左手の方向には木が生えててそれを頼りにすれば行けそうだった。左に大きく手を伸ばし岩をつかみ、次に足をかける場所探す。その時に取り付くときに抜けてきた藪が目に入った。高さに足が震えた。この恐怖心が身体の動きを鈍らせる。だからこそ意識的に下を見ないようにしていたのだ。
恐怖が根付く前に、つまらぬことを考え始める前に意識をホールドに集中させた。三メートルほど斜め左上にすすみ、木と草の生えた平らな場所にたどりついた。さらに左にのぞき込むと青々とした水をためた中断のお釜が見えた。上方に目をやると五メートルほどに滝の頭が見えた。そこまで行ければ終了である。しかしつるりとした一枚岩でルートはなかった。もう少し山側へ、トラバースしたオーバーハングした岩の上に出て元のルートを辿るしかなかった。わずかな岩の突起と露出した木の根をたよりに右上に進み、その岩の上の小さなテラスに立った。
次の仕事は下で待っているSへの指示である。自分が辿ったルートと先ほど下から見上げた岩を思い浮かべて難易度は変わらないと判断し、直登するように指示を出した。
Sは言われたとおりに岩に取り付いた。しかしすぐに身動きができなくなってしまった。ザックがなければなんとかなると言う。ぼくは自分のザックを下ろし濡れて滑りやすい岩の上を手と頭の先だけを見せているSに近づき、手を伸ばした。届かない。少しずつ前に出て3回目でようやくSのザックを掴むことができた。Sのザックからザイルを取り出した。トップにもかかわらずザイルをもっていなかったのだ。足元を蹴り込んで堆積した泥を退かし足場を固め、身体にザイルを巻いて、Sに向かってザイルを垂らした。そしてやっと窮地を脱した。
胸のポケットに入れておいたタバコに手を伸ばしたが見つからず、Sから分けてもらったタバコに火をつけた。ひとまず二人で一服である。この先のルートを目で追う。残りの高さは七~八メートルほど。もう手の届きそうな距離である。しかし想像してた以上にガレ気味なのが気になった。戻ろうか。しかし今登ってきた場所を降りることにも同等の不安を感じた。お互いに口には出さなかったものの深い後悔に捕らわれていた。このときSは家族のこと、仕事のこと、恋人のことを考えてたと後日告白したが、自分もまったく同じだった。行くも地獄、戻るも地獄。
どうする?ふたたびSに尋ねた。答えはさきほどと同じぼくが行くなら行くいうものだった。タバコをもみ消し、気を引き締めてザックを背負って岩に向かった。

二メートルほど登ったところで右手をかけた岩がグラリと動いた。落石!と声をあげる。身体がこわばってもはやそれ以上進めなかった。地上から二メートルならきっと登れたに違いない。しかし高さの恐怖に負けた。もはや滝の上の魚などどうでもよかった。やっぱりやめようと言うとSはホッした表情でうなずいた。

恐怖に捕らわれたぼくらは、とにかく下降しなくてはならなかった。頼りはザイルだ。ザイルさけがぼくらの味方になってくれるはずだ。ザイルを使って下降した経験など亡かったくせに、ザイルがあれば降りられると思っていたのだ。

ぼくらはザイル以外の登攀道具はもっていなかった。まずはザイルを通すしっかりした木を見つけなければならなかった。自分たちの周囲には木などない。トラバースしたときに足を乗せた木の根が理想的な形状であったことを思い出した。直径七~八センチの杉の根が環状に露出していた。
大きく息を吐いて慎重に木の根に向かって足を踏み出した。撤退を口に出したときに恐怖に負けてしまっていたのだろう、少し前に通ったばかりなのに恐怖はより大きくのしかかってきた。泣く出したい気持ちをこらえてて根にザイルを通し強度を確認した。下まで一〇メートル。先にSを下ろすことにし、気をはっていけよ、と声をかけた。Sはええと引きつった顔でうなずいた。

慎重にザイルを伝ってSが下に降りたことを確認した。自分の番だ。ザイルに手をかけて動揺した。多分こういうのを懸垂下降というのだ。ザイルがあるだけで何となく使える、降りられる気になっていた。たしかこういうときはザイルを身体に絡めるのではなかったか。昔読んだ本を思い出して、試してみたが確信がもてない。Sはザイルをただ両手に握って降りただけだった。Sが下降に入るときアドバイスをしてやりたかったが正しいやり方を知らず指示のしようがなかった。それでもSは降りることができた。
Sと同じようの降りようと決心した。
ザイルを右手に一度絡ませて左手で右手から伸びたザイルを持ち下降にはいった。怖がって岩にしがみつくような格好は逆に危険なので、ザイルに身体をザイルに預けた。その瞬間、ザイルが手の中を滑り始めた。強く握って滑っていくのを止めようとしたが、馬鹿なことに軍手をはめていたのだ。雨で濡れた軍手でザイルを止めることはできない。
ぼくの足は岩から離れて宙に浮いた。張り詰めた緊張の糸がぷつりと切れて、一瞬、解放感のような、しいていえば安心感にちかい不思議な感覚につまれた。やってしまった。手に握ったザイルの滑りがとまるのと同時にガレ場に背中から着地した。Sが滑るように近づいてき声をかけた。
しばらく間があいてSの声に応えた。大丈夫だよ。最後のまでザイルを持っていたのと、背中のザックから落ちたこと、また落ちた場所が岩ではなくガレ場で斜面だったのが良かったのだろう。怪我は全くなかった。落差を考えれたら幸運だったとしかいいようがない。
ぼくらは川を下り入渓流地点まで戻り、這いつくばって必至に崖を登り、斜面を突き上げて林道に出て車に戻った。着替えて車に乗り込み発車させると首の痛みに気がついた。軽いむち打ちになっていた。車中でふたりとも余り口をきかなかった。ぼくらはザイルの使い方も知らず練習もせず谷に入ったことを深く反省した。山を、谷を甘く見ていた。

後日ヒマラヤから帰ったばかりの友人にこの話をすると心底呆れられた。彼の所属する山岳会でも最近立て続けに二人、滑落で亡くなったと聞かされた。原因は初歩的なザイル技術の欠如だそうだ。

フライの雑誌27号 1995年初春号

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