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ライズなし  The Poer Of Love をめぐるストーリー

男は古いオービスの竿を持ってサンフランスコにいた。 チャイナタウンの入り口の門をぬけ、ブッシュストリートを渡り100mほど進んだ左手にオービス・ショップはあった。男は1階のアウトドア・ウェアを扱うフロアを抜けると、2階の釣り道具売場へ上がり、古いオービスの竿を店員に差し出した。 「この竿の修理を頼みたいんだ」 8フィート、6番、3ピース。「トラウト」と名づけられたその竿は、男のものではなく男の友人の預かりものであった。長めの竿が流行の最近ではあまりぱっとしない竿ではある。 も

    • カーティスクリーク幻想

      友人の故郷は千葉である。職場は実家から通えない距離ではなかったが、都内にアパートを借り実家には戻ろうとしなかった。 「だって、千葉にはヤマメいないじゃん」 と言うのである。 「千葉にヤマメがいればなあ」 もしそうならば、彼は千葉に住んでもいいと思っている。真偽のほどが定かではない噂はあったがふつう千葉県には鱒類はいないとされいる。山はどこも低く、地質も砂または粘土で渓流魚が生息している川などない。日本広しといえど渓流魚がいないのは沖縄と千葉ぐらいではないかと言う。 そんな彼が

      • 千葉県でも鱒釣りができる夷隅川フィッシングパーク

        夷隅川フィッシングパークは千葉県の中でのおそらく唯一の自然河川を利用した管理釣り番である。(※現在は閉鎖です。2024/04/20)房総半島の勝浦あたりを水源にし大きく蛇行しながら大原で海に注ぐ夷隅川の中流、大多喜町の市街地の外れにある。いすみ鉄道の大多喜駅から徒歩一五分なのでその気になれば列車で行ける。 釣り場の環境はお世辞にも良いとはいえない。川底は砂地で粘土質の石とも言えないような粘土質の塊が少々、ごく一部を除き落差もなくタラ~と水が流れている。水深浅く、透明度も低い。

        • ウォールデン ソローが住んだ、あの場所で釣りをした

          深夜なにげなくテレビのスイッチをつけると、きれいな湖の畔を歩く作家のC.W.ニコル氏の姿が映し出された。一四歳のときにヘンリー・デビッド・ソローの『ウォールデン』を読んだニコル氏が長年の憧憬を抱き続けるかの地を訪れる企画のようだった。その湖はウォールデンの池だった。ニコル氏にとって『ウォールデン』との出会いは北極探検やアフリカでの国立公園の設立等、その後の人生の原点だったようだ。本当に一四歳のニコル少年はソローと『ウォールデン』にインスパイアされたらしいのだ。 今さら説明す

        ライズなし  The Poer Of Love をめぐるストーリー

          折れたロッドをめぐって

          ミッシェルはかわいい。そのうえ日本語も達者だった。 私の勤務する部署は毎年海外から企業研修生を受け入れており、彼女は夏の三ヶ月間預かっていたアメリカ人の女子大生だった。職場では私が最年少で年も近く、お世話役を仰せつかった私は、積極的な働きかけもあり休日のデートすることになった。 「今度の日曜日、フジヤマにドライブ行こうよ」 彼女はニッコリうなずいた。 当日、車内での会話ははずみ、ぼくたちはいい感じで富士五湖めぐりをしていた。東名高速経由で本栖湖、西湖、精進湖からを見て河口湖へ

          折れたロッドをめぐって

          カムバック

          東京に戻ったAは神様の話をするようになった。 古代ユダヤと日本の関連性を話し、現在の状況を自分の都合の良いように解釈し、近い将来に救世主、メシアが現れるのだと得々として語るようになった。別の友人には自分こそはそのメシアであると、博多から東京までの車の中で延々とやってのけたらしい。転勤で数年ぶりに東京に戻ったAは釣りに行く車の中で口を開けばそんな話ばかりするようになった。 釣りに行くときのはずんだ気持ちも台なしである。最初は適当に受け流していたが会うごとに話がエスカレートして

          カムバック

          虹鱒が棲む深い谷で

          「山やってましたよね。ザイルも買ったんです」とSは言った。 その谷は上流に昭和初期に造られたダムがある。ダムには誰が放したのかは知らないが虹鱒が棲んでいた。Sから一枚の写真を見せられたことがある。Sが高校生のときに山道を三時間かけてそのダムに行き釣り上げた虹鱒の写真だった。 ダムはトロッコを使って造られたので林道はなかった。その事が自然繁殖する虹鱒を守ったのだろう。ワイルドですよという彼の言葉を裏付ける見事なひれをしていた。 高校生のSはダムに行くのに友人と谷を溯行して

          虹鱒が棲む深い谷で

          絶句

          出張先で血尿に気がついたのは1月26日のことだった。赤く染まった便器にぎょっとしたが痛みは全くなかった。長期出張から戻りようやく2月6日の夕方に家の近所の泌尿器科クリニックに行った。 まだ血尿は続いていた。最初は出ないが途中すぐに赤い血が混じり、最後に血はまた収まる。最初から最後まで真っ赤という訳ではなく相変わらず痛みもない。早速血の混じった尿検査をしてもらった。クリニック内の簡単な検査で内臓疾患ではなく、可能性としては石か癌だと言われた。石の場合は腰のあたりが痛くなるので

          ハートの火を消して

          新幹線とレンタカーを使って五月にイイ思いをした東北の川にまた来ました。いやぁ五月は良かった。フライフィッシャーなら誰でももっているような川でしたが、ポイントごとにヤマメが飛び出し自己記録更新の泣き尺ヤマメを含め、型、数とも今までにないほど釣れました。 もう顔はだらしなく緩みっぱなし。魚はいるし釣り人はいないし、ああフライをやっていて良かったぁ・・・と幸せをかみしめたあの日。思えば、その日がフライフィッシャーとしても最良の日だったのかもしれません。 夢よもう一度と辛抱たまら

          ハートの火を消して

          炎の大地のシートラウト

          マゼラン海峡の向こうに炎の大地があり、そこに大川が流れ、その川が海に戻る場所に川と同じ街がある。 午前四時、隣室の泊まり客が部屋の壁を叩いた。イヤホンで聴いてたボブ・マーリーの音が漏れていたのだろうか?念のためにボリュームを絞った。それでも壁を叩く音は止む気配はなかった。外国の田舎の深夜のホテル。眠れぬ夜、不安、孤独。それを紛らわすささいな娯楽でさえ今の自分には許されていないらしい。 「かけた金の分だけ苦労をする」と言われる南米の旅はしかし、たいしたトラブルもなく順調に進

          炎の大地のシートラウト

          一九九八年初夏、ヘンリーズフォーク

           一度だけ中沢さんと一緒に釣りをしたことがある。 「よかったら、南米の帰りにアメリカで一緒に釣りをしませんか」  というメールを編集者の倉茂さんから受け取ったのは一九九八年の四月、サンティアゴでのことだった。ぼくはまえの年の十一月からパタゴニアを釣り歩いていたが、チリの首都サンチィアゴまで戻っていた。そこで次の行き先も決められないまま漫然と時間を過ごしていた。パタゴニアの釣りシーズンは終っていた。 「そうか、その手があった」  北半球では、まさに鱒釣りの季節が始まったばかりだ

          一九九八年初夏、ヘンリーズフォーク

          『ガトー フエゴ島の湖で出会った猫』

          ニャア、ニャア~。  猫の声がしたような気がしてぼくはテントの中で目を覚ました。  昨日の午後、ぼくは国道に車を乗りすてテントを背負い二時間歩いてこの湖、ラゴ・サンタ・ラウラ(ラゴとは西語で湖の意)まで来た。車を置いてきた場所には小さな集落があるがそこから湖までは人家はない。昨日の午後からだれにも会っていなかった。  きっと空耳だ、寝ぼけた頭でそう考えると朝の冷気をさえぎるために寝袋の首を絞り込んでそのまま丸くなった。もう夜は明けきっていたが、あたたかい寝袋を抜け出す気力は

          『ガトー フエゴ島の湖で出会った猫』