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炎の大地のシートラウト

マゼラン海峡の向こうに炎の大地があり、そこに大川が流れ、その川が海に戻る場所に川と同じ街がある。

午前四時、隣室の泊まり客が部屋の壁を叩いた。イヤホンで聴いてたボブ・マーリーの音が漏れていたのだろうか?念のためにボリュームを絞った。それでも壁を叩く音は止む気配はなかった。外国の田舎の深夜のホテル。眠れぬ夜、不安、孤独。それを紛らわすささいな娯楽でさえ今の自分には許されていないらしい。

「かけた金の分だけ苦労をする」と言われる南米の旅はしかし、たいしたトラブルもなく順調に進んでいた。とっぷり日の暮れたイースター島の磯ではシマアジを手にし、チリの湖では淡水魚とは思えぬスピードで疾走するレインボウーに夢中になった。しかしぼくがこの旅の最終目標はマゼラン海峡の先の、フエゴ島リオ・グランデのシートラウトを釣ることだった。

旅の終盤、意を決していよいよフエゴ島へ渡り世界最南端の街、ウスアイアへ到着した。ところがここで大きく予定が狂った。一足先に出国した二人の友人と落ち合う約束をしていたのだ。一人は会社を辞め、もう一人は大学を休学して南米で釣りをしていた。二人はウスアイアへ移住した日本人の老人の家にいるはずだった。ところが老人の家を尋ねると二人はいなかった。昨日ふたりは車でチリへ行ってしまったという。

いよいよシートラウトだという期待にはち切れんばかりの気持ちは一気にしぼんだ。日本からウスアイアの二人にあてた手紙に「チリでセニョリータにハマらなかったらウスアイアに行きます」なんて冗談とはいえ書いたことを後悔した。「何があってもウスアイアに必ず行きます」と書けばよかった。

老人の話では二人は5日後にはウスアイアに戻るという話だった。ぼくは帰国のチケットの関係で8日後にはウスアイアから首都のブエノス・アイレスに飛ばなければならなかった。3日である。その時間があればまだリオ・グランデのシートラウトを釣れる可能性はありそうだった。友人がリオ・グランデで釣ってきたという八六センチの新巻きになったシートラウトに箸をのばしながら気を取り直す。

ウスアイア周辺にも釣り場はないことはなく、フライフィシングもする老人にブルックトラウト釣りに連れて行ってもらったが、リオ・グランデのシートラウトが頭から離れない。そんな自分の様子をみていて、老人はある提案をした。
「あんた、オステリア・カイケンで待ってたらどうだ?」

オステリア・カイケンはウスアイアとリオ・グランデのほぼ中間、ラゴ・ファニャノという湖の湖畔に建つホテルである。そのホテルでチリから戻ってくる二人を待つことにした。

ウスアイアからリオ・グランデはおよそ三五〇キロ。ふたつの街は1本の国道で結ばれている。交通量は極めて少なく、一時間に一台の車も通らないこともある。ウスアイアの街外れからリオ・グランデ手前までオール未舗装のグラベル・ロードである。ぼくを乗せたバスは砂ぼこりをあげながら走る。

ウスアイアから山岳地帯へ入り氷河を頂いた山を左にみて川沿いを進む。川から離れてバスは高度を稼ぎ、ガリバルディ峠を越え道が平坦になり、まばら樹林帯を走ること、ウスアイアから二時間三〇分。オステリア・カイケンに着いた。このホテルに併設されたガソリンスタンドは、ウスアイアとリオ・グランデの間の唯一のガソリンスタンドであり、二人は必ず立ち寄るはずである。ここで二人に会えれば、残された時間が5時間ほど増える計算だ。ただし、「パタゴニアではガソリンスタンドがあったら必ず給油すること」という教えを守っていればの話だが。

ホテルに了解を得て、ガソリンの給油機に二人あてのメッセージを貼らせてももらった。
「〇〇、××へ。このホテルに泊まっています。いなかったら近くで釣りをしているだけですから、必ず待っていてください。〇月×日 浅野」
大学ノートを破って書いたこの貼り紙だけが頼りであった。従業員には日本人の友だちをここで待っていること、東洋人が来たらこの貼り紙を見せることなどを頼み込んだ。二人がメッセージに気がつかない可能性もあるだろう。朝起きる度に、宿に戻るたびに「日本人は来なかったか?」と確認するのが日課となった。

ホテルの部屋からは大きな湖が見えた。あまりに広大でルアーを投げる気にもならないがすぐに流入河川があることに気がついた。さっそくその幅一〇メートルにも満たない川で竿を出すとあっけなく70cmほどのブラウントラウトが釣れた。初日は5匹釣れた。行く度に60cmくらいのブラウンが釣れた。しかしそれは海から遡上してたシートラウトではないのだ。

夜になると気が滅入った。あと少しだった。しかしここまで来てリオ・グランデのシートラウトを釣らずに終わってしまうのだろうか。二人に会えずに終わってしまうのだろうか。もしそうなってしまったら、この旅の全てが台無しになるようにさえ思えた。夜の闇と静けさが重くのしかかってきた。
しかし一方、ひとりでリオ・グランデに行く気力もなかった。自ら望んできたとはいえ多くのエネルギーを使ってきた南米の旅で心は疲弊していた。それにリオ・グランデの釣り場は私有地なのでそこに行くためにはコネクションが必要だ。すでにリオ・グランデで釣りをしたいた二人にそれがある。自分の運を信じて宿で待つのが最善にして、唯一の方法のように思えた。

ホテルに宿泊して四度目の夜のこと。寝付かれなかった。余計なことなど考えず早く寝ようと思うほどに色々な思いが浮かびあがってきた。一年前のインドでの強烈な経験と現実による価値の崩壊、それからの就職活動、恋愛問題、あと2週間もすれば社会人になるという現実。この旅はもっとシートラウトに時間を割いて積極的に自分で動くべきだったんじゃないか。シートラウトに関してはあまりに他人まかせだったのではないか。南米はトンネルの出口だったはずではないか。なのにまたトンネルの中に戻ってしまった。いったい自分はここで何をしているのだ。イヤホンから流れるボブ・マーリーの声に耳を澄ましていた。

ドンドンドン。隣室からこちらの壁を叩く音がする。時計に目をやる。午前三時。もともとイヤホンから大きな音が漏れていたとは思えなかったが、音を下げて息を潜めて隣室の様子をうかがった。ドアが開き廊下を歩く音がした。その気配がなくなるのを見計らって、廊下に出た。すると隣室のドアが勢いよく開いて中から人が出てきた。部屋の灯りを背にして仁王立ちの三〇代半ばの痩せた女である。その女はもの凄い勢いでぼくに向かってまくしたてはじめた。
あっけにとられて、相手の顔をまじまじと見る。それは昼間、ホテルのレストランできつくカールかかった伸び放題の髪をかきむしり、細い神経質そうな眉をつりあげて従業員に文句を言っていた女だった。その日、ホテルの宿泊していたのは自分とその女とその女の娘の三人だけだった。
外国のど田舎のホテルの深夜の廊下で訳もわからず見知らぬ白人女にまくし立てられるとは。最初は相手が怒っている理由を知ろうと努力はしたがすぐに諦めた。そしてあまりの不条理な仕打ちに怒りがこみ上げてきたがしかし、相手の狂気が浮かんだ目を見ているうちにすぐに恐怖に変わった。むしろぞっとして動けなくなった。いつ果てるとも知れぬ罵倒に心と体は震え上がった。
しかし自分から動かなければ解放されないと感じたぼくは
「ジョ、ノ、プエド、アブラール、カスティジャーノ(私はスペイン語を話せない)」
とかろうじて言った。相手は一種口をつぐみ、キッとぼくのことをにらむとくるりと背中を向けバタンとドアを閉めた。ぼくは後ずさりするように部屋に戻った。部屋にカギをかけてベッドにもぐり込んだが、眠られるはずがない。
外が薄明るくなるのを待って釣り竿をもって外に出た。いい加減眠りたくなるまで釣りをして部屋に戻ってベッドに横になった。

午後、絶望とともに目を覚まし食事をとるために部屋を出た。昨夜の件で最後のエネルギーも使い切ってしまった。撤退だ。もうウスアイアに帰ろう。今日のバスで帰ろう。遅い昼食をとり、「日本人は来なかった?」といつもあいさつ代わりの質問をする。その日も答えはノーだった。

ウスアイア行きのバスまでは時間があった。そうだ、最後にここ数日間楽しませてくれた川に行こう。竿を持って外に出るとこちらの気持ちとは裏腹にすっきりと晴れた太陽が眩しく、パタゴニアにしては風もなく穏やかな午後だった。

ぼくは歩いて20分ほどの川を目指し、リオ・グランデの方へ未舗装の国道を歩きはじめた。歩きながらこの旅のこと、日本に戻り会社員になってしまえば二度とここには来られないだろうこと、リオ・グランデのシートラウトはとうとう手にすることができずに帰国するのか・・・ぼんやりと考えていた。

はるか前方から砂埃立つのが見えた。車だ。このあたりの車は本当に飛ばしてくる。砂ほこりも迷惑だが、それ以上に厄介なのは飛び石である。かなりの確率でフロントガラスにヒビが入っているのはそのせいだ。ぼくは車をやりすごすために少し大げさに道の端に寄った。

車は減速する気配もなく見る間に近づいてくる。飛び石に身構える。やがてドライバーと同乗者の顔が確認できる距離に入った。次の瞬間、ぼくは目を瞠った。東洋人の顔だった。ぼ見間違うはずのない待ち焦がれた二人だった。ぼくはロッドを振り回して声をあげた。
車はぼくの前を通り過ぎ赤いテールランプを点灯させて派手な砂ほこりをあげて止まった。ウエーダーをズカズカいわせながら、砂ほこりの中の赤いテールランプに向かって走った。

腹のそこから力と気力が沸き上がり心の隅々まで広がった。見慣れた二人の日本人が車から降りてきた。日に焼けたガウチョのような風貌の二人に半泣き顔の「満面の笑み」が走りよった。尋常でないこちらの喜び方に二人はきょとんとしている。あの女だけなく、ぼくもそのときは気がふれていたのかもしれない。気分屋のぼくはあっという間に陽気ならラテン人へと翻った。バモース・ア・リオ・グランデ!(レッツゴー、リオ・グランデ!)

ホテルに戻り、荷物をまとめてチェックアウトした。二人が1ヶ月契約で借りているレンタカーに乗り込んだ。話したいことが山ほどあった。イースター島のシマアジ、チリの湖のレインボー、街のこと、昨夜のこと。堰をきった言葉は抑えようがなかった。日本語にも飢えていたにはちがいない。

リオ・グランデ。それは川の名前でもあり街の名前でもある。リオとは川のことである。
グランデは大きいという意味だ。日本語に訳せば大川ということになる。一方フエゴ島はすペン語でティエラ・デル・フエゴといい「炎の大地」という意味になる。マゼラン海峡の先に炎の大地あり、そこに大川が流れ、その河口に川と同じ名前の街がある訳だ。

リオ・グランデは私有地の大放牧地の中を流れる。私有地だから川辺に立つためには何かしたのコネクションが必要だ。ぼくらはまずそのコネと情報を得るためにある男を訪ねた。彼は「なにもこんなに風の強い日にわざわざ釣りに行くことはないじゃないか」と言いながら紙切れに何やら書いて「これを管理人に渡せ」と言って推薦状らしきものを渡してくれた。その紙とワインを1本添えて管理人に渡すと、苦笑いしながらゲートを開けてくれた。

川へ続くゲートは開かれた

ようやくリオ・グランデのシートラウトが手に届くところまできたのだ。ここで車が壊れたとしても歩いて行ける距離だ。もはや目の前には障害はなにもなかった。

初めて見るリオ・グランデの流れは粘土のような地質によるものか、水色は暗くとても鱒の棲む川には見えなかった。しかしここに間違いなくシートラウトはいるという。あたりの地形はなだらかな起伏の褐色の丘が続くだけで、樹木と呼べるような植物も見当たらない。空模様とは関係なく吹き抜ける台風なみの風はパタゴニアの証である。三日月湖にはフラミンゴが羽を休めていた。
あまりの風の強さにぼくはフライを諦め、スピニングロッドのガイドにブラックバスを釣るようなラインを通し流れにたった。簡単には釣れない。
気分転換にルアー変えて20分ぐらいたったろうか、またそろそろルアーを交換しようかと思っているとグンっとロッドが締め込まれた。えっ!?慌ててロッドを立てると、強風でさざ波立った水面に、ことさら派手な飛沫があがった。来た!強い力でロッドがのされる。ドラグが鳴りラインが引き出されていく。心臓が高鳴った。大声を出して二人に知らせた。

まるまると太った鱒はブラウンのようだった。しかし青白く光る魚体、パワー、体型は数日前に釣ったブラウンとは明らかに違った。それは間違いなく海を知っているブラウン(シートラウト)だった。この鱒の前ではすべてのことが色あせてしまうのだった。

ウスアイアで買ったチェスターフィールドに火をつけると、いつになくニコチンのしびれが心地よく頭をめぐった。

(フライの雑誌 1993年初冬号)


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