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折れたロッドをめぐって

ミッシェルはかわいい。そのうえ日本語も達者だった。
私の勤務する部署は毎年海外から企業研修生を受け入れており、彼女は夏の三ヶ月間預かっていたアメリカ人の女子大生だった。職場では私が最年少で年も近く、お世話役を仰せつかった私は、積極的な働きかけもあり休日のデートすることになった。
「今度の日曜日、フジヤマにドライブ行こうよ」
彼女はニッコリうなずいた。
当日、車内での会話ははずみ、ぼくたちはいい感じで富士五湖めぐりをしていた。東名高速経由で本栖湖、西湖、精進湖からを見て河口湖へついた。最初のツマヅキはこの湖で起きた。
本当は釣りなどする気はなかったのだが、車に積んだままになっているロッドを見ているうちにムラムラしてきたのだった。魚を釣りたいということだけでなく、彼女の関心をひきたい、つまり彼女を釣りたいというムラムラでもあった。
「ちょっとゴメンね、1匹釣るだけだからさ」
といいながらすでに手はロッドをつないでいた。ブルーギルなら簡単、簡単。ほくそ笑みながらフライラインを通してフライを結んだ。3分で事足りるはずとの見立てだ。ところが全く釣れない。魚が見えないのだ。ヤバイ、このままでは釣りの下手なやつと思われてしまう、事実だけど!とフライを交換しながら、私は焦りはじめた。
フライの交換の時に手を放してしまい、スルスルとガイドを滑って足元に落ちてしまったフライラインをトップガイドから引き出そうとリーダーを引っ張った。しかしラインとリーダーの結び目がひっかかってうまく出なかった。ネイルノットで結んだ後のフライラインのカットが浅くリーダーとラインの隙間にはさまってしまうのだ。
まあまあありがちなトラブルである。いつもならちょっと強引に二,三回引けばすんなりと通る。しかしそのときはうまく行かずイライラしてバシ、バシ、バシと勢いをつけてはじくように強引に引いた。パキッっという乾いた音がして穂先が垂れ下がった。思わず目をつぶった。
どうか間の錯覚でありますように。そっと目を開いた。しかしどこから見ても竿は折れていた。

♦ ♦ ♦

そのロッド(竿)はアメリカ製だった。安くはない。いや当時に自分の経済状態からすれば身の丈に合わない思い切った買い物であり、初めての高価なロッドだった。
たまたま入ったショップで見つけたロッドはそのメーカーA社がまだ西海岸にあった初期の頃に作られた一昔前のモデルだった。ロッドには当時の輸入代理店が発行した保証書もついていた。
破損した数日後の八月の暑い日に、私は折れた二ピースのロッドを購入したショップに持ち込んだ。折れたティップセクション、無傷のバッドセクション、クロスケース、アルミ製のロッドケース、一式を言われるままに預けた。
「ちょっと時間はかかりますよ」
と店主は言った。
修理に出されたロッドは、ショップから代理店に送られ、他の修理品と一緒に数ヶ月に一度本国へ送られる。そしてアメリカで修理されたのち再びまとめて日本に戻されるという話である。だから時間がかかるということだ。
「気に入っているので、時間はかかっても戻して欲しい」
と伝えた。
半年が過ぎたが連絡はなかった。こちらからショップに電話をした。店主いわく、すてにアメリカには送っているがまだ代理店には戻ってきていないとのことだった。ではもう少し待つかと思えた。
さらに半年後、つまりショップに修理品を出して一年後、再びショップに電話をした。店主はほぼ忘れてかけていた状況だったが、代理店に問い合わせてくれた。
「すでにアメリカへは発送しているのですが、向こうから戻ってきていないようなんです」
という半年前と同じ回答だった。店主の申し訳なさそうな態度がすくいである。アメリカってそんなに遠いのか?
私の知りたかったことは極めてシンプルでアタリマエのことだった。折れた自分のロッドはいつこちらに戻ってくるのか、ということだ。しかしその質問に対する具体的な回答は得られなかった。
そしてさらに二ヶ月後、いい加減しびれを切らした私は「直接連絡するから」とショップに言って代理店の電話番号を聞きたした。そこに電話してアメリカのA社の連絡先を聞き出し、ダイレクトに問い合わせしようと思ったのだった。
直接連絡するからA社の連絡先を教えてくれ、という私に対し、相手はまず「状況が複雑になるからやめてくれ」と言った。じゃあ複雑になるまえになんとかしろよ、と思ったがグッとこらえて確認しておかねばならないことを聞いた。
「本当にA社に届いているんですか?」
「信用してないんですか!」
と代理店は語気を強めて返してきた。一年以上なんの音沙汰もなく、いつロッドが戻ってくるのかという具体的な回答もなく、信用できる材料はひとつもないのに「いいからおれに任せておけばいいんだよ」と言わんばかりにそういうのである。
確かに代理店の言葉は腹にすえかねるものだったが、まだ私は折れたロッドに未練があったのである。愛着があったのである。大見得を切った代理店の言葉を覚えておくとともに、またしばらく様子を見ることことにした。これで少し進展するだろう。
ロッドが戻ってくる日がわかった時点で連絡をするように言って電話を切った。

♦ ♦ ♦

私は別ルートでアメリカへの問い合わせを試みた。
A社の電話番号を調べる方法などいくらでもあった。私は社内のアメリカ人をつかまえてAT&Tのダイヤル案内に国際電話をしてもらいA社の代表番号を教えてもらい、次にその番号に電話してもらいカスタマーサービズのFAX番号を入手した。そしてFAXを送った。自分のロッドはどこにあるのかという質問と、不愉快な代理店を通すのは止めて直接やりとりしたいという内容だった。
朝出したFAXへの返信はその日の夕方、シニア・バイス・プレジデント名で戻ってきた。いやはや驚くべきレスポンスの良さ、代理店は雲泥の差である。PL法の先進国、消費者保護の国、アメリカと日本の差であろうか。それとも個人の資質の違いだろうか。
返信内容は、まず「まったく申し訳ない」という言葉から始まっていた。そして私はFAXで伝えた折れたロッドのシリアル番号はコンピューターの修理品の受理記録には見当たらないというものだった。西海岸から内陸部に工場を移転した際に漏れた可能性もあるので引き続き探してみるとも記されていた。文面はこちらの心情を考えたA社の心づかい、誠意が感じられたが見つかる可能性は低いだろうと思われた。
最初にロッドを修理に持ち込んでから一年半以上の時間がすぎて、その挙げ句にロッドが行方不明とは、まったくふざけた話である。あれだけ言っても代理店はA社に問い合わせすらしていなかったようだ。もはやロッドに未練もなくなっていた。こんなことならば修理に出したときに「残念ながら修理不能です」と言われたほうがはるかに良かった。A社側では受理記録がないという事実をもって代理店を問いただすことにした。
A社のシニア・バイス・プレジデントのK氏は「修理代で新品を送ります」という極めて紳士的な代替案を提示してくれた。しかしロッドケースとクロスケースは付属しませんということだった。これは納得しかねた。本来ならばすでに全部一式が戻ってきているべきなのに、同じ料金を支払ってロッド本体だけしか戻ってこないのだから。
K氏には、「まさか届いていないかったとは思っていなかったので、もう一度 ショップ→代理店→御社」という正規のルートに戻したい、と返信をした。
ショップに電話してA社からの回答を伝え、ショップと代理店とA社の三者で解決方法を相談するように指示した。アメリカのA社や常識外れの代理店とのやりとりの煩わしさを避けたつもりだった。とにかく代理店には自分に一度連絡をするようにとショップを通して伝えた。
ゴネて修理代をまけさせようと思われるのは心外だったので「適正な料金はもちろん支払うつもりだ」と釘をさした。
ところが代理店はすぐに電話をしてくるような人ではなかった。電話があったのはショップ店主の数度の怒りの催促の後である。もちろんこちらはますますカッカしていた。相手はなにかおずおずした感じで「すみません」というようなことを言い「ロッドはA社で見つかった」と言った。彼の言葉は歯切れが悪かった。見つかったというならば修理が完了した自分のロッドが戻ってくる日が分かり次第、すぐに知らせるように再度きつく言った。
さすがに、である。さすがにいくらなんでもこれで少しは事態が進展すると考えるのが理であろう。しかしなーんにも変わらなかったのだ。頭の悪い子を相手にしているような気持ちにさえなった。見つかったというなら電話一本、FAX一枚でいつ戻ってくるか問い合わせれば済む話だ。ましてはこれだけモメているのだ。私はこの代理店ならば、真っ先にこの厄介な客の問題を解決しようと思うだろう。しかし半年が過ぎても連絡はなかった。
もはや私の理解の外である。これ以上常識とビジネス意識の欠如した相手とやりあうのは無理と判断して私はシニア・バイス・プレジデントK氏にFAXを送った。以前の親切な申し出を受けたい、という内容である。
前回同様に1日もおかず届いた返事にはまだ問題が解決していなかったことへの驚きと、丁寧は謝意が込められていた。もちろんこちらの要求は受けていれてもらえ、輸出とカスタマーサービズの担当のD氏を紹介された。
D氏から送られてきたFAXの指示にしたがい、折れたロッドの仕様とクレジットカードのナンバーをFAXすると、すぐに同じ仕様のロッドを来週の月曜に発送する、という返信が戻ってきた。雲と泥の差である。D氏にはこのややこしい経緯の理解を助けるために、K氏と自分とのやりとりをFAXした。
ところが、D氏のFAXを受け取って数時間後、一本の電話によって話はややこしくなる。電話はショップからのものだった。
「ロッドが修理されて戻ってきました」
店主の言葉に耳を疑った。あれだけ「ロッドが戻る日がわかったらまず連絡をしろ」と言っていたのにかかわらず、代理店からは何の連絡もなくいきなりショップから戻ってきましたの連絡である。
そのことは別にしてもまったく理解不能である。辻褄が合わない。同じロッドを二本は要らない。急いで「ショップからロッドが戻ってきたと連絡が来たので一旦発送を止めて欲しい」とFAXをした。
D氏からはすぐにFAXが戻ってきた。「なぜそんなことが起こったのか信じられない」
とD氏も私と同じ思いだったようである。そして「ロッドの発送をキャンセルする前に本当にあなたが修理済のロッドを受け取ったのか確かめたい。どうか受け取ったロッドのティテールを教えて欲しい」とあった。
「ほんとうはアメリカに行って修理されて戻ってきたんじゃないの」という疑念がゼロだったとは嘘になる。しかしもはやここまでこじれて、予想だにしないことが起こるとなんだか笑ってしまうような気分にもなるものだ。なんなのこれ?
私はショップに行き、二二,〇〇〇円の修理代を支払ってロッドを受け取った。ロッドはバッドセクションも含めて新品だった。シリアル・ナンバーは不思議なことに自分のロッドと同じだったが、ブランクは自分のもっていた古いブランクではなく、現行品の新しいタイプのブランクだった。シールシートは自分のものはウッドのスクリューシートはコルクだった。新しい代理店でスタンダードとして販売されていた仕様になっていた。ロッドケースとクロスケースは自分が持ち込んだものだった。つまりロッドそのものは現行品の新しいものになっていた。
二二,〇〇〇円という価格は新品交換した場合の価格であるのはD氏とのやりとりで分かっていた。折れたロッドが直るとは思っていない。折れたセクションを他のロッドから抜いたところでバッドセクションのフェルールと合うとも限らず、そもそもパーツを抜いた竿は商品ではなくなるし、つまり一本まるごと新品交換というが結局コスト的に安く、理にかなっているというのは百も承知だ。しかし「新品で戻ってくる」とは言われてないし、誰も新品と交換しろとも言ってないないのだ。「ここで支払えば終わり」なのはわかっていたがそれで良しとした。目の前にいる店主には非はないし、これ以上ゴネても何もいいことはないのは明らかで、もはやその代理店とは口もききたくなかった。

♦ ♦ ♦

私はD氏に届いたロッドのオリジナルとの仕様の差を伝え、ただ二度と使う気にはならないこと、でももういいさ、というようなことを嫌みたっぷりに書いてFAXした。クリスマス・シーズンだったのでメリー・クリスマスとさえ付け加えた。
年が明けて一九九六年一月八日。私の元に修理に出したオリジナルと新品のロッドが届いた。D氏からのプレゼントだった。
最終的に一本の修理代で二本の新品のロッドを入手したことになるが、かかった労力と時間を考えれば、うまくいったという意識からは遙かに遠い。しかし結果としては良かったと思うしかない。最初にロッドをショップに持ち込んだのが一九九三年八月一五日である。実に二年五ヶ月後の解決だった。アメリカとのFAXのやりとりは双方あわせて二〇回に及んだ。
ロッドをいただいたからではないが、私のA社に対する印象はいい。冷静に考えれば嘘をつく理由などないからである。最終的にはロッド一本+送料の損失を被っているのだ。FAXのやりとりもその迅速さと内容はまったく信用のおけるものだった。解決に向けての意欲と誠意が感じられた。
一体同じシリアル番号の新品のロッドをどこで手に入れたのだろう?国内で作ったのだろうか?という疑問は残るが代理店とA社がつるんでいたというならもう少しうまくやっただろう。いやいやそもそもそんなことをするほどの金額ではない。
私はK氏とD氏にお礼のFAXを送った。

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アメリカからロッドが送られてきたおよそ一年後の一九九七年二月一日、その日は幕張メッセで釣り博が開催されていた。件のA社のフラッグが掲げられていたブースに知り合いのアメリカ人のガイドを見つけたのでおしゃべりをしていた。その年からA社のお手伝いをするようになったらしい。そして同じブースにいたもう一人のアメリカ人を紹介された。
「こちらはDさん」
あっと小さく声がもれた。そうあのFAXでやりとりした相手の名前だったのだ。私は笑みをうかべながら名刺を差し出し、「私の名前を覚えてますか?」と聞いた。名刺に目をおとした彼は目を丸くして、顔を上げるとニヤっと笑った。折れたロッドについて日本から何度もFAXを送ってきていたウルサイ日本人の名前を思い出したようだった。
ついに我々は対面したのだ。初対面にもかかわらず何か懐かしさも感じ、固く握手をして肩をたたき合い「再会」をよろこびあった。

(フライの雑誌 38号1997年初夏

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