見出し画像

No.149 1996年~ 朝日新聞編集委員の松村崇夫氏との出会いと活動 

 エッセーNo.145で「1995年~ 朝日新聞編集委員の山岸駿介氏との出会いと活動」について書きましたが、その山岸氏から引き継ぐように出会ったのが朝日新聞編集委員の松村崇夫氏でした。1995年12月に取材の依頼がありました。私は1992年からNIEでも家族で学び合うファミリーフォーカスの重要性を認識して機会があれば主張していました。松村氏はそのファミリーフォーカスを初めて取材していただいた方だったのです。日本のNIEは学校での活動を前提に進められてきました。学びは学校でというのが当時の日本の常識でした。ですからファミリーフォーカスの重要性を強調しても反応はとても鈍かったです。その中での取材でした。
 1995年度2年生でのファミリーフォーカスの取り組みを取材して頂きました。その記事の一部をご紹介します。
 「夏休み後に提出されたスクラップをみると、子どもたちは、分かりやすい北海道のラベンダー畑や、猛暑・水遊び、動物や植物、野茂投手、東名高速道路での大事故、落雷などの写真に、まず飛びついていったとみられる。しかし、敗戦の日の『8・15』前後に関する話題、核実験などの写真となると、親の力を借りなければならず、家族との会話などから、広島・長崎、中国やフランスの核実験、難民キャンプ、参院選といった硬い話題に触れたようだ。素朴ながら、平和や戦争の意味を組み取ろうとする子もおり、広島の原爆記念日については『おちたときのようすや、いまでも大ぜいの人がなくなっていることなど本当にこわい話ばかりでした。いまフランスでかくじっけんをやろうとしているけれどやらないほうがいいと思いました。』

「朝日新聞」1995年12月22日朝刊より

 1996年に入り、松村氏との活動が本格的に開始されました。
松村氏はまず、1996年11月に私が韓国言論研究院から招待を受け、訪韓し韓国のNIE授業を参加した経緯を取材していただいた。ファミリーフォーカス同様、欧米と共に韓国から学ぶ姿勢に注目して下さるなど視点の素晴らしさはさすが新聞社の編集委員ということでしょうか。この件については詳細を後のエッセーでご紹介致します。

「朝日新聞」1996年12月23日朝刊より

 その後私は韓国を10回訪問しました。その内の3回は日本NIE研究会として訪韓しましたが松村氏も1度同行されました。2002年の日韓ワールドカップ後も韓国のNIEに関心をもち取材されていました。

「朝日新聞」2002年8月25日より

 記事の一部をご紹介致します。
 「長年、NIE活動を展開している東京・聖心女子学院初等科の岸尾祐二先生(48)は、W杯の開催中に韓国を訪問し、38度線に近い小学校で、W杯に関するNIE授業をしてきた。新鮮だったのは、W杯をめぐるNIE活動が、地域の図書館で行われていたことだ。ソウル市の陽川図書館では、親子で、新聞からW杯の記事を切り抜いて模造紙に張ったり、紙面のカラーを利用して国旗をつくったりして、展示会まで開いていた。『家庭でも、二つの新聞を比較したり、気に入った見出しを切り抜いたりして、いわゆるファミリーフォーカスも楽しんでいた』と話す。」

 朝日新聞記者と共著として出版した『ののちゃんの自由研究』(朝日新聞社、2001年)でも、松村氏に「インタビュー」「新聞」の項目を執筆して頂きました。共著の執筆でもご協力頂きました。

 2021年1月27日開催の朝日新聞社「日本・韓国交流シンポジウム 日韓のNIE活動を考える」の開催には松村氏にご尽力頂きました(このシンポジウムに関しては後のエッセーでご紹介致します)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?