私立小学校研究所

39年の私立小学校教員として、どのように生きてきたのかエッセーとして綴ることにしました…

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39年の私立小学校教員として、どのように生きてきたのかエッセーとして綴ることにしました。教育や研究、周辺のできごとや生い立ちなど当時を振り返ったり最近の出来事から当時を思い出したりして、時期はバラバラですが思いつくままに綴っていきます。manabinomirailab.com

最近の記事

No.159 2003年~2004年 執筆指導『新聞広告で見つけよう!』全5巻の出版 

 2003年の春頃だったと思いますが、くもん出版の方から子ども向きの「新聞広告の歴史」に関する書籍の執筆指導をしていただけないかという依頼がありました。まず、お会いしてどのような内容をどのように関わったらいいのかを説明頂き、意味があり面白そうな書籍だと認識しましたので、学院から許可を頂き勤務外の仕事として自宅で取り組むことになりました。  今回この仕事に関心を持ったのは、資料協力に羽島知之氏が関わっていらっしゃったことです。羽島氏は新聞資料の収集ではとても有名な方で知られてい

    • No.158 2019年7月 小学校修学旅行で行った日光のフィールドワーク 

       小学校の修学旅行は6年生の秋日光へ1泊2日で行きました。おそらくどの学校も決まったコースでいったのでしょう。私の記憶ですと、日光東照宮、華厳の滝、中禅寺湖、日光湯元で宿泊、戦場ヶ原というコースだったように思います。 2019年教師最後の年に、小学校のコースを辿る日光フィールドワークを3泊4日で行いました。今回はそんな取り組みです。  写真の足りないところはホームページで補わせて頂きました。   日光東照宮  この2枚の写真は私が写したものですが、日光東照宮のホームページ

      • No.157 1996年11月 韓国の小学校教師の李貞均先生と出会う

         1996年11月、韓国言論研究院に招かれ、ソウルで開かれたMIE(メディア・イン・エデュケーション)研修で、「日本のメディア教育」というタイトルで話をさせていただきました。日曜日の午前中、韓国の熱心な先生方と3時間休みなく、コミュニケーションをとることができました。  翌日、ソウル近郊高陽(ゴヤン)の城底(ソンチョ)初等学校1年生の教室で、NIEの学習に触れることができました。担任の李貞均先生は、韓国のNIEを引っ張る存在でした。  子どもたちは、家庭で購読している新聞を持

        • No.156 2010年1月 監修『情報を整理する新聞術』の出版

           2009年の8月上旬、初等科の私宛に児童図書の監修依頼のお手紙が届いていたようです。児童書の編集制作をしている株式会社「童夢」からのものです。私は夏休み中で7月の中旬から8月の下旬まで学校に行くことはありませんでした。自分の研究や教材研究などをフィールドワーク先や研究会、自宅で行っていました。  8月の下旬、初等科に行きますと職員室の私の机上にお手紙が置いてありました。以下のような文面(一部)でした。  お手紙を読ませて頂き、あの「アンパンマン」の出版元のフレーベル館とい

        No.159 2003年~2004年 執筆指導『新聞広告で見つけよう!』全5巻の出版 

          No.155 2019年3月 乳頭温泉郷のフィールドワーク

           2019年3月の春休み、秋田県の乳頭温泉郷に行きました。4月からは初等科勤務の最後の年度を迎えました。4月1日から令和の元号になりますので、昭和・平成・令和の時期に教師生活を送れたことになりました。  当時、テレビで温泉の特集番組が流れており、外国人の「日本で行きたい温泉第1位」に乳頭温泉が入っていました。それ以前から乳頭温泉の人気は知っていましたので、ぜひ定年最後の年を迎える前に行ってみようと妻と計画を立てました。  乳頭温泉郷の中でも最も人気が高い宿が「鶴の湯温泉」でそ

          No.155 2019年3月 乳頭温泉郷のフィールドワーク

          No.154 2018年8月 上高地のフィールドワーク

           2018年8月上高地に5日間滞在しフィールドワークをしました。温暖化の影響でしょうか、夏の清里や軽井沢では以前のような涼しさを感じることができなくなってきたようです。上高地は標高1500メートルの山岳地です。十分夏の涼しさは体感できました。  上高地に入りすぐに「散策マップ」(上高地観光アソシエーション発行)を見つけました。コンパクトですが折りたたんでありいろいろな情報が入っていました。山に登ることはできませんので、周辺を散策するのですが、初めての上高地での散策五感を通して

          No.154 2018年8月 上高地のフィールドワーク

          No.153 2024年3月 「碑文谷の歴史と自然を訪ねる径」の街歩き

           学生時代から東横線に乗っていて都立大学駅と学芸大学駅の間にある公園のことは知っていました。緑があり池も大きな公園だなとずっと思っていましたが、一度も行ったことがありませんでした。その公園は碑文谷公園です。18歳の時から70歳近い現在まで52年間気が付いていても行ったことがなかったのですが、2024年3月に初めて足を踏み入れました。学芸大学駅から6分ぐらいで行けます。保育園の子どもたちがたくさん遊んでいますし、お年寄りの方もベンチに座って憩いの一時を過ごしているようです。閑静

          No.153 2024年3月 「碑文谷の歴史と自然を訪ねる径」の街歩き

          No.152 2014年~ 毎日新聞編集委員の城島徹氏との出会いと活動

           今までご紹介してきました新聞社の編集委員の方々との出会いと活動の始まりは1990年代でした。もう一人の毎日新聞編集委員の城島徹氏との出会いと活動は2010年代でした。そして現在もお付き合いをさせて頂いています。城島氏は1956年生まれですから私より2歳若い方です。1981年に毎日新聞社入社ですから私と同じ年に仕事をスタートしているようです。アフリカ特派員ヨハネスブルグ支局長の経験があります。日本NIE研究会のメンバーとして一緒に研究をされてきましたしこれからもしていく予定で

          No.152 2014年~ 毎日新聞編集委員の城島徹氏との出会いと活動

          No.151 2021年4月 多摩川ぐるっと1周ウォーキングの旅 

           私は午前中の早い時間に、天気が良ければ多摩川の土手を40分ぐらいウォーキングしています。多くは多摩川の東京側の土手を歩くことが多いのですが、たまには多摩川の上に架かっているガス橋と多摩川大橋を渡って多摩川をぐるっとまわるウォーキングをしています。2021年4月のまだコロナ禍でのことでした。回りながら写真を撮るゆっくりとした散歩でした。  ウォーキングの起点はいつもの古市富士見歩道橋です。ここを通る時に富士山が見えるか確認してスタートします。ここから見える富士山はとても素晴ら

          No.151 2021年4月 多摩川ぐるっと1周ウォーキングの旅 

          No.150 1981年~ 『聖歌集』に載っていた「ひとりの小さな手」は本田路津子さんが歌っていた

           1981年4月に聖心女子学院初等科の教師になった時一番戸惑ったのが宗教のカトリックの儀式でした。毎日朝と帰りのお祈り、当時あった給食の始まりと終わりのお祈り、カトリックの行事に関するごミサのお祈りなどなど毎日行われるのでした。「主のいのり」もきちんと覚えなくてはいけません。  「主の祈り」 天におられる私たちの父よ み名が聖とされますように。 み国が来ますように。 みこころが天に行われるとおり 地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を 今日もお与えください。 わた

          No.150 1981年~ 『聖歌集』に載っていた「ひとりの小さな手」は本田路津子さんが歌っていた

          No.149 1996年~ 朝日新聞編集委員の松村崇夫氏との出会いと活動 

           エッセーNo.145で「1995年~ 朝日新聞編集委員の山岸駿介氏との出会いと活動」について書きましたが、その山岸氏から引き継ぐように出会ったのが朝日新聞編集委員の松村崇夫氏でした。1995年12月に取材の依頼がありました。私は1992年からNIEでも家族で学び合うファミリーフォーカスの重要性を認識して機会があれば主張していました。松村氏はそのファミリーフォーカスを初めて取材していただいた方だったのです。日本のNIEは学校での活動を前提に進められてきました。学びは学校でとい

          No.149 1996年~ 朝日新聞編集委員の松村崇夫氏との出会いと活動 

          No.148 2012年~ 5年生社会科「東日本大震災を考え続けよう」

           2012年度から東日本大震災の被害を風化させず、これからも継続して考え続けるために初等科5年生社会科の最後の単元(3月11日前後に実践する)に「東日本大震災を考え続けよう」(4時間)があります。1時間目「今年の3月11日」、2時間目「震災遺構をどう考える」、3時間目「福島の今」、4時間目「私にできることは」という学習過程をとります。  教師が被災地のフィールドワークをすること、メディアからの情報を得ることを通して学習を構成しています。教師のボランティア体験を子どもたちに伝え

          No.148 2012年~ 5年生社会科「東日本大震災を考え続けよう」

          No.147 1999年 泉麻人氏の『楽しい社会科旅行』を読みながらフィールドワークを楽しむ

           1999年4月、泉麻人氏の『たのしい社会科旅行』(新潮社)が発行されました。泉氏は作家・コラムニストで当時テレビに出演しているところを何回か拝見していました。日本私立小学校連合会の東京の組織、東京私立初等学校協会の社会科部会の研修でお会いしたこともあります。とてもユーモアがありお話も上手な方でした。  『たのしい社会科旅行』は社会科を専門教科にしている私にとってはとても関心があり、カバーにあった作者のことば「ありし日の社会科の時間に学習した、鉱山やダムの土地を、その目で確か

          No.147 1999年 泉麻人氏の『楽しい社会科旅行』を読みながらフィールドワークを楽しむ

          No.146 2016年~ 出口治明氏の生き方、著書から学ぶ

           出口治明氏の最新作を読んだのが、2022年7月20日発行の『復活への底力 運命を受け入れ、前向きに生きる』(講談社現代新書)でした。それまでに何冊かの書籍を読ませて頂きましたが、本書を読んで出口治明氏の「底力」に感動しました。  表紙の写真と文字を見ただけでも出口氏のメッセージが伝わります。「復活への底力」「運命を受け入れ、前向きに生きる」「74歳 APU学長 完全復帰。」「復帰第一作」「障害は不自由です。でも落ち込む時間はありません。」「人生は楽しまなければ損です。」「

          No.146 2016年~ 出口治明氏の生き方、著書から学ぶ

          No.145 1995年~ 朝日新聞編集委員の山岸駿介氏との出会いと活動 

           NIEの活動を通して新聞社の何人もの編集委員の方々と出会うことがありました。編集委員とは自分の専門分野の解説記事やコラムを署名入りで書くのが主な仕事とされています。No.141でご紹介した読売新聞の吉田伸弥さんも編集委員でした。  1995年に入り朝日新聞の山岸駿介氏と出会いました。山岸氏は教育担当の編集委員で、朝日新聞の教育面に1994年4月~1995年12月まで「がっこう解体新書」という名前で連載記事を執筆されていらっしゃいました。私はこの連載を楽しみにしていました。

          No.145 1995年~ 朝日新聞編集委員の山岸駿介氏との出会いと活動 

          No.144 2023年10月~ 「あのエッセーその後」(3)雲の素(す)と蜘蛛の巣(す)のさらに新たな発見

           雲の素(す)と蜘蛛の巣(す)の第3回です。2023年10月から2024年3月までのそれぞれの新たな発見です。蜘蛛と蜘蛛の巣を見つけることは都会では難しいですが、フィールドワークに出かけた時に丁寧に見ていくと見つけることができます。  2023年10月4日、ベランダからの撮影です。「うろこ雲」で秋の雲のようすが分かります。別名「いわし雲」です。  2023年10月6日、ベランダからの撮影です。朝焼けのなかでの雲です。太陽と雲のペアは素晴らしいコラボレーションですよね。

          No.144 2023年10月~ 「あのエッセーその後」(3)雲の素(す)と蜘蛛の巣(す)のさらに新たな発見