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No.134 1964年 60年前の東京オリンピックの思い出

 1964年、私が小学校4年生の時に開催されたのが東京オリンピックでした。2020年開催予定がコロナ禍で1年延期になって2021年に開催された東京オリンピックは多様な問題が発生し国際的なスポーツからプラス思考で学ぶことが全くできませんでした。ですから、私にとっての東京オリンピックの思い出は1964年のオリンピックしかありません。
 1964年10月10日に開催された東京オリンピック開会式ではブルーインパルスが上空に五輪マークを描きました。この五輪マークは川崎市に住んでいた私も見ることができました。

JIJI.COM「秋空に描いた五輪」 https://www.jiji.com/jc/v4?id=202101rem64-impulse0001

 オリンピックが開催されるまでとてもワクワクした気分でした。いろいろな国名をアイウエオ順にノートに書いていました。当時小学校4年生でしたが、切手を集めることが1つの趣味だったようです。オリンピック関連の切符をいくつか集めていました。当時の「ストックブック」に入っていました。今ではボロボロですが。

 東京オリンピックの競技ごとに発行されていました。競技によって発行年が違うようです。当時、1枚10円でした。

 また、次のような東京オリンピックの切手シートも保存していました。1セット135円でした。こちらは1964年10月10日発行のようです。

 当時外国人を間近で見ることなどできなかったのです。テレビで見ることがやっとでした。たまに街を歩いていて外国人に出会うと振り返って眺めていたような記憶があります。私の兄が高校生でホッケー競技の入場券を手に入れて私を駒沢オリンピック公園のホッケー場へ連れて行ってくれました。

 ここでいろいろな外国の人たちをたくさん直接見ることを初めて経験できました。兄から教えてもらったのですが、当時ホッケー競技はインドとパキスタンが世界一を争っていたようです。当日どこの国の対戦を見たか覚えていません。おそらく外国の対戦だったと思います。他の競技では米国かソ連(当時)が圧倒的に強いイメージがありました。ホッケー競技の切手がありました。

 オリンピック期間、小学校は午前授業で家に帰りテレビでオリンピックを見なさいということでした。
 
 私が記憶に残り素晴らしいなと感じた外国人選手が3人います。
 一人目はマラソンのアベベ・ビキラ選手(エチオピア)です。4年前の1960年ローマオリンピックでマラソン競技を裸足で走り金メダルを獲得しました。1964年の東京オリンピックではマラソンシューズを履いて当時の世界最高記録2時間12分11秒で再び金メダルを獲得しました。ゴール後、前屈の体操などして余裕のある姿をテレビで見て驚きました。先頭を走るのがアベベ選手です。

ビキラ・アベベ選手
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%99%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%AD%E3%83%A9
 
 二人目は陸上競技100mのボブ・ヘイズ選手です。100m競技は世界最速の人を決めるわずか10秒の勝負です。スタートからゴールまで一瞬で目が離せない競技でマラソンと対照的なスポーツです。黒人のヘイズ選手は筋肉がもりもりですごい体をしていました。当時記録は手動のストップウォッチで計測していました。圧倒的な強さで1位のゴールをしたヘイズ選手は世界タイ記録の10秒0でした。この時テレビの放送で、ヘイズ選手のお母さんを東京オリンピックに送るために米国の地元の人々がお金を寄付していたことを話していました。とても印象に残っています。400mリレー決勝でもアンカーで他国の人を抜きゴールに入るとバトンを高く放り投げる姿が記憶に残っています。39秒0の世界新記録でした。

ボブ・ヘイズ選手
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A4%E3%82%BA
 
 三人目は柔道でオランダのアントン・ヘーシンク選手です。柔道と言えば日本の伝統的な競技で当時は今ほど国際的なスポーツではなく日本のお家芸とされていました。1964年からオリンピックで正式競技として採用されました。無差別級という体重によって分けないで真に世界一を目指すクラスで日本選手を破り金メダルに輝いたのがヘーシンク選手でした。身長が2m近くある大きな選手で、袈裟固(けさがため)で日本選手を破った直後にヘーシンク選手の関係者が畳に入ろうとしたのを制止した姿をテレビで見たように思います(後のビデオ放送かもしれません)。紳士的な姿に驚きました。

アントン・ヘーシンク選手
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF
 
 
この3人の外国人選手以外にも多くの選手や競技がほぼ60年たった現在でも記憶に残っています。40年前の1984年のロサンゼルスオリンピックから商業主義へと転換されオリンピックが大きく変わったことは歴史を見れば分かります。その結果が2020年の東京オリンピック(実際は2021年開催)でした。その時の問題が現在汚職で起訴された裁判と言う形で進行しています。もう一度オリンピック精神の原点に戻った大会を見たいと思います。
 
私はNo.102「1973年~ 趣味は素晴らし 人生を広げる映画巡り」で次のように書いています。「映画館で初めて観たのは1966年小学校6年生の時だと思います。小学校からみんなで映画館へ観に行った1964年の『東京オリンピック』の記録映画だったと思います。1964年に開催されたオリンピックを映画化したもので、テレビでは競技の様子を見ていましたが、映画の迫力を実感した初めての瞬間でした。」
監督は市川崑氏でした。記録映画の素晴らしさを子どもの時に教えてもらいました。
 

株式会社東宝 

参考
1964年東京オリンピック
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/1964%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF
 

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