自己紹介~教員はなぜ現状に至ったか~

 はじめまして。「教員を専門職へ!」にようこそ。本ブログは、教員が真の意味で専門職になるための基礎的な考え方などを”なるべく”「面白く」、「わかりやすく」お伝えします。本ブログの読者については、教育学に関心をお持ちの方、現職の先生方、そして、教職課程の履修生を想定しています。

 本ブログにたどりついた皆さん。まずは、ありがとうございます。本ブログは、意欲ある皆さんになるべくわかりやすく、お伝えしますのでどうぞよろしくお願いいたします。

①自己紹介

 私は、大学院修了後、各種学校で教育学の講師をしております。こうした職務にあるため、教員に採用される学生が”教員”という職種への理解が不足していることを肌身として感じております。また、教員が「ブラック」といわれ始めた時期に、学部時代を過ごしていました。その中で、教員として採用されるにあって基礎知識の不足している学生が教員になる姿もみることがありました。ご存じのこととは思いますが、教育―ここでは、学校での公教育とします―は、国防と並ぶ国家存立の要であると同時に、個人の自己実現に不可欠となる資質能力を涵養するものです。少なくとも、経済的格差を補完することを企図して始まった教育が、公教育が、父母の経済力に依存した教育格差を生んでいる現状は、国家にとって最善といえる状況ではありません。ともすれば、公立の義務教育諸学校(小学校や中学校)の教員に高い専門性を持たせることこそが、現状における最善手である。これが私の考えです。

 さて、副題にある”教員はなぜ現状に至ったのか”という本題に移りましょう。

②教員はなぜ、ここまで追い込まれたのか(注意 ここから先は、作成者の私見となります)

 教員不足は、もはや政府の統計データ(教師不足に関する実態調査教師不足に関する実態調査)に現れるほど明らかになりました。ですが、こうした教員不足は、日本だけの問題ではなく、日本よりも教員の専門性の担保に努めているアメリカですら、起こっています(下記にあるURLリンク参照)。

 つまり、教員をいくら専門職と「規定」しても、「待遇」を追いつかせなければ、教員という”専門職”に学生や就職希望者が集まることはありません。ですが、公立の教員は、「教育公務員」であり、この本質は地方公務員です。つまり、人事院規則から連綿とつながる地方公務員の給与に係る規則と教育公務員給与に関する規則(いわゆる「残業代がない」といわれる給特法公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」)の中で、運用されなくてはなりません。

 では、この現状は、学校の先生方だけで変えられるでしょうか?答えはNOです。「そうなれば、教員は八方ふさがりだ!!」、「教員はブラックだ!!」という声が聞こえてきそうです。実際に、教員不足や教員採用試験の倍率低下が物語っているでしょう。とすると、誰が教員の待遇を変え、教員を魅力ある職種にするのでしょうか?文部科学省?教育委員会?大学?いずれでも、ありません。では、誰が?

 そう。今の画面の前で、この記事を読まれている貴方、ですよ。貴方には、教員への就職や教員に関して関心を持っている。その声を、建設的な提案として、省庁の関係者や学者などに届けることで、「世論」を形成することです。

 なぜ?と思うでしょう。では、日本国憲法の3大原則を思い出してください。国民主権、平和主義、基本的人権の尊重ですよね。そう、この国は、国民主権なのです。貴方が選挙に行くことやSNSで教員の専門性を規定を文部科学省などに迫ることができます。保育所の拡大(決して現場での運用を考慮したものではないですが)などで、待機児童の減少がこの国では、なされたではないですか。この国の政治・行政は国民からの信託でなされています。世論を作る、これほど強力なものはありません。

 ですが、実態はどうでしょう?SNSでは”現職教員”の「ブラック労働」に関する愚痴にあふれ、学校現場では、精神疾患であふれています。その現状に、国民全体が「教員の待遇や専門性を向上させろ!」とはなっていませんよね。なぜなら、めんどくさいから。誰かが何とかしてくれると思っているから。世論が形成されていないのであれば、組織は現状を維持する。それは、動物としての人間の恒常性から、生まれる組織の本能とされるものの一つです。

 この現状が、教員がここまで追い込まれたのだと思います。つまり、この国全体で考えてこなったツケが回ってきた。それだけです。本ブログでは、教員が専門職になるにはどのような要素が必要なのか。そして、現場で働く教員や教員を目指す学生、保護者をはじめとした関係者がわかりやすく、楽しく理解できるように努めますので、気長に次の記事をお待ちください。


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