絶滅危惧種は救うべきか、見捨てるべきか

定期的に『絶滅』というワードがニュースのヘッドラインになっている。
先日は「オガサワラシジミ」が、その少し前には「キタシロサイ」が。

キタシロサイの絶滅時に、1つの記事が目に留まった。

この記事では、「絶滅する動物を救うこと」を疑問視している。
絶滅から救っても、野生として生きることができないのであれば、それは彼らにとって不幸なことであると。

少し目からうろこが落ちた。

これまで特に熟考することなく、直接的にも間接的にも自然の摂理以外で起こる死は、救えるなら救えた方がいいと考えていたからだ。

安楽死にまつわる議論にも結び付きそうな考え方は、衝撃的と言えば少し大げさではあるが、私に考えるきっかけを与えてくれた。

すべてを必然に

「絶滅を無理に止めるべきではない」という考え方を踏まえて、私が出した結論は「すべて必然として、為されるがままを受け止め行動したい」というものだ。

半ばわけわかめなので説明すると、「絶滅するならそれは必然、それを止めようとする人間がいるのも、そして結果がどちらに転ぼうともまた必然として肯定しよう」ということだ。

なにが正解ということはない。
人の考え方は人それぞれ、十人十色なのだから。
野生生物の本能と、いろいろな立場にいる人間のいろいろな感情が入り混じった結果生まれた今そこにある姿が正しいという考えだ。

ハブを駆除する目的で沖縄に放たれたマングースが生態系を壊していることも、1つの自然の流れ。
そのマングースたちを駆除しようとしているのも1つ。
そんな愚かなことはやめろというのもまた1つ。

そして私はそれらすべてを必然に生まれたものとして考え、人の手を入れることなく自然に住む彼らにすべて任せた方がいいんじゃないというスタンスをとる。

もちろん人以外の生き物ファーストで

どちらかというと、アニマルウェルフェアよりの考えなので、人以外のすべての生物に人が強引に介入することを嫌っている。

マングースは、もう放してしまった過去は覆せないのだから、これ以上人の手でかき乱すことなく自然の彼らにまかせる。

絶滅危惧の恐れのある生き物は、動物園などの人の手にいるようであれば、その子たちが寿命を幸せに全うする手伝いをする。
野生にいるようであれば手出しせず静観する。

野生の動物が人里に下りてくるようなことがあれば、しっかり境界線を張って出入りできないようにする。

結局人間がややこしくしている

ダイヤモンドの記事と同じ考えだと思われそうだが、それは違う。

いろいろな考えをもつ人間がいて、それぞれのベクトルで活動することは仕方ないとしたうえで、人以外の生き物ファーストで動きたいというのが私の考え方だ。

そもそも、完全第三者の「人」という生き物が事態をややこしくさせている。
というか奪う必要のない命を奪い続けているのが人間だ。
イエネコやシャチより質が悪い。

人が野生に介入する必要はない。
まあそれでも今後ほぼ永遠に、自分たちのしてきたことの後始末を繰り返すに終わるだろうが。
私はそれも必然と受け止めて、批判したい。

お受けするサポートは私と私の分身(犬)の血となり肉となり薬となるでしょう。