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出会いと別れ、すれ違ったり添い遂げたり‐battle of the sexes-

BATTLE OF THE SEXESという映画を観た。

「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーンが実在のテニスの女王を演じ、1970年代に全世界がその行方を見守った世紀のテニスマッチ「Battle of the Sexes(性差を超えた戦い)」を映画化。73年、女子テニスの世界チャンピオンであるビリー・ジーン・キングは、女子の優勝賞金が男子の8分の1であるなど男女格差の激しいテニス界の現状に異議を唱え、仲間とともにテニス協会を脱退して「女子テニス協会」を立ち上げる。そんな彼女に、元男子世界チャンピオンのボビー・リッグスが男性優位主義の代表として挑戦状を叩きつける。ギャンブル癖のせいで妻から別れを告げられたボビーは、この試合に人生の一発逆転をかけていた。一度は挑戦を拒否したビリー・ジーンだったが、ある理由から試合に臨むことを決意する。ビリー・ジーン役をストーン、ボビー役を「フォックスキャッチャー」のスティーブ・カレルが演じた。監督は「リトル・ミス・サンシャイン」のジョナサン・デイトン&バレリー・ファリス。「スラムドッグ$ミリオネア」のダニー・ボイルが製作、サイモン・ビューフォイが脚本。
映画.com より

事実として残っていることを、丁寧に掘り返して1から作り上げられるノンフィクションものに惹かれるので、観ることにした。事実は小説より奇なりということですし。

この映画には、思ったよりも色々なテーマが込められていて、途中でお腹がいっぱいになりそうだった。女性差別、LGBTQ、夫婦関係、一人のテニス選手の生きざま。

けれど観終わった後、一番心に残っていたのは、二組のカップルの顛末だった。

(この先はネタバレを含みます。)

二組のカップルとは、ビリー・ジーン・キングとその夫ラリーと、ボビーとその妻・プリシラだ。

ビリー・ジーンは夫ラリーのことを信頼し、愛していたが、ある日恋に落ちてしまう。その相手は女性だった。彼女との関係がラリーに知れてしまったときの彼女の動揺は大きかった。

映画中に直接は出てこなかったものの、ビリー・ジーンはその後ラリーと別れ、女性のパートナーと生活を共にしているという。

作中、ビリー・ジーンは本当にラリーを信頼していたし、ラリーもまた、ビリー・ジーンがどれだけテニスに人生をかけているかをよく理解し、支えていた。本当の愛情が二人を行き来しているように見えた。

けれど、ビリー・ジーンは女性と恋に落ちてしまう。決してラリーのことを嫌いになったわけではないだろうし、ラリーがどれだけ自分を想ってくれているかもわかっていたはずだ。自分の気持ちがラリーへの裏切りに当たるだろうと、どれほど苦しい思いをしただろう。

ラリーは夫婦という関係を望んでいるだろうが、それを叶えられない自分の素直な気持ちと向き合うことは、大変な苦しさだっただろう。なぜならビリー・ジーンは、ラリーのことも人間として愛していただろうから。

けれど、自分の本心に背かずにラリーと別れる選択をした。こういった選択は本当に勇気がいることだろう。たくさん悩むことだろう。けれど、自分を欺いていては、いつかそれに耐えきれなくなるのも、また避けられないだろう。

そして、ボビーとその妻・プリシラ。ボビーはギャンブル依存症であり、プリシラはそのことについて長年気に病んできた。カウンセリングに行ってもセラピーに行っても、一向におさまる気配はない。

別れを覚悟したプリシラはボビーに伝える。
「あなたを愛しているわ。あなたは、そこにいるだけで場を盛り上げてくれる。とても楽しい場にしてくれる。私も、ただ楽しんでいた時に戻りたいわ。けれど、もう無理なの。私には、落ち着いて支えてくれる夫が必要なのよ。」

ボビーは、諦め、プリシラのもとから去る。

夫を愛していても、一緒に暮らすことで自分が自分らしくいられなくなってしまう。どうしても許せないところがある。平穏が乱されてしまう。

愛しているからこそ、とてもつらい決断だっただろう。

私は子供のころから「お互い好きだけれどうまくいかない」というのは一体どうしておきてしまうのか、と疑問に思っていた。
今でこそ、タイミングのずれや、お互いの勘違いとかね、などと訳知り顔に言うことはできるが、ボビーとプリシラの別れる理由は、この疑問に見事にこたえていた。

愛している人と、一緒に暮らしていて心地よい人、自分が自分らしくいられる人というのは、必ずしもイコールではないのだ。それがとても悲しいことであっても、事実として二人を苦しめていくのだ。

(最後にプリシラはボビーのもとへ戻る。プリシラの愛は、ある種の諦めでもって、今までより強くしなやかになってボビーのもとへ戻る勇気を持ったんだろうなと思う。)

一つの映画の中で二組も、愛が根底にあるのにも関わらず一緒にいられなくなった(一組はもどるけれど)カップルが描かれるのは、私の映画鑑賞史の中では初めてのことで、とても印象深かった。

それぞれの役者さんが、悲哀を感じさせる演技がとても上手で、つい身に迫ったこととして感情をとらえてしまった。


映画の本質は男女平等のために戦った女性、性的マイノリティとして生きること、のようなところにあるのだと思う。

映画の中では本当に女性が蔑視されていた。「男性の生活を潤すための道具」のような言われ方をしたり、「男性にはどのような面でも劣っている」といわれたり。

こんな時代が本当にあったのだと、ぼんやりスクリーンを見つめてしまった。私は女だけれど、こんな時代のこんな場所に生まれて、こんなにぼんやりした性格なので、特に女性だからといって扱いがひどいと思ったことはなかった。

(痴漢にあったり、夜道を怖い思いをして歩かなければならないときは、女性であることがつらかった。男性であるというだけで、こんな恐怖とは遠いところにいるだろうと考えられるすべての男性を呪った。)

けれど、今私がこんなにものほほんと生きていられるのは、私たちよりも前の時代を生きた女性たちが声をあげてくれたからなのだと感謝せざるを得ない。

それと同時に、人間はつくづく頭がいいようで良くないよなぁ、と思う。


とにかくたくさんのテーマ性をはらんだ映画で、つらつらと書いていたら長くなってしまった。

ビリー・ジーンを演じたエマ・ストーンは、表情でものを語るのが大変魅惑的であった。ちょっと目が離せない顔つきをしていると思う。ボビーを演じたスティーブ・カレルは、本当にボビーと瓜二つで、映画の最後に実際の写真が出てくるときに、ちょっと笑ってしまった。どこか憎めない、おどけた悲哀が薄く覆ったような演技だと思った。

とても素敵な映画だった。
見る時々によって、思うことが変わりそうだ。




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