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「祖母の弟」の追悼本

以前、父方の祖母の弟と思われる少年の湿板写真のことを書いた。
これを記した時には、「若くして病没した弟」のことしか知らなかった。

ところが、本文の文字検索ができるようになったNDLデジタルコレクションから、祖母にはもう一人の弟がいたこと、彼は戦死したことがわかった。
実家にあるのと同じ写真が掲載されたものもあり、間違いない。
口髭を生やし、星のマークがついた帽子をかぶったちょっとイケメン。それが祖母の弟だった。
ただ、祖母から「戦死した弟」の話は聞いたことがなかった。

調べていくうち、彼の追悼本が「戦中」に自費出版されていたことも判明した。そしてその本は、幸運なことに手続きをすれば貸し出してもらえる状況にあった。

自費出版、しかも戦中の、というので小さな冊子をイメージしていたが、手元に届いた本は200ページを超えるハードカバーだった。
彼の幼年期から戦死数日前までの写真。
カメラが趣味だったらしい彼の、「遺品の写真機中に未現像の儘ありし」フィルムからの写真。
戦死までの状況。
彼が家族に戦地から送っていた手紙。
彼の妻、彼の家族親戚たちの追悼文。
当時の新聞記事、弔辞。

読んでいくと、彼が武人にしては西洋文学や絵画彫刻、クラシック音楽を好む人だったらしい素敵エピソードがいくつか出てきて、何そのマンガみたいなの…ってなっている。(そして一番下の妹は、彼を「兄様」と書くのだ)

一方、彼の手紙や、家族親戚の追悼文には、いくつか文字が「〇」に置き換えられた箇所がある。ある種の機密情報に触れそうな記載をあらかじめ伏字にしたようだ。
また、彼の姉である祖母と、彼の妹である大叔母達との受け止め方の違いなど、世代と育った時代を反映していて(祖母と一番下の大叔母は19歳離れている)、いつかそのことは改めて書きたいと思う。

彼の父は、息子への思いを漢詩であらわし、母は和歌を詠んでいた。
明治初期の、武張った家に生まれた者の教養ということだろうが、なんだか凄い。
ひとつだけ、彼の母(私にとっての曾祖母)の和歌を引用する。

みるがうちにかけ近づきて大どかにまひおりて來るわがダグラス機

これは、彼の遺骨を空輸した飛行機のことだという。

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