見出し画像

クリスマスのノラ

生れた時から飼い主のいない野良ネコでした。
兄弟ネコがミィミィ鳴く生温かな場所から
目もちゃんと開いてはいなかったけれど
お母さんを探して這い出したのを覚えています。

生れたのは夏の終わり。
それからはずっと独りでした。
だから狩りのやり方を習ったことも
食べ物の探し方を教わったこともありません。

とりあえず自分より小さな生き物を
捕まえようとしましたが、
トカゲもバッタも結構すばしっこくて
十回に一回でも成功すれば、大満足。

            ✨

一度だけ大きな獲物を狙ったことがありました。
樹上の巣から落ちたヒナを見つけたのです。
自分と同じぐらいの大きさの灰色のヒナ、
飛びかかろうとしたそのとき —―

ノラはものすごい力で地面になぎ倒されていました。
それは、翼を広げると自分の何倍もある黒い鳥でした。
ヒナのお母さん……ずいぶん大きくなっているのに
まだお母さんに守られて、いつまでも甘やかされて。

おまけにもう一羽、たぶんお父さんでしょう、
急降下を繰り返しては、目を狙って襲ってきます。
ノラは、それこそ命からがら、灌木の茂みへ逃げ込みました。
父親まで! 家族だニャンて、大嫌い。

みんないい気ニャもんだ。
ネコが一匹生きようが死のうが
自分たちには関係ニャイんだ。
自分たちさえよければいいんだ。

            ✨

そんなノラにも安心できる隠れ家がありました。
町はずれから向こうの丘まで広野が続いていて
ちょっとした岩場もありました。岩と岩とのあいだ、
灌木に半分隠れた窪みをノラは住処にしていたのです。

荒れ地のそこここに生えた青草をヒツジの群れが一日中食んでいます。
ほんとうに草ばっかりでお腹がいっぱいになるのかニャー?
それにしても、たくさんいるニャー 。自分が大きいネコだったら、
小さいのを一匹、捕まえて食べるのに。

痩せた野良ネコがじっと群れを見ているのに気づいて
羊飼いのニンゲンが干し魚の端を投げてやりました。
ノラは「ありがとう」のかわりに、シャーと威嚇。
慌てて獲物をくわえ直すと、全速力で岩陰へ逃げ込みました。

ニンゲンたちのところには、こんな食べものもあるんだ……
小さな生き物だって、ここよりたくさんいるかもニャー。
ノラは意を決して、近くの町へ向かいました。
夜に紛れて影のように。

            ✨

秋が来て季節は移り、冬が来て …… ノラは
コオロギなどを捕まえることもありましたが
見とがめられないよう注意しながら夜じゅう町で食べものをさがし、
空が白むまでには荒れ野の巣穴に帰ることにしていました。

町では物陰に隠れているところを棒切れでつつかれたり
汚れたお水をかけられたりすることもありましたが、
ほんのちょっぴり身のついた骨や、スープを取ったあとの
お肉のスジをくれるニンゲンもいました。

どこにでもありそうな町でしたが、このところ”住民登録”とかで
故郷へ戻って来たニンゲンでいっぱい。宿もないほどの混雑ぶりに
ノラも、食べものを探すどころか、轍のたまり水を飲めただけで
まだ朝には早いけれど、もう帰って休むことにしました。

夜半、尻尾を引きずって町はずれまで戻り
見るともなしに野原の方を見ると
いつもなら焚き木を囲んで寝ずの番をしている
羊飼いたちの姿がありません。どうしたのかニャー?

岩場に隠れて様子を窺っていると、
「ねえ……」澄んだ愛らしい声が します。
子ども⁉ 慌てて逃げようとしましたが
四本の足が凍てついたように動きません。

「赤ちゃんに会いに行かない?」 声は続けて
「仮のお宿の馬小屋で、さっき、赤ちゃんが生まれたの……」
「赤ちゃんって、ネコをいじめない?」「いじめないよ」
よろこばしい歌のような声に誘われて、ノラは歩き始めました。

            ✨

赤ちゃんは、お母さんとお父さんに見守られて
飼い葉おけで気持ちよさそうに眠っていました。
そばには、いつかノラに干し魚をくれた羊飼いや
箒でノラを追い払ったりするおかみさんたちもいます。

いつもなら、こわくて逃げだすか
逃げられないとなると、全身の毛がひとりでに逆立って
威嚇のシャーが「助けて!」と必死で叫ぶはずなのに。
NOLI TIMERE こわがらないで

こわがらないで 。 ノラはそのとき、生まれて初めて
自分を包んでいる柔らかな光に気がつきました。
なぐさめに満ちたほのかな光、それは小さなノラの
<いのち>そのものが発する光でした。

赤ちゃんは眠っています、質素な産着にくるまれて。
足元に丸くなって、一晩中あたためていてあげたい —―
取るに足らない野良ネコのクリスマスの贈りもの、
赤ちゃんへの…… そして自分自身への。

            ✨

ある年、ノラの物語を読んでいると
一通のクリスマスカードが届きました。
印刷された絵柄は、クリスマスによく描かれる
”聖家族のエジプト逃避”。

<ユダヤ人の王>の誕生を伝え聞いた暴君ヘロデは
不安に駆られ、ベツレヘムとその地方周辺にいる
二歳以下の男児はすべて殺すようにと命じます。
幼子を守るため、両親は難民となってエジプトへ。

赤ちゃんを胸に抱いたお母さんを乗せ、
お父さんが手綱をとって南へ向かう
ロバの背には(赤ちゃん連れですもの)
大きな荷物。

絵を見ていると、澄んだ声がします。
「見える? 袋の中に子ネコがいるでしょう、
ノラが柔らかな亜麻布にくるまって
お喉をゴロゴロ鳴らしているの……」

ノラは、いっしょにエジプトへ行って
いっしょにナザレのお家に帰って
きっとあの家族の —―
飼い猫になったのでしょう。

描かれた大きな袋の中で、小さなノラが
ピンクの前足を交互に動かしてモミモミしています。
星々のきらめきがしずくとなって降り注ぎ
不思議な静けさが世界をおおう、夜。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?