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「まちとまなざし」アンケートより

2024年2月23・24・25日におこなわれた上映会とトーク「まちとまなざし」におこしいただいたみなさま、ありがとうございました。

お寄せいただいたアンケートのなかから、webでの公開に了承をいただいたものなどをまとめました。

NO.
ご覧になった作品
本文

1.
『人形と動くもの』
『老人と家』

「人形を通じて自分の何かが出る、シンプルだけど足りた感じになる」というのは『人形と動くもの』の中で工藤夏海さんの言葉ですが、日常の中には、人が感情移入できるモトとかコトとかが、結構たくさんあるな、と思います。音楽とか、絵画とか、スズメの鳴く音とか、猫の鳴き声とか……。映像の中で黒子に生身性を与えていても違和感がない=人形への集中力がおとろえないというのは物語り(story)の力かなと思います。

2.
『人形と動くもの』
『老人と家』

『人形と動くもの』
はじめとおわりのシーンが印象的でした。表現者やものをつくる人の視点がとても魅力的で、語る姿にひきつけられる作品でした。

『老人と家』
おばあさんと猫の関係、ほうきをはく姿、日常の何気ないくせやしぐさにひきつけられて、ずっとみていられる作品でした。「きれいだね」と言っているシーンが人形劇の作品ともつながって、同時にこの2本をみれてとてもよかったです。

3.
『人形と動くもの』
『老人と家』

『人形と動くもの』
悪役について話しているところが印象的だった。人形を作るということ、完全な悪にはできないと。
自分も絵で「悪」を描くことがあるが、自分は悪そのものとして描いてしまいます。
人の形をした人形を作るってどういうことだろう?ともう一度考えたくなった。

『老人と家』
街を歩いたり、車窓から家を見ると、どんな人が住んでいるのかいつもよく考えてしまう。人のカバンの中身も気になってしまう。人の大きな持ち物、家の中、普段は見ることのできない生活が見られ、とても貴重なものを見せてもらった気がした。
日本の家のうす暗い感じ、日が当たった床のサラッとした感じ、カレンダーをめくる音、湿度やにおいを感じられる映像で、今まで行った人の家を思い出すようでした。
自分も一人暮らしをしている。年齢によって季節の感じ方は変わっていくのか、など先々のことを考えてしまう映画でした。ありがとうございました。

4.
『我々のものではない世界』

映画というか、上映会って本当に素晴らしいですね。他の人の考えや感想を聞けるなんて、普段の映画館ではないことです。上映会がますます好きになってので、またぜひさまざまな上映会をやっていただけますように。

5.
『人形と動くもの』
『老人と家』

梅の場面にやられました。過ぎ去つていくもの、消えてしまふものを残せる映像はすごいと思ひます。

6.
『人形と動くもの』
『老人と家』

福原さんの作品を観るとニコラ・フィリベールと佐藤真を思い出します。
まず一つはカメラで撮る対象への優しいまなざしだと思います。
撮影されるということは多くの他人の目に晒される可能性があることだし、過去の自分の行動や発言が強烈に固定されてしまうという怖いことだと思います。だけど、福原さんのカメラの前では何が起こっても怖がる必要がなく安心していられる空気を感じます。
もう一つはいろんな人間、動物、人形が区別されることなく、すべて平等に愛しく撮られている所です。さらに言えば、人がいなくなった部屋、風に揺れる木、テレビのCM、ほうきとちりとり、、など、こんなにかわいいものが世界に溢れているのか!と毎回感動します。

フィリベールの『動物、動物たち』を見た時、博物館の剥製を正面からひたすら写すシーンで、生き物と死体の中間(?)のような剥製にこちらが見つめらて、彼らが何かを語りかけくるような不思議な感覚になりました。
今回ナツさんの人形劇をあらためて映画で見ることができて、半分人間で半分人間でないものに触れるような感覚を思い出しました。

7.
『ヒノサト』
『void』

どちらの作品も風と光が印象的でした。
菊池さんの言うようにどんな土地も膨大な時間が蓄積されていて、ひとりの人間の人生なんかを遥かに上回る量の時間を経験しているんだな、と実感しました。
うまく説明できませんが、飯岡さんも福原さんの映像もそんな土地の持つ過去の蓄積を掘り起こしてくれているような気がしました。

8.
『人形と動くもの』
『老人と家』

『老人と家』の感想。
自分は眠いことが多いため、映画を見ていると寝てしまうことが多いです。ですが、最後まで楽しく見れました。舞台が家またなその周辺にほぼ限定されているのに、こんなにも見てしまうのは何なんでしょうか?箒で掃く行為も見ていて何故か楽しかったです。自分の家から生えてる木が落とした葉っぱなので掃かないと周りに迷惑がかかるとかあるかと思いますが、何か迫力があります。
女性の家族の話は一切でず、ナレーションもないのですが、情報がないから意味を見いだしたくて一生懸命見てしまうのか。ポンコレラの方の物語がなくても動きだけで十分という話にも通じる気がしました。女性と猫の映像が主ですが、猫の食事シーンはありましたが、女性の食事シーンは無く、何故なんだろうと思いました。しばらく考えてみます(忘れるかもしれません)。
物語性はあまりなかったですが、その分、作品自体が女性を肯定しているように感じました。物語的な演出がなくても存在してていいといいますか。作品を見て何か自分も肯定されたように感じ、帰り道少し小走りになりました。

『人形と動くもの』の感想。
夏海さんにインタビューをしているのが監督ではなかったのは何故なんだろうと思いました。今まで見た(そんなに見てませんが)ドキュメンタリーだと監督がインタビューすることが多いです。
夏海さんは何かもやもやすることを捕まえて言語化するのが上手いですね。自分も夏海さんの得依拠もあり人形を作ったりするのですが、最近さぼってますが、また人形触りたいなと思いました。
上演は現場で見たのですが、ああ、このセリフはあの人が言ったのか、この楽器はあの人が演奏してたのかとわかって面白かったです。
どちらの作品もカメラが色んな所にあり構図が面白かったです。でも俯瞰的な構図があまりないため、家の間取りの全体像は最後までわかりませんでした(そういう見方をしている私は何を考えてるんでしょうね)。

9.
『ヒノサト』
『void』

日常、けれど静かな時間を味わいました。
菊地さんが絵を描いているところはもっと観ていたかったです。どちらの作品の中にも正座している姿、姿勢を正して向き合う姿が印象的でした。
また『ヒノサト』の最後の方にあった言葉を交わさずとも、ピクニットシートを畳むのに手を貸したり、お茶を差し出したりするふたり、美しい景色だなと。

10.
『ヒノサト』
『void』

どの作品も、私の想像が及ばないような部分があり、その共感できなさ、私と重なっていたりいなかったりする世界がとても新鮮でした。3本ともとても面白かったです。
会場も、普通のシアターとは違い、少し開けた場所だったのも、上映会のテーマに合っていて、心地良かったです。

11.
『人形と動くもの』
『老人と家』

ポンコレラの人形と輝子さんの言葉がリンクした瞬間、自分の中の何かが刺激されました。
両作品に感じられる、ゆったりとした空気。
それを象徴するかのような猫の動き。
日常のひとコマをじっくり眺めてみることで、浮き上がる背景。
日常の手触りの感覚がよみがえってくるような映像作品でした。
貴重な機会をありがとうございました。
とても良かったです。
又の機会を楽しみにしております。
(人形劇も、観てみたい!)

12.
『人形と動くもの』
『老人と家』
『我々のものではない世界』

それぞれの映画を「まち」という視点でみた。

『我々のものではない世界』
難民キャンプという言葉から想像するものよりもずっと豊かで、「普通に」暮らしているように見えたのが意外だった。しかし仕事はなく、生活の基盤は揺らいでいる。故郷を追われた人々がいつかの帰郷を胸に、貧しくも明るく暮らしていることが印象的だった。そこで暮らす作者の家族や友人や、作者自らの言葉からは、当時の追廻住宅の姿を連想してしまう。

『人形と動くもの』では、街の片隅とも言える喫茶店の1席で、人形劇をやる女性の思いが語られている。人形劇の内容は後に上映された内容とリンクしていて、全く異なるものとしてみていたものが重なる面白さがあった。

『老人と家』では、繁華街に隣接したところにある戸建て住宅にて老人と猫との暮らしがゆったりと単調に描かれる。そうした命のゆるやかさやが喧騒の漂う「まちなか」の見えないところにもあることを思い出させてくれる。
また、トークでも「動き」というキーワードが出ていて、私は今も腹落ちする理解が及ばずに考え続けている。このような考えるきっかけを与えてくれる上映会、とても有意義でした。ありがとうございました。

X・noteなど



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