見出し画像

再販「カブール・ノートー戦争しか知らない子どもたちー」

読まねばならない本に飽きてしまい「カブール・ノート」に逃げ込んだ。

1997年当時のアフガン情勢から冒頭始まる。自分の記憶を手繰り寄せる。つまらないサークルに入ってしまい辞めたくても辞められない不快な環境に身を置いていて部室にあった映りの悪いテレビの映像から国際情勢の情報が流れてきたことなどを思い出す。北朝鮮の洪水と飢餓の映像があまりに古い感じがして本当に97年の出来事かと疑うほどのものだった。90年代の終わりといえばバブルが崩壊して就職氷河期と言われながらも、まだ景気回復の希望があった時期である。日本の個人消費が最も高かったのが96‐7年頃なので景気回復の希望が持てたのはそのためであろう。まだ、消費に金を使うことができていたのだ。

そんな豊かさをまだ感じることができる時代に著者の山本さんは国連職員としてアフガニスタンに赴く。なぜアフガニスタンなのかといえば職務だからである。本文にある日本の外を目指した理由というか経緯、背景を読むとその職務も必然だったとわかる。

タリバンとはどんな人たちか著者の経験を通じて少しだけ姿かたちをとらえることができる。マスコミ報道では全然どんな人たちなのか影も踏むことができないのにたった一冊の本で物言わぬタリバンが遠い大陸に実際に存在していると実感できるのだ。マスコミが伝えるタリバンが嘘だというのではない。浮世離れして奇妙な存在に思えていたからだ。マスメディアのセンセーショナリズムの装飾を取っ払ったタリバンをやっと見つけたという感覚だ。

アフガニスタンが世界最大の難民を生み出した場所で難民認定されない国内難民まで入れると800万人という。彼らの支援についても具体的に書いてありまずは死なせないこと、安全のための土木を推進すること、食糧支援に家畜の分は入っていないことなどその職に就いた人でないとわからないことが書いてあり筆者という語り部を通じて職業体験ができる。人道支援とは善意とか高揚感でできるもんじゃない。ロバが足をくじくような石だらけの道なき道を進んで生活実態を確認しに行くなんてどうやったらそのやる気を維持できるのか読んでもわからなかった。なぜならば、そんなことを書いていないから。だからこそ国連職員の中にいる傍若無人な者の姿が際立つし、こんな人たちを頼らないといけない国際社会のあり方など今後はたまに考えるようになるだろう。

国連常任理事国のメンバー構成も今でこそ言わなくなったが日本も常任理事国になりたいなりたい、金出してんだぞみたいな論調が20年前まではあった。本書を通じて見えるのは日本が入ったところで米追従の英がいるのだから枠なんかなかったということ。日本が入るくらいならアジアアフリカから一国以上出すほうが建設的であるという、日本の感覚では選らない知見であった。

本の構成も引用が面白くてサイードの「オリエンタリズム」は、この引用なくしてこの本なしという秀逸さである。巻末に参考資料が載っておりそれがアフガニスタンに関する網羅的文献ではないとある。山本さんは法学部出身。法学徒であった。幅広い教養と知識を持つことが法教育の第一歩であり、それを職務で生かした経験を垣間見ることができる参考資料リストは英語の文献が多いが日本語の本もあるので手に入るものから読んでみようと思う。

最近知ったことだが参考文献で載っているものは読んだほうがいい本ではなく読まなきゃいけない本だそうだ。手が回るところだけ、時間が許すところだけと割り切らないと無理だと挫けそうになる。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?