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2023年ですね、すこしでも、健やかで豊かな日々になりますように。

2023年ですね、すこしでも、健やかで豊かな日々になりますように。

最近文章を書くとき、アウトラインを意識するようになっていたんですが、たまには散らかった文章でも、と思い、めずらしく、下書きもせずにnoteに直接打ち込んでいます。

一年前の今日、「母が亡くなって100日経った」noteを書きました。
だから、今日は母が亡くなってから、1年と100日。というより、1月10日は母の誕生日。大切な日です。
そして、帰省最終日。これから大学があるまちへ帰る。小さいころからずっと一緒のうさぎときりんとアンパンマンを目の前に、PCに向かっていて、なんだか書きたい気分になった。

なにを?
うーん。生と死。
わたしは生きているけど、生きていれば死はとなりにある。きのう、9か月ぶりくらいにお会いした人生の先輩であり友人である方とは、2時間近く、この話をした。それくらい、わたしにとっても、大切な、話。

母が亡くなってから、そんなに経つのか、という気持ちと、とっても濃密な1年だったのでもっと経っている気がする気持ち。母はどこか遠くにいてまたいつか会えるような気がする気持ち。ぎゅってしてもらえない悲しい気持ち。
時、を想うと、そんないろんな気持ちが、ふわふわふわってやってくる。
そんなかでも、いちばん存在感が強いのは、会いたいな、って気持ちかな。

ここまで強烈に、会いたい、と思える相手は、いないかもしれない。もしかしたら、会えないとわかっているから、強く思うのかもしれない。必ず会えるとわかっているなら、会いたい会いたいと強くくりかえし思うことはないのかもしれない。

どうにもならないという事実が、さみしく、悲しく、切なく、恋しくさせるのかもしれない。
いや、でも、どうにもならないことばかりだよなあ。生きるって。会える人には会い、それが最後だと思って大切に過ごすようにしたいと思う。

「いのちはどこにあるのか」
一年ちょっとまえ、ある場でこの問いを投げかけられた。
いのちが身体から離れる瞬間をまのあたりにしてから2か月後のこと。
いのちは、身体に仮住まいをしている。そこから離れていくことが死、なんだなってこと。
離れても、いのちはあって、母のいのちも、わたしの近くにずっと居てくれている。そう思っている。
でも。その身体にいのちが在るということ、その尊さ。ぎゅってしたら、あたたかいこと。笑い返してくれること。その尊さ、貴重さ。ありがたさ。
どんな人でも。できることが少なくても、弱くても、その身体にいのちがあるだけで、それがすばらしいことなんだ。
だから、目の前のいのちを大切にして生きていきたい。
そう言葉にしたと記憶している。

このとき、心で語っていた気がする。
社会課題がどうとか、地域がどうとか、頭で考えてでてきた言葉じゃなくて、心で。理論じゃない、願いみたいなものだったと思う。

お母さんがそのいのちで教えてくれたこと。
私と過ごした21年弱でわたしに与えてくれたもの。
って、なんだろうか。

わたしのいのちが、22年間で受け取ってきたものって、なんだろうか。このいのちが22年間この身体に在りつづけているのは、だれがどうやってなにを与えてくれたからなんだろうか。

今年いちねん、(そのさきも)、わたしが受け取ってきたものはなにか、自覚しているのはほんの少しだと思うけれど、もっと自覚的になっていきたいし、それを目の前のいのちに、バトンしていくような生き方がしたい。

宇宙の歴史の中で、22年なんて、なんとちっぽけなことか。
もやもやしていることなんて、なんとちっぽけなことか。
そのことに安心することもあるし、むなしくなることもある。
たいしたことないな、と思えることもあれば、わたしが生まれても生まれなくても地球や宇宙の歴史は変わらない、どうしてわたしは生まれたのかな?と、目の前の出来事がどうでもよくなる、自分自身のいのちもどうでもよくなるときもある。

でも、生まれてしまった。
そして、図らずも、多くのものを受け取ってしまった。

だとすると、わたしがいま見いだせる生きる意味は、この受け取ってしまったものを、となりにいるだれかにおすそわけすることくらいだなと思う。
くらい、といったが、受け取ってしまったたくさんの大切なものたちを、大切な人たちと共有していく、大切な行いだと思ってる。

どうやって??
わからぬ。
わたしがしていきたい行いが、この先の具体的な生き方、どこのまちで、だれと暮らし、どんな仕事をするのか、この経済社会においてどういう表現になりうるのか、わからん。

まあ、すぐにわかるもんじゃないんだろう。
わたしのいのちが身体に在るうちにはわからないのかもしれないね。
でも、大切な人がいて、大切なものをもっていることは確か。これをどうにかしてバトンしないと。
いまだってだれかから受け取って生きていることを、わすれないで生きていかないと。

うん。
ことしもよろしくお願いします。





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