一般社団法人ぼくみん コーディネーター/社会福祉士。ゆらゆらまっすぐ 。アドボカシー。…

一般社団法人ぼくみん コーディネーター/社会福祉士。ゆらゆらまっすぐ 。アドボカシー。書くこと。

マガジン

  • ほっちのロッヂの記録

    2022/2~2022/4の2ヶ月、インターンの記録。 あったこと、学び、感じたことをまとまりなく書き留めてます。

最近の記事

ここに帰ってくると

近所の橋から見える、川沿いの公園の雪景色 昼下がりの部屋の暗さと、ブラインドから漏れる陽 美容液を棚からとって、使って、戻す音 洗わずに袋に入れてとってある、パジャマのにおい ここに帰ってくると、 お母さんがみたもの、お母さんとみたもの、 食べたもの、感じたもの、使ったもの いろんなのがまだそのまんまあって、 いのちの現実が、なまあたたかく私のそばにいる。 一番近くに、お母さんを感じられる。 お母さんといた20年の大半をここで過ごしたから、 自然なこと。 それ

    • なんにもできなかった日記

      人との予定がない日。 正確に言えば、やることやるために予定をいれなかった日。 私は、起き上がるきっかけを見失って、無気力に横たわって、ようやく足の裏が地についたのは午後5時。 なにやってんだろう…。 やるべきことはたくさんあるのに。なんにもする気が起きなくて、 立ち上がり方を忘れたように、リール動画を下に下に送り続けて、目を閉じて、そんな自分を軽蔑して。あああ、涙がでてきてしまう。 月のもののせいかな。低気圧かな。今日は空を見ていないので天気は知らないけれど。 そうい

      • 大きな声

        いつから、こんなに声が大きくなったのかなあ。と考える。 妹が生まれてお母さんをとられた気がしたとき? 中学で部長やることになったとき? 2年前、オンラインコミュニティで学んだことを毎日のようにFacebookに投稿し始めたころ、誰に届くかわからないSNSで発信することに慣れていった気がする。 1年ちょっと前に「声を張れ」と怒られて、声を張ることを意識するようになった気がする。 最近、ファシリやプレゼンをやるようになって、人前ではきはきしゃべることが増えた気がする。

        • ケアの現場、ケアな現場

          軽井沢から東京への帰り道。 ほわほわとして、心の内側から身体が温まるような感覚になっていて、 これがwell-beingかも、と思いました。 癒され、力をもらった1日でした。 澄んだ空気の冷たさと、木のぬくもりを感じるアステリアさんのオフィスにて。イベントのはじまりに投げかけられた問い。 「最近、いろいろなところで聞かれるようになった『well-being』って、なんなんだろう。だれのため、なんのためのものだろう」 よくwell、生きるbeing。幸せ。 その中身は、人そ

        ここに帰ってくると

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        • ほっちのロッヂの記録
          15本

        記事

          生きづらさに名前を付けないでみる。

          高校の教科は地学が好きだった。(長くなるので理由は省略) でも、「宇宙の歴史」はちょっと苦手だった。 小学生くらいのときから苦手だった記憶がある。 宇宙の、何億何兆っていう歴史を語られると、自分があまりにもちっぽけで無力に感じて、生きる意味を見失う気がした。得体の知れない不安、孤独感のようなものに襲われた。 なにか、深く傷ついた経験があるわけじゃないし、不自由の多い生活をしていたわけじゃない。むしろ、たくさんの愛を受けて、とてもありがたい環境で育ったと思う。 でも、こうい

          生きづらさに名前を付けないでみる。

          生きているだけで誰かを傷つけている。

          私は、傷つけた側だ。 木々の向こうには原発がみえて、手前に広がる青々とした人気のない草原には黒い塊が重なっていました。バスの車窓から見えたほんの数秒。直観的にそう思いました。 いわきから双葉まで、太平洋沿いを北上していました。 震災前の風景を私は知りません。ただ、ところどころに残る建物が、墓地が、そこには暮らしがあったことを、何百年も前からそこに息づく命があることを、想像させてくれます。 『いまだに帰れない人がいる』『12年放置された町がある』『ふるさとを奪われた人がい

          生きているだけで誰かを傷つけている。

          エゴも、嫌悪感も、罪悪感も

          困っている人がいたら助けたくなる。 隣の人の痛みが自分の痛みのように感じる。 恵まれた私は恵まれない誰かのために生きたい。 そういう美しいことを言っておいて、実は、《そういう自分でありたいだけ》。困っている人がいたら助ける私でありたい。隣の人の痛みを感じられる人間でありたい。恵まれない誰かのために生きる自分でありたい。 人のためといっているようで、本当は自分のため。 そういうのを偽善というのかな?自己満足というのかな? 私はそういう人間だ。くずだなって思う。 純粋にその

          エゴも、嫌悪感も、罪悪感も

          出会った人と、漂ってみること

          3月31日、21:40をまわったところ。 同期のひとたちの卒業報告や、年度終わりの投稿をみていたら、自分もなにかを書き残しておこうと思い始めた。 とはいえ、そんなに、書くことない。いつもnoteを読んでくれる人が、3スクロール以上は読めないって言ってたので、少なめ少なめで… ※ ※ ※ この1年、たくさんの人に出会った。いろんな地域の福祉をめぐり、地に足つけて暮らしを守る人たちや、そんな生き方を模索する同世代に出会った。 本当に、素敵な人たちばかり。 だけど、生きる

          出会った人と、漂ってみること

          2023年ですね、すこしでも、健やかで豊かな日々になりますように。

          2023年ですね、すこしでも、健やかで豊かな日々になりますように。 最近文章を書くとき、アウトラインを意識するようになっていたんですが、たまには散らかった文章でも、と思い、めずらしく、下書きもせずにnoteに直接打ち込んでいます。 一年前の今日、「母が亡くなって100日経った」noteを書きました。 だから、今日は母が亡くなってから、1年と100日。というより、1月10日は母の誕生日。大切な日です。 そして、帰省最終日。これから大学があるまちへ帰る。小さいころからずっと一

          2023年ですね、すこしでも、健やかで豊かな日々になりますように。

          わたしだけの世界から、ぬけだしていきたい。

          最近、だいじにしていきたいこと。 たぶん、とてもあたりまえのことしか、書いてないです。でも、そのあたりまえが、むずかしいことだと、気づいた。備忘録です。 ■わたしだけの世界を生きてきたわたしは、とても頑固。 じぶんが思う正義を手放せず、それを起点にしか動けず、わたしの価値基準で、正負、善悪を判断し、向き合い方を決めてきた。 人が思う正義に耳を傾け、ときにじぶんの想いを握りしめる力を緩めてでも、その人を受け入れたり、理解したりしようとすることができなかった。 つまり、人の話を

          わたしだけの世界から、ぬけだしていきたい。

          休学8か月のいま

          22年1月から大学を休学しています。4月までは軽井沢の診療所でインターンをしていました。4月以降は、SOCIAL WORKERS LABの各地の動きに同行させてもらってきました。 この9か月、何かに向かって、安定して過ごしたり活動したりしてきた、とは言えない。むしろ、かなり不安定な日々を送っている気がします。 それがなぜなのか、8か月たってようやく少しわかってきたような気がしていて、言語化できるかどうかわからないのですが、なにかを書いてみようと思います。 いまわたしと時

          休学8か月のいま

          ほっちのロッヂの記録:2か月のまとめ!

          2月から、ほっちのロッヂで「感じ手」として過ごしていました。 みどりが芽吹く時期までいるつもりだったのですが、雪が降りました⛄ いきいき暖かい時期に、また来たい。 2か月で感じたこと。 なぜロッヂで過ごそうと思ったのか1月から9月までの休学期間。 どこでなにをして過ごそうかな?ということを考えていた昨年12月、知り合いの紹介でほっちのロッヂに1週間やってきた。 年明けから春まで、ロッヂで過ごしたいと思った。 理由は主に3つ。 1つ目は、医療的ケアが必要な子どもたちの表現

          ほっちのロッヂの記録:2か月のまとめ!

          ほっちのロッヂの記録14:補助線

          2月から、ほっちのロッヂで過ごしています。 続けられるかわからないけど、記録できる日はnoteに記録していこうと思います。あと3日! まなび:補助線 今日は、絵を描く。 模造紙を4枚つなげてアトリエに広げて、木のおもちゃで重石にする。 大きなパレットに赤、白、黄色、緑、オレンジ、肌色… いろいろ混ぜて、いろいろなピンク色をつくってみる。 茶色の線を2本。 水をいれたトレー、筆、絵の具、布、緩衝材のプチプチ、木のかけら。 補助線やトリガーをちりばめる。 子どもも大人も、と

          ほっちのロッヂの記録14:補助線

          今日で半年 心を穴だらけにして生きたあの時期が遠くに感じるけど、実家に帰ってもおかえりと抱きしめてもらえないのはまだ信じられない。 本当は何にもせず天国みたいなとこ引きこもってたいけど、そうできない環境に身を置くことで生きてる。 自分で決めたんだから。頑張ろう お母さんありがとう

          今日で半年 心を穴だらけにして生きたあの時期が遠くに感じるけど、実家に帰ってもおかえりと抱きしめてもらえないのはまだ信じられない。 本当は何にもせず天国みたいなとこ引きこもってたいけど、そうできない環境に身を置くことで生きてる。 自分で決めたんだから。頑張ろう お母さんありがとう

          ほっちのロッヂの記録13:ケアワークとソーシャルワーク

          2月から、ほっちのロッヂで過ごしています。 続けられるかわからないけど、記録できる日はnoteに記録していこうと思います。 ここで過ごすのもあと1週間…。 まなび:ケアワークとソーシャルワークについて ケアワーク ここで私がやっているのはまさにケアワークといわれるものだと思っている。 子どもが心地よく過ごしつつ、好きや嫌いに出会えるように、一緒に遊んだり、食事やトイレしたり、ともに時間を過ごしたりする。 ここにきて初めておむつ替えをするとき、とっても緊張した。筋力や

          ほっちのロッヂの記録13:ケアワークとソーシャルワーク

          ほっちのロッヂの記録12:共に感じてくれる人を増やす

          2月から、ほっちのロッヂで過ごしています。 続けられるかわからないけど、記録できる日はnoteに記録していこうと思います。 今日は2つ、2つ目! まなび:共に感じてくれる人を増やすこと 子どもの現場を見学にきてくれた人がいた。 見学者は、子どもが過ごしている様子をじっと見ていた。外で遊んでいるときは、はじめは部屋の中から、途中からは外に出て少し近くから、そりすべりをみて拍手したり、一緒に笑ったりしてくれた。 「子どもの様子をみる」姿勢。なんとなく、子どもや活動が見世物

          ほっちのロッヂの記録12:共に感じてくれる人を増やす