ポール&リンダ・マッカートニー「ラム」

Release Date
May 1971

Song List
Too Many People
3 Legs
Ram On
Dear Boy
Uncle Albert / Admiral Halsey
Smile Away
Heart Of The Country
Monkberry Moon Delight
Eat At Home
Long Haired Lady
Ram On
The Back Seat Of My Car

https://www.discogs.com/ja/Paul-And-Linda-McCartney-Ram/master/92517

制約のない環境でやりたいことをやった「マッカートニー」を作って、出した。それだけで満足していた。しかし、世評は批判の嵐になった。作品論以前の「ビートルズを解散させた男」という批判が主とはいえ、ジョージやジョンが喝采を浴びる中、ポール・マッカートニーというブランドが本物であることを示す必要がある。イギリスは色々うるさいからアメリカに行こう。ビートルズレコードデビュー以来初の海外レコーディング、一家はニューヨークに飛ぶ。

1人でレコーディングは出来るが、やはり本職がいた方が作業は早い。ニューヨークに着いてまず着手したのは、ミュージシャンのセレクト。薄暗い地下室にレンタル機材を置いて、エージェント経由で集められたミュージシャンを試す。タムの使い方が上手いし、気さくな人柄も好印象なデニー・シーウェルをドラマーとして雇う。ギターには売れっ子スタジオミュージシャンだったデヴィッド・スピノザ。スピノザは売れっ子らしく忙しいため、途中からヒュー・マックラケンを招く。いずれにせよメンバーは捕まえた。ストリングスやホーンも入れたいから、ニューヨーク・フィルも押さえた。万事完了。

曲は幾らでもある。問題はリンダだ。パートナーとして前面に出すためには、「マッカートニー」以上に歌わせなくてはならない。もちろんリンダは躊躇する。当たり前だ。いくら人生の伴侶の頼みとはいえ、参加する音楽作品の主はあのポール・マッカートニー。「マッカートニー」でそっとハーモニーをつけるだけでも大バッシングに晒されたのに。「大丈夫だよ、自信を持って。僕の声に君の声は合うんだから」説得に次ぐ説得。結果、「Uncle Albert〜Admiral Hersy」や「Long Haired Lady」ではほぼリンダの声が主役として扱われ、他の曲でもハーモニーやコーラスとして有効活用。「誰がいまポール・マッカートニーのパートナーなのか」を明らかにする。ジャケもお手製、隅にはそっとメッセージを添える。「L.I.L.Y.」。Linda,I Love You.

時流に沿うかのようなスワンプ感やブギー、いつものバラード、小品を重ねたポップソング。キャプテン・ビーフハートに触発されたような狂気も顔を覗かせる。いずれも「マッカートニー」には無かった作り込みによって彩られた、もう一枚の「マッカートニー」。メディアを通じて届く元仲間たちからの罵倒には、冒頭3曲で反論する勇ましさも見せつつ、タイトルトラックはハンブルグ時代の自らの芸名のパロディにする遊び心も忘れない。RamoneからRam On。その偽名は数年後、このアルバムをレックしたニューヨークから世界に飛び出すパンクバンドのバンド名に流用される。

冒頭3曲のメッセージに気付いた元仲間たちは異口同音に不快感を表明する。リンゴは「才能の浪費だ」と辛辣に切り捨て、ジョージは「あんなもんレコーディングさせられなくて良かったよ」と嘲笑う。しかしジョンはメッセージには激怒しつつ、「あのアルバムの失敗は嫁のコーラスだ」とボヤく。「誰よりもお前が言うな」なこの発言は、実は的を射ている。このセッションにてレックされながら実際にリリースされた曲よりも明らかにクオリティの高い「Big Barn Bed」や「Little Ram Dragonfly」がオミットされたのは、ジョンに言われるまでもなく、ポールが「嫁のコーラス」にまだ不安を感じていたことを言外に伝えている(そしてその不安は、数ヶ月後に別の要素を加えることで解決する)。

元仲間の低評価もあってか、セールスはまずまずながら評論家筋から再び酷評に晒される。ところが当時ジョンが泥酔状態で楽しげに収録曲を歌うテープが、後年流出する。90年代前後から急激に再評価され、ポールの最高傑作とも呼ぶ人が増え、作った本人すらも再評価するようになった昨今、しかし誰よりも当時からこのアルバムの魅力を知っていたのは、当て擦られた元相方だった。

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