ポール・マッカートニー&ウイングス「バンド・オン・ザ・ラン」

Release Date
Dec.1973

Song List

1 Band On The Run 5:09
2 Jet 4:08
3 Bluebird 3:21
4 Mrs Vandebilt 4:37
5 Let Me Roll It 4:47
6 Mamunia 4:49
7 No Words 2:33
8 Picasso's Last Words (Drink To Me) 5:50
9 Nineteen Hundred And Eighty Five 5:28

https://www.discogs.com/ja/Paul-McCartney-And-Wings-Band-On-The-Run/master/48878

1973年5月から19箇所、ウイングスはライブツアーを行う。ランチタイムギグを除けばビートルズ以降初の公なポールのツアーだったことや、「My Love」「Live And Let Die」のヒットもあり、ツアーは成功を収める。しかし、バンドは分裂する。

ヘンリー・マッカロウ「バンドには自由がなかった。ポールの考えたリフ以外は弾けなかった。しかもギャラが酷かった。」

デニー・シーウェル「ポールとの仕事は楽しかった。けど、週給70ポンドだった。当時、僕はニューヨークではスタジオで週2,000ポンドは稼いでたんだよ。」

給与に関しては事情がある。ポールには金がなかった。ビートルズ時代の財産を管理していたアップルを相手に訴訟を起こしていた関係で、資産は凍結させられていたため、ウイングスはウイングスの利益で賄わざるをえなかった。結局ヘンリーは口論の末、リハーサルスタジオから機材を積み込んで去り、シーウェルはポールが次のレコーディングにラゴスを選択した際、電話で別れを告げる。

リンダとデニー・レインだけが残ったウイングス。とはいえ、ポールには特段の不安はなかった。ドラムなら叩ける。新しい曲もリンダとデニーのハーモニーがあればイケる。とりあえず音を録ろう。ポール一家とレイン夫妻はラゴスに向かう。

気まぐれで決めたレコーディング先には8トラックのスチューダーしかなかった。ヴォーカルレコーディング用の防音壁もヴォーカル用マイクもなかった。現地入りしたら、ラゴスの顔役=フェラ・クティが「アフリカの音楽を盗みにきやがったのか」と因縁をつけに来た。強盗に襲われ、デモテープが強奪された。タバコ(マリファナ説あり)の吸い過ぎで意識不明になり、緊急搬送もされた。波瀾万丈な6週間。しかしベーシックトラックをしっかり作り、ロンドンで仕上げを行い、制作から3ヶ月、マスターは完成する。

アルバムとは別に、先に出されたシングル「Helen Wheels」にはまだ前作までの残り香が濃厚に漂うものの、アルバムに収録された9曲には明らか変化がある。音がクリアで、適度に隙間があること。前作レコーディング中にポールは「Live And Let Die」でジョージ・マーチンと仕事をする。ビートルズ時代のレコーディングを支えた師匠のプロデュースに、過去の自分の仕事、音の作り方を思い起こす。すなわち、厚塗りはしない、ストリングスやホーンは適度に適所に。この時期、元ビートルズの3人はそれぞれにアラン・クレインとの関係を解消しようとし始めていた。先にクレインを糾弾していたポールと元メンバーの間柄は、急速に関係が修復されつつあった。元メンバーとの諍いが治れば、「昔のやり方、作り方」にもわだかまりはなくなる。それにウイングスにはリンダとデニーのコーラスがあり、それがあれば差異化は出来る。

明らかに「傑作を作ってやる」と狙って作り、そして目論見通り傑作になった「Band On The Run」「Jet」が冒頭を飾り、そのクリアなサウンドがビートルズ以降のポールとこの作品が全く異なるものになっていることを高らかに告げる。リンダとデニーのコーラスを存分に活かす「Bluebird」「Mamunia」「No Words」は3人こそがウイングスの核であることを能弁に伝え、「Mrs.Vandebilt」と「Let Me Roll It」の隙間だらけ、リフだけで組み立てた構成とサウンドは、シンプルさこそを良しとしたビートルズの匂いを漂わせる。曲そのものは凡庸な「Picasso's Last Words」はテンポもアレンジも全く異なるバージョンと他収録曲のフレーズをコラージュ的に混ぜ合わせることで全体の構成上外せない曲にまで高められ、ラストの「1985」のソリッドなピアノロックに迫力あるブラスを被せ、傑作アルバムに相応しいクライマックスを迎えた後に「Band On The Run」がリプライズ的に流れる演出の妙。

内容に自信はあった。だからこそジャケットにも拘った。入念な打ち合わせによりデザインを固め、有名俳優やコメディアンを集めてのフォトセッション。ポールは沢山いる脱獄者のひとりにしか過ぎない。しかし中身に自信があるからそれで良かった。上がった写真にはシンプルにタイトルだけを乗せ、世に問う。結果、全英全米共に1位。口煩かった評論家もこぞって「転向」を余儀なくされる。70年のビートルズ脱退以降バッシングの牢に閉じ込められたポールは、鮮やかに逃げ出した。

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