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ディランを楽しむ5枚 3枚目


「ストリート・リーガル」(1978)

2016年9月、パティ・スミスの元へスウェーデンアカデミーから連絡が入る。ノーベル文学賞授賞式でのパフォーマンス依頼。受賞者は誰かは決まっていない。パティは自作曲でオーケストラとの共演に相応しい曲をセレクトする。

後日、文学賞はディランと判明する。パティは混乱する。16歳の時に母親に買ってもらった初めてのレコードは「フリーホイリーン・ボブ・ディラン」だった。心酔した。ディランの愛人になるために家出同然で1967年夏、ニューヨークに出た。ディランの愛人にはなれなかったが、紆余曲折を経てMC5のフレッド・スミスと出会い、結婚する。フレッドもまたディランを信奉していた。しかし、その夫を急死で失い、程なくマネージャーであった実弟も失う。失意のどん底に陥り、全ての活動が停止したパティに「一緒にツアーをやろう」と声をかけたのはディランだった。パティは再び表現活動に復帰する。

そんなディランの授賞式に相応しい曲は何か。自作ではダメだ。ディランの曲で、ディランが気に入るパフォーマンスが出来る曲を。悩みに悩んだ結果、パティは初めてディランに出会った曲、夫のフレッドが大好きだった曲を選ぶ。"A Hard rain's a-gonna fall"。会場外で激しい雨が雪に変わる中、2016年12月11日、パティはノーベル文学賞祝賀パーティーのステージに立つ。途中、様々な思いが込み上げ、喉から声が出なくなる。そのアクシデントも含めて、パティは最高のパフォーマンスを披露し、世界中に感動を与える。

ディランを信奉していたパティとはいえ、ディランのカバーはスタジオ作品に限っては1曲しかない。2007年にリリースされたカバーソング集「トゥエルブ」に収められた"Changing of the guards"。ジミ、ニルヴァーナ、ストーンズなどの誰もが知っている代表作のカバーが並ぶアルバムにおいて異色の選曲。そこにパティのディランに対する深い愛情が見えてくる。

ディランのオリジナルである"Changing of the guards"が収められているのは、「ストリート・リーガル」。ディランを楽しむ3枚目はこれ。

1枚目の「ハードレイン」ではロックなディラン、2枚目の「ブラッド・オン・ザ・トラックス」では作曲家のディランを味わってもらった。3枚目に「ストリート・リーガル」を持ってきたのは「歌手としてのディラン」にスポットを当てるため。

パティもカバーした"Changing of the guards"はフェイドインから始まる。何やらスタジオジャムのような粗い演奏、コーラス隊のレスポンスも噛み合わない、サックスはキメのフレーズにも関わらずタイミングもたどたどしく、おっかなびっくりで吹いている。おそらく簡単な打ち合わせだけで強引に一発録りを強いられているのであろうメンバーの困惑が伝わる中、我関せずなディランは(少しは関しろ、と思うがなにせディランである)スタートからフルスロットルで歌いに歌う。これが上手い。普段のフレーズを弄ぶディランではなく、ストレートにメロディをなぞるディラン。その本気さに影響されるようにバンドは徐々にまとまり、コーラス隊は噛み合っていき、サックスは堂々とキメのフレーズをここしかないというタイミングでブロウし始める。6分36秒という長尺、メロディはどこまでも単調であるにも関わらず、永遠に続いて欲しいとすら思える上り詰め方をみせる。この歌の尽きない魅力は、「ハードレイン」のロック、「ブラッド・オン・ザ・トラックス」の叙情を味わった後に、その凄みが改めて理解出来ると思う。

他にも"Is your love in vain?""Baby,stop crying"、更に"Where are you tonight"という珠玉の名曲(名唱)を収めており、アルバム全体の楽曲クオリティは高い。また、普段の変な歌い方、変な曲ではなく、普通の曲を普通に歌っている。それが良い。この路線は「武道館」で頂点を極めているのだが、「武道館」は二枚組。よって入門段階ではこのアルバムに軍配が上がる。またこの作品以降、何を思ったか(どうせ何も考えてないのだが)ボーン・アゲイン・クリスチャンなる迷走期に突入する前の、60年代から浮き沈みを経てたどり着いた天才の(この時点での)集大成とも言える作品ゆえ、ディランの本質を掴む意味でも早い段階で聴くべき作品といえる。

余談。パティがノーベル賞受賞式でパフォーマンスをした時、ディランは式には出席せず、コメントを寄せている。締めの言葉は、ある種の皮肉と、ディランの本音が透けて見えるように思う。

「わたしの行動のすべての中心にあったのは、わたしの「歌」でした。わたしの「歌」があらゆる文化を超えて多くの人々の人生に居場所を見いだしたように見受けられることに感謝しています。世の中には400年経っても決して変わらないことがあるものです。「わたしの歌は文学なのだろうか?」そう自分に問うた機会は今まで一度もありませんでした。したがって、スウェーデン・アカデミーには、まさにその「問い」について考えるお時間を割いてくださったこと、そして、究極的には、このような素晴らしい「答え」を出してくださったことに感謝しています。」

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