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抵抗の音楽としてのジャズ(ロリンズ、ローチ、マイルスのひとつの例)

ソニー・ロリンズは早熟の天才児だった。マイルス・デイヴィスに見出され、プレスティッジでリーダーアルバムを製作したのは1951年、僅か21歳。キャリアを順調に重ねていくが、同時にドラッグの量も重なっていき、プレイがままならなくなっていく。54年には全ての活動を休止。新バンドにロリンズを招くつもりだったマイルスは、ロリンズを断念し、ロリンズよりまだまだ粗い若者を止む無く召集する。

55年、マイルスと並ぶ天才、クリフォード・ブラウンは快進撃を続けていた。しかしサックス奏者の離脱に遭い、吹けるメンバーを探していた。クリフォードは熱心に休養中のロリンズを口説く。ロリンズは渋々少しだけならと手伝うことを了承し、ステージに上がる。天才トランペッターとテナー・マッドネス。評判にならないはずはない。クリフォード・ブラウン、マックス・ローチ、リッチー・パウエル、そしてロリンズ。ジャズ史に残る最強バンドになることは確実だった。翌年56年6月、リッチーの妻が運転する乗用車がリッチーとクリフォードを乗せ、雨の中でスリップしなければ。

残されたロリンズは、バンドで出会ったマックス・ローチと共にリーダーアルバムを重ねていく。プレスティッジ、ブルーノート、リバーサイド。モダンジャズ三大レーベルを横断しながら、快進撃を続けていく中で、58年、「フリーダム・スイート」が登場する(リバーサイド)。ジャケット裏にはロリンズによるセルフライナーノーツ。

“America is deeply rooted in Negro culture: its colloquialisms, its humor, its music. How ironic that the Negro, who more than any other people can claim America’s culture as its own, is being persecuted and repressed, that the Negro, who has exemplified the humanities in his very existence, is being rewarded with inhumanity.”


https://youtu.be/CERGVEqPoT0

ロリンズのアルバムに参加していたローチは、60年に妻のアビー・リンカーンからオスカー・ブラウンJr.という歌手を紹介される。オスカーは全米黒人地位向上協会(NAACP)から依頼を受け、リンカーンの「奴隷解放宣言」100年目を祝う長大な組曲(スイート)の制作をしていた。それを手伝う中、ローチの頭の中には、56年の組曲が思い起こされる。いま再び組曲を問うべきだ。ロリンズのではなくローチによる、いまの自由組曲(Freedom Now Suite)を。

ナット・ヘントフ。白人ながらジャズに魅せられ、ダウンビート誌で評論活動に従事していた。事務所の受付を公募した際、能力を買い黒人女性を採用する。ダウンビート本部の社長がニューヨークの編集部に来た際、受付に黒人女性が座っていることに激怒し、翌日にはヘントフのデスクもダウンビートから消える。
フリーになったヘントフは出筆活動を続けつつ、ジャズレーベルを主催する。キャンディッド。人種差別を糾弾するライターはミンガスなどを招いて戦闘的な作品を世に問う。ローチに声がかかるのは必然だった。ジャケットにはローチらがシットインをする写真を採用する。

https://youtu.be/Un9EOjbUWVA

ローチを組曲製作に引き込んだ歌手・オスカーは、ジャズのメロディに歌詞を加えて歌う歌手だった。ローチとの共同作業と並行して、彼はナット・アダレイ作曲のヒットナンバーに歌詞を加え、吹き込む。「労働歌」というタイトルを持つファンキーな曲は、人種差別に端を発する冤罪により収監された囚人の、終わることのない重労働の歌に変換される。

Hold it steady right there while I hit it
Well reckon that ought to get it
Been working and working
But I still got so terribly far to go


https://youtu.be/YpewUVqowHE

ロリンズが「フリーダム・スイート」を世に問うた56年、マイルスは白人編曲家ギル・エヴァンスのオーケストラをバックに「マイルス・アヘッド」という傑作をリリースする。しかしレコード会社が作成した白人女性がヨットで佇むジャケットに激怒、自らの写真によるジャケットに差し替えさせる。

同じくギルとのコラボにより黒人主役のミュージカル「ポーギーとベズ」を翌年リリースした際には、テーマから考えれば自らのみがジャケットになってもおかしくないところ、あえて自分とギルが肩を寄せ合って座っている写真を採用する。ギルへのリスペクトであり、黒と白が共闘出来ることのアピール。

「俺は緑の血を吐こうが、そいつのプレイが最高ならば、雇う」

ローチがシットインのジャケットで戦闘的なスタイルで攻めた翌年(61年)、マイルスは舞台女優であり妻だったフランシス・テイラーをジャケットに据える。アルバムタイトルは「白雪姫」のテーマ曲。ジャケットの「白雪姫」にとっての「王子様」はシルエットで横に飾られる。「ポーギーとベズ」から2年後、クレバーなマイルスはローチのアプローチとはまた別のアプローチで、公民権運動に参加していた。

なお、このアルバムのタイトル曲では、マイルスがロリンズの代わりに止む無く雇ったサックス奏者が、堂々とゲスト枠で招かれ、力強くも抑制の効いたブローを響かせる。サックス奏者の名はジョン・コルトレーン。コルトレーンもまた、マイルスから独立して以降、アフリカ回帰の思考性を世に問い続けていく。マイルスのセッションから2ヶ月後、ローチの「ウィ・インシスト」にも参加したババトゥンデ・オラトゥンジ(パーカッショニスト)を通じて得た知見を生かし、「アンダーグラウンド・レイルロード」の歌を吹き込む(ただし発売時にはオミット。現在はセッションの完全版にて聴ける)。


https://youtu.be/KTBQBtxJa6w

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