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ウイングス「ウイングス・オーヴァー・アメリカ」

Release Date
December 1976

Song List

Venus And Mars〜Rock Show〜Jet
Let Me Roll It
Spirit Of Ancient Egypt
Medecine Jar
Maybe I'm Amazed
Call Me Back Again
Lady Madonna
The Long And Winding Road
Live And Let Die
Picasso's Last Word
Richard Cory
Bluebird
I've Just Seen A Face
Blackbird
Yesterday

You Gave Me The Answer
Magneto And Titanium Man
Go Now
My Love
Listen To What The Man Said
Let 'Em In
Time To Hide
Silly Love Songs
Beware My Love
Letting Go
Band On The Run
Hi Hi Hi
Soily

1972年。ジョン・レノンは自身初めてのフルセットライブを行う。しかしリハーサルが十分に行えず、しかもビートルズ時代の30分程度のライブから考えて倍の時間を費やすライブを長らく経験していなかった、更に元々決して上手いとは言い難いエレファンツ・メモリーがバックという中で、周囲の期待を豪快に裏切る結果に終わり、以降ジョンはライブの舞台から足が遠のいていく。

1974年。ジョージ・ハリスンは大々的な北米ツアーを打つ。しかしながらハードスケジュールが災いして、ツアーに合わせて制作された「ダーク・ホース」も(楽曲そのもののクオリティはともかく)ラフな仕上がりに終わり、セールスもソロ以降初めて苦戦。そしてツアーも全く整わない体調不良もあり声が出ず、また大胆に手を加えたビートルズ時代の楽曲のアレンジが大不評を買い、以降ジョージもライブの場から姿を消す。

1971年からポールはライブを重ねてきた。バンドをやるのはライブのため。ライブは回数を重ねたら良くなる。大学ツアーに始まり、イギリスからヨーロッパ。しかしアメリカにはいかなかった。

「僕ら(ビートルズ)が子どもの頃、クリフ・リチャードがヒーローだった。クリフはイギリスで大人気になって、アメリカに行った。エルビスやチャック・ベリー、リトル・リチャードのアメリカさ。きっと大成功すると思ってたけど、結果は散々だった。だから僕らはブライアン・エプスタインに"アメリカでチャート1位にならなかったら行かないよ!"って言ってた。クリフが成功出来なかったんだからね。」

ウイングスはアメリカチャートを制していた。しかしバンドは1974年にようやく新しいラインナップになったばかり。75年はイギリス、オーストラリア、日本(結局入国許可が降りずに中止)。76年にはヨーロッパで腕試しを行う。「ウイングス・アット・ザ・スピード・オプ・サウンド」の新しいレパートリーは3月からのヨーロッパツアーで試す。状態は万全。1976年5月から約2ヶ月、31公演。バンドはアメリカへ。

「スポーツアリーナの席に座り、開演を待つ。赤や緑のライトと苺のお酒。イカした友だちにステキな星空。木星と金星は今夜もいい感じさ」

客席の気分を代弁したような歌詞からショーはスタートし、29曲2時間半を突っ走る。ビートルズ時代のライブとは違い、リッケンバッカーの重たいベースサウンドが終始バンドをリードする。更に時にピアノやエレピの前に座り、いわば「アンプラグド」の先駆けのようなコーナーも設け、アコースティックギターを爪弾く。ビートルズの曲もサービスとして挟み込むが、総体として決してメインにはならず、あくまでショーのアクセントという形に留まったのは、ソロ以降の楽曲とバンドの充実度ゆえであり、同時にこのアメリカツアーまでのポールの準備の確かさと目論見の正しさを明らかにする。

ラストの"Soily"はスタジオ作にはならなかった楽曲ながら、1971年のツアーからずっと演奏されてきたもの。時代に合わせたハードロックテイストのアレンジに差し替えられたそれは、レーザービームとスモークの渦の中でブラスも加わり、アメリカ人にとっては新曲でありながら熱狂に次ぐ熱狂を巻き起こし、ショーは幕を閉じる。「See You Next Time!」。10年ぶりのアメリカツアー、最後に興奮した口調で残したお別れの挨拶ではあるが、現実に「Next Time」は14年後となる。

バンドの集大成をライブアルバムにまとめ上げる。ヒプノシスのアートワークは、アメリカを横断したチャーター機のボディ。31公演の美味しいとこどりの細かなミックスを経て、ほぼセットリスト通りの3枚組LPとしてリリース。2枚組すら拒否されたソロ初期とは違う、セールスへの確かな信頼を裏切らず、当然のようにアメリカチャートを制する。しかし、イギリスでは少し成績を落としたため、次のスタジオ作への想いは半ば必然的に故郷への目線へとシフトされる。農場があるスコットランド、自宅のあるロンドンタウン。

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